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2009年3月

2009年3月29日 (日)

『クラスメイト』 - 2/2 -

他の同級生の話しになった。
野球部の『H』、マスコミ関係の大きな会社で部長をしていると言う。


高校三年の一学期の期末テスト最終日、みんなで打ち上げをした。
その日は『H』の誕生日だと思っていた。
7月12日。
30から40人は集まった盛大な飲み会となった。(!?)
受験を控える夏、決起大会のような、高校生活最後の飲み会のような盛り上がりだった。

しかしその日は僕の『失恋記念日』でもあった。
三年になってから恋心を寄せていた『S』ちゃんに彼氏ができたという情報が入ったのだ。
その日まで、とてもイイ雰囲気になっていた、と思っていたのは僕だけだったようだ。

当時、彼女は『思わせぶりだよ』と言ってくれた仲間もいた。
なんて話しをすると、『M』が、

『え゛っーーー!! みのる(実際は本名)もぉーーー!! 俺もだよぉー!!』
と声を上げた。
『好きだったんだよぉー!』と、

僕の『失恋記念日』には、続きがあった。

『そんな僕を慰める為に二次会、三次会が開かれた』話し。
『(会を重ねる毎に親密になり)その日、その時から交際が始まったカップルができた』話し。

『M』は『S』ちゃんの話しにソワソワしていたようだ。

そんな中、僕は『S』ちゃんの知っていることなら、みんな盛り上がるだろうと思って、

『そう言えば、『S』ちゃんの夏服のシャツの袖から、『ワキ毛』がジョリジョリ覗いてたのを誰かが見たんだよなぁ』という話しをした途端、またしても、

『え゛っーー!?!? うっそぉーー!!』
と『M』が嘆き、叫ぶ。
『T』と僕は
『いや、ホント』『ホント』『なぁー』『なぁー』と同調する。

『ヤメてくれぇーーー!!!』

『M』の25年来の幻影が崩れ去った瞬間だった。
今日は『M』の『失恋記念日』を肴に飲む格好になった。


今年、四十四歳になる男、三人が高校三年の頃に戻ったように喋り続け、あっという間の四時間半。
なんと、居心地の好いことか。

再会を約束して、駅で別れた後の歩みは、春の香りのする夜風のようにとても軽やかだった。


            (了)

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2009年3月28日 (土)

『クラスメイト』 - 1/2 -

高校一年の時のクラメイトの『M』(男子)に初めての赤ちゃんが誕生したので、お祝いで仲の良かった三人が集まることになった。

久しぶりに旧友と再開できることは楽しみだった。

本当はというか、当時は四人だったのだが、住む場所が離れてしまったことで、一人が疎遠になってしまった。
疎遠といえば、今回会う『T』についても7、8年ぶりだから、やはり疎遠になっていたということか。

実はその『T』と疎遠になったのには僕自身に原因があるのではないかと思っていた。
なので、待ち合わせ場所で『M』と『T』が来るのを待っている時は、楽しみというより、不安の方が勝っていたと思う。

『M』についても、一緒に酒を酌み交わすのは2、3年ぶりだ。
この歳になるとそれぞれ、日々の生活のペースがあるので、そうそう会えるもんではない。


5分程して『T』が現れた。
『M』に祝いの言葉をかけた後、どんな店に入るかとかを話しながら駅ビルを出た。


数分もしないうちに今風の居酒屋に潜り込んだ。
乾杯の後、注文もそこそこに話し出す。

『赤ちゃん』の話し、『命名』の話し、それぞれの『近況』と、途切れることはない。
おまけに仲居さんのの一人が『M』の前の仕事場で使っていた居酒屋の娘(コ)だという偶然まで起こる。(実は店長だった)
この場の『縁』というものか、

場はいっそう和やかになる。
『なかなかノリのいい娘(コ)なんだよ。』
と言いつつ、名前を思い出せないでいる『M』。

何度目かの登場に『T』がその事をバラしてしまった。
その時の彼女の表情は心なしか、くぐもったように見え、その後、来る回数は減った。
代わりに、運んでくるのは男性か、おばさんになった。

しかしそれは、我々の話しの腰を折らないように気を遣った為なのか、


僕はこんなだから、『T』にこう言われたのだ。

『みのる(実際は本名)は、思い込みが激しいんだよ。』と、

そう、僕が7、8年前に気にしていたような事などはないのだという。

年賀状のやり取りが途絶えたことも、もともとお互いに出すのが遅い上に、
その頃『T』は、着た賀状へのみ送り返していたと言う。
僕のあまりにも遅い賀状(※http://minoru-iroiro2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-7722.html参照)に出すタイミングを失ったということだった。

僕はその言葉に感謝し、宴は現代と高校時代の間を行ったり来たりする。


                (つづく)

  

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2009年3月22日 (日)

『館山ぶらり旅』  - 2/2 -

目印にしていた『環境センター』が現れない。
右に左に緩やかなのぼり坂をゆく。
それでも、緑もあれば、青い空もある。
ゴミ収集車が何台も追い越して行く。
すぐ近くの山の向こうに白い羽根が現れて少し驚いた。
くるくると、風力発電のプロペラがゆっくりと回っていた。
3

『環境センター』付近で通りかかった原付の三輪バイクのヤクルトレディを呼び止め、訊いてみた。
まだまだ先があるのか、『頑張って下さい』と力なく言われた。

道は下りになって、少し楽になってきた。
が、『小網寺』へのショートカットの道は見つからず、30分も歩いただろうか、ヤクルトレディが通ってきたという、『西長田』のバス通りに出てしまった。
それは、又かなり駅方面に戻り、『峠』の反対側の入り口から登っていかなくてはならないことを意味していた。

少し正確な地図を見ながら、「後何㎞くらいか」「後何分くらいか」と心で唱えながら、僕は珍しく疲労が脚にきていることを意識しはじめている。(股関節の近くの筋肉)
自宅前で野良仕事をしているおじさんにも訊いた。

僕はへこたれていた。
このまま駅に向かってバスで帰りたいとまで思っていた。

おじさんが言っていた赤い幟が見えた。
『小網寺』へのとば口だ。
『小網寺まで1.4km』の看板に心の中で溜め息をつき、もうひと踏ん張りと腿(もも)を上げる。

途中途中に赤い幟が立って、その道を知らせてくれる。
まだかまだか、と想いも募る。

そして畑の向こう、幾本かの杉の木越しに角度の有る高い屋根が見えた。
山門をくぐり、正面には階段が、右手に鐘楼とその先に本堂があった。
間違いに気付いたところから、1時間半くらいは経っていたか、


本堂の前には、五、六人の年配の方がテーブルと椅子を並べていた。
安房国観音霊場の十二年に一度(丑年)の御開帳(3/10から4/10)だったので、お参りを済ますとお茶と黒飴をくれた。
『お遍路さん』にたいする『お接待』というものだろう。
お茶も黒飴も僕の疲れきった身体に音をたてて染み込んでいくようだった。

誰もいなければ食べようと思っていたアンパンを出すことはせず、しばらくそこで休んだ。

弘安9年(1286年)在銘の国指定の重要文化財の梵鐘をぐるり眺める。
思っていたより小ぶりだったが、バランスが良いらしい。
乳(ち)と呼ばれる上の方の突起が、よく見るものより出っぱっている思った。
鐘楼のつくりがあまりにも古く、梵鐘が落ちてきやしないかと心配してしまった。


お寺のボランティアの人に『環境センター』からの近道のことや、駅までの近道のことを尋ねてみたが、要領は得られなかった。
地元の人でもよくは分からないところなのだ。
お寺の皆さんにお礼とお別れをいい、階段を上った観音堂を参拝し、『小網寺』を後にした。

また、1.4kmを歩き、元のバス通りに出て、バス停のベンチでアンパンを食べる。
バスの時間を見て、来るまで20分程だったので、また歩きはじめた。
15分くらい歩いて、見覚えのあるところまで来て、バスに追い越された。
結局バスに乗ることなく、駅まで歩いた。

なんだかとても遠回りをしたぶらり旅になってしまった。

(グーグルマップ:距離測定ツールで調べてみたら、館山駅〜城山公園〜慈恩院〜真倉浄水場〜館山市清掃センター〜西長田〜小網寺入り口〜小網寺〜館山駅、全行程で、およそ16kmでした。)


                  (了)


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2009年3月21日 (土)

『館山ぶらり旅』  - 1/2 -

梅を見に館山へ行った。
少し遅いとは思っていたが、城山公園の梅園に花びらを飾るものはほとんどなかった。

ここ館山城は戦国時代末期、里見藩の居城で、有名な『南総里見八犬伝』(「曲亭馬琴」)にも登場する。(『上総』の『館山城』は架空のもので、別ものだそうだ。)

真新しい、コンパクトなつくりの『お城』だ。
Photo

『小田原城』より近くに海が広がるので、なかなか気持ちイイ。
海を見下ろすベンチで、持参の「みたらし団子」とお茶で一休み。
(写真の左側に海が見える)


はじめの一歩だけ決めてのぶらり旅なので、次をどこへ行こうか少し考える。
困った時のお寺参り。
困らなくても、お寺参りが多いですけど。

観光センターで貰った観光マップによると、『慈恩院』というのが、お城の裏手にあるようだったので、そこへ。

『館山城』もそうだったけど、『さくら』の時期に来ていればなと思う。
参道は枝桜の並木道になっていた。

次は、午を過ぎていたが、『那古船形』へは行かず、やはり観光マップにあった『小網寺』へ向かうことに、
『梵鐘』が国の重要文化財に指定されているということだ。
南へ下れば、駅に戻るより近いと思った。

ぽかぽか陽気で、愛犬の足取りも軽かった。
15分は歩いた。
もうそろそろ、見えてもいいのでは、と思った。
が、いつまでたってもそれらしいお寺さんは現れなかった。

さらに20分も歩いただろうか。
『これはおかしい。』
二又に分かれている道の脇、停めていた車の人に訊いてみた。
すると、
『山を越えた、反対側だ』という。
駅の方から戻るにしても、この山、『峠』というのかな、を越えても変らなさそうだった。

観光マップの文字は頭文字がこちら側の道にあり、文字の末が反対側の道に掛かりそうだった。
お寺自体は『峠』の中にあるようだった。
もともと持参していた旅行雑誌の千葉県版の地図を開いてそのことに気付いた。
最初から、こちらを見ていればと悔やむ。

その地図では峠の中から、直接行けそうな道の気配があった。
望みをかけて、峠の坂道に歩みを進めた。

歩きはじめてみると、それほど急な勾配ではなかった。
しかし、僕の両肩には、歩き疲れていた愛犬の入ったキャリーバッグと荷物を入れたズタ袋の紐が、食い込んでいた。


               (つづく)

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2009年3月18日 (水)

『ポスター』 ー ピンナップガール ー

四十歳(シジュウ)を過ぎた知り合いが、今活躍しているタレントのポスターが欲しい、ようなことを言っていたので、
『それをどうすんの?』と訊いてみた。
相手は、苦笑いをするだけだった。
実際どうするのか、といえば自分の部屋の壁に貼るのが一般的だ。

小学生の頃、僕はそうしていた。
いや、中学、高校の頃か。


長屋の二階、お隣のお兄ちゃん『T』君と彼のうちの屋根の上で、ポスターの交換をした。
六つか七つ年上だった『T』君は『桜田淳子』さんのものを欲しがり、僕は『天地真理』さんだった。

小学生の僕が、その頃の雑誌『明星』や『平凡』を買った記憶はないので、九つ年上の従兄弟から貰ったのだと思う。
しかしあのオンボロ長屋の二階、父、母、兄、僕の四人で寝ていた六畳の部屋の壁には貼っていなかったか。


中学二年の春に近所のマンションに引越し、僕と兄で共有する子供部屋が与えられた。
僕らはそれぞれ机とベッドを部屋を二分して置いていた。
真後ろ、もしくは部屋の対角線上に配置し、必ず背中合わせになるようにしていた。

そして僕は自分の机の上、その白く広い壁に、デビューしたての『キョンキョン』(小泉今日子さん)のポスターを堂々と貼ったのだ。

白いワンピースで、レースやフリフリで飾られていた。
B2(728×515㎜)くらい判にバストショットだから、実物より少し小さいくらい。
当時のアイドル歌手お決まりのヘアースタイルに、大きく黒目がちの瞳にバランスのとれた目鼻立ち、白い歯。
『キョンキョン』といえば、とがったアゴ。

やっぱり憧れの人常に見ていられる喜びだろう。
憧れのその人見られているという錯覚(妄想)もあるか。


僕が高校を卒業したら(『キョンキョン』とは同じ学年だけどね)、それは剥がされ、同じ場所には、『ジョン・レノン』のライブのポスター、インドの地図、ラスターマンの肖像、そして『岡本太郎』氏の展覧会のポスターということになる。
浪人を経て、大学。この頃になって少し、社会を意識しはじめたかな。

インドの地図と『岡本太郎』氏のポスターは、物置と化した旧子供部屋に今も、誰にも見られることなく、部屋を飾っている。

『岡本太郎』氏のポスターはB1(1030×728)くらいだったか、
黒地に赤で、横に炎が走っているような、確か漢字の『一』をも表しているとかのもので、とても迫力があって、好きなポスターだ。
(実家へ帰って見直してみたら、『熱情一番 東京をもっと熱くする台東区です。』とあり、『下町LIVE '90 下町LIVE実行委員会』とあった。)


引越をしてもうじき二年が経つが、実は和室の部屋に貼ろうと思っているポスターがある。
神奈川県の『弘明寺』に納められている『十一面観世音菩薩像』。
静かで、包容感のある姿だ。

知り合いから戴いたもので、しょっちゅうお寺や神社を参詣しているので、そうした好みを分かっていただいているようだ。
有り難く、大変に嬉しいものだった。

社会での様々なストレスや、生活を支えねばならない責任を、
優しい瞳と醸し出すオーラ、存在感で癒してくれる。
今の僕が見つめていたいもの、見つめられていたいものになるのか。


                (了)


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2009年3月14日 (土)

『サクラのはなし』

伊豆半島の河津では本州一早咲きの『河津桜』が満開だったそうだ。
(もう随分経っちゃいましたが)

桜と言うと開花前線でおなじみの『染井吉野』かな。

千葉の大原へ行ったとき、ラズベリーのような小さな『サクランボ』が落ちていたので、空のペットボトルに入れて持って帰ってきた。
二か月程ほったらかしてあったのを、実をむいて種にして、およそ5ミリくらいのものを、なんてことのない、ふるいに掛けただけの土に植えてみた。
もちろん芽は出ていない。

素人には難しい。
桜は、苗木から育てるそうだ。
苗木はどうやって育てるのかとWEBで調べていたら、『サクランボ』(食べるためのでなくて)ができるのは、『染井吉野』ではないらしい。
『染井吉野』は、人工交配によりできたものなので、接ぎ木によって生産されるのが普通なんだそうだ。
だから、それは『ヤマザクラ』だということだ。

『サクランボ』をつくるためには、二品種以上の桜が近くに咲いていないとできないらしい。
さらには、もともとの木の性質を受け継がないことが大いにあるそうだ。
或る品種の種子を育てて、花を咲かせても、すべてがその品種の桜になるわけではないというのだ。
なんとも、難しい樹木だ。


卒業、入学の季節、学校に植わっているのは20-30メートルはあろうかという『ヤマザクラ』か。
咲き誇る満開の並木道は壮観だ。
校舎や通学路を覆いつくさんばかりのさくら色に、毎年のことなのに魅せられてしまう。

『ヤマザクラ』は咲きながら、茶色い芽を出し始めるらしく、ここでも僕が思っていた桜とは違うのかもしれない。
日本の国花である『さくら』ではあるが、大好きな花でもあるのに、知らないことが随分とあるもんだ。


もう二十数年前になる。
大学時代の新歓(新入生歓迎)のころだ。4月の幾日かだったと思う。

東京の桜は既に満開を迎えていた。
しかし、僕は大学のキャンパスでそれまでに見たこともない桜の風景を目の当たりにする。

『寒の戻り』と言うのだろう。
なんと大雪が降り、大学のキャンパスを一面、白く覆ったのだ。
二十センチ近くは積もっていたと思う。

『雪に桜』の図は、日本画にあってもおかしくない景観で、とても感激した思い出がある。
雪は風景の色を奪う。
そこに桜の満開の花びらが淡く色をさす。


キャンパスにはそれほど人はいなかったのか、大騒ぎしているのは僕の心の中だけだったみたいだ。
何枚か写真に撮った記憶があるが、その時の写真が見当たらない。
『雪に桜』の記録はなくとも、記憶は僕の頭の中にある。
果たして、それもどこまで正しいのかは分からないけどね。

                  (了)


※ 今年の東京の桜の開花予想は、3/24だそうです。一週間後には満開とのこと。

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2009年3月10日 (火)

『路傍の商い』 ー 小沢昭一的世界

近頃、『小沢昭一』さんのエッセイ集を通勤の行き帰りの何分間かの間に目を通しては、笑ったり、感慨に耽ったりしている。

『小沢昭一』さんは、昭和4年生まれの所謂『戦中派』の方でまだまだご健在である。

僕はそんなおじさん世代の語り口や昭和レトロな噺が大好きだ。
自分の育ってきた昭和のなかで、どれほど残っていたかを感じ取っては感激したり、微笑んだりしている。


『小沢昭一』さんの『言わぬが花』(文春文庫)の中には、『路傍の商い』という項で、香具師の口上のことが書いてあったり、
『行商百態』という項では、「物売り」の声をいくつも上げてみたり、

あさり、しじみェーィ』に始まり、
』『納豆』『下駄の歯入れ屋』『竿竹屋』『鋳掛屋』『毒消(薬売か?)』
『傘屋(直し)』『煮豆屋(なんてのがあったんですな)』『玄米パン』『漬け梅』『あめ屋』『羅宇屋(らおや)』『定斎屋』(が薬屋らしい)
『ゴム屋』『煙突掃除屋』『おでん屋』『どんどん焼き屋

『どんどん焼き』知ってるかなぁ、お好み焼きみたいなものなんだけど、円いお玉で粉を溶かしたのを、『ツルーーー』と垂らしてから、お玉の丸い底でくるくると回しながら拡げて行く、
キャベツの千切り、干しイカ、桜えび、天かす。最後にもう一度、くるくると生地を掛けて両手の剥がしでひっくり返す。
ポンポンとたたいて、濃いソースを回しかけて、青のりふって紅ショウガ。
肉なんかは入ってなかったなぁ。


『どじょう』『豆腐屋』『いわし屋』『かに屋』『金魚』『苗屋(朝顔やヘチマの苗を売っていたらしい)』
僕の知り合いは盆栽を屋台で引いていた。

風鈴屋』『おむかえ屋』(お盆の送り火の後、箸の付いた茄子やキュウリなどのお飾りを下げてもって帰るのだそうだ)
『あんまさん』『シナソバ屋』『号外屋』

さらには『物売りではないが、』として『万歳』『猿廻し』『虚無僧』『法界屋』に『物貰い』まであげている。

それにしても、いろいろとあったもんだ。
僕が体験してきたのは下線を入れた12くらいだ。


『第二次大戦』を機に『道の商い ー 物売りはなくなって、』とある。
『過ぎし、”よき時代”を人々は懐かしがり、物売りの声のなくなったのを淋しがる。』と
僕自身、実際にそう思ってしまった。感心したり、懐かしんだり、…

そして、
『しかし、かつての道の商いは、まぎれもなく、貧民、細民の、やっと生のびる手だてなのであった。』
『大道を流す商いは…(中略)”定着社会”から眺めて”街の風物詩”でも、誰が街の詩になりたくて、…(中略)詩よりも死が問題なのであった。』

百年に一度の不況と言われる昨今、なんだか、昭和49年、今から35年前に書かれたものとは思えないくらいに、リアルな言葉として響いてきた。


                  (了)


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2009年3月 7日 (土)

『K』さんのみた夢

3つのコースには『象』『ワニ』『ヒョウ』がそれぞれ待ち構えている。

透明の四角いケースに覆われたウォータースライダーのコースのスタート地点にそれぞれが並んでいるのだ。

スタートと同時に各人(?)勢いよくすべり降り、水しぶきを上げる。
『バッシャーン!』『バシャーン!』『バシャーン!』

プールに降りてくると次は、底に沈められているガラスの板を拾っては、上へ上へと持ち上げるのを繰り返す獣達。

『おっ!象さんが早いかなぁ』
鼻を起用に使って板を持ち上げる象を眺めている『K』さん。


『見えにくいですよねぇ。水の中のガラスの板は、…』と僕。
『そう、ガラスの板を持ち上げる動作が今の、先の見えない自分の(状況)を象徴しているようで…』
と苦笑する『K』さん。

そう、三度目の登場、ロッカー(ルーム)で話す『K』さんの見た夢の一部だ。


こんなのもあった。

大きな爆発事故がおき、『K』さんの息子さんは瀕死の重傷を負う。
(ちなみに『K』さんは未婚で、お子さんを作られた経験もなく、覚えもないそうだ。)

その重体であるはずの息子さんがラグビーのヘッドギアのようなものを付けている。
そして振り向いた時に見えた後頭部は四角く切り抜かれ、鉄格子が嵌め込まれている。
すると、ガランとした頭の中から、そこに手を掛け、こちらを見つめてくる廃人の瞳が、……!!!

なんて夢まで見て、しかも覚えている。(才能かもしれない)
それを朝のロッカー(ルーム)で上手に話すもんだから、おかげで目も身体もすっかり醒めてしまう。


若い頃はフロイトの『夢判断』とか、読んだりもしたが、夢が今の自分の深層を映し出しているなんて考えると、
とても、誠実で、良識ある言葉を発する『K』さんは、多重人格か(!?)、それとも優秀なストーリーテラーかと想いおこさせる。
「夢」とはそういうものなのかなとも思うけどね。

ご本人も『そんなの(『夢判断』)読んじゃうと意識しちゃいますね。』とニッコリ笑う。
(ちなみに『K』さんは『ウォータースライダー』の競技では、なんとなく『ヒョウ』を応援していたらしい。)
(ちなみに『K』さんの容姿は確かに『ヒョウ』、しかも『黒豹』の印象がある。)


近頃、僕は夢を見ないけど、最近ので気になったのは『色々横丁』(http://iroiro.yokochou.com/
)内、『夢記帳』に、いくつか載ってます。
よろしければ、


                   (了)

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2009年3月 5日 (木)

『パン君』

毎週土曜日、家に帰り食事を終えると、録ってある『 天才!志村どうぶつ園 』(日本テレビ)を見る。

先日見たなかで、定期的に特集されるチンパンジーの『パン君』のコーナーがあった。
チンパンジーはとても頭が良い動物であることは、昔から知られ、
人間の進化についてのヒントを模索する為にか、様々な国、ところで研究されている。


今日の番組は、『パン君』に憧れのチンパンジーができたので、『パン君』とも仲のイイ、園長こと『志村けん』さんが『パン君』を応援し、なんとかその恋(?)を成就させてあげようという企画だ。

番組上、園長と同じチェックのネルシャツとデニムのオーバーオールを着ているのだが、
今回は相手に合わせて、それを脱いでチンパンジーとしてアプローチしていく。

チンパンジー館の中に作られたこたつセットの前で園長とはしゃぐ『パン君』に興味を示したか、
お相手の雌チンパンジー『ポコちゃん』が目の前のベンチの前に現れる。

園長は手始めに、『パン君』に『ポコちゃん』の手を握ることをさせようとする。
『行ってきな』の園長の声に『ウン』と頷いた『パン君』がノッソノッソ、ノッソノッソと『ポコちゃん』に駆け寄る。

ベンチの『ポコちゃん』の横にいい距離をとって座る『パン君』。
『ポコちゃん』はベンチの上で、足までのせて体育座り。(チンパンジーだ)
『パン君』は『ポコちゃん』との間を20センチくらいおいて、お尻だけベンチにのせて腰を掛けている。(人間ぽい)

その後の『パン君』の仕草がたまらない。
手を伸ばそうか、伸ばすまいか。
伸ばす振りをして耳を掻いたり、頭を触ったり。
首を傾げて、どうしようと躊躇っている感じまでが、人間ぽい。

というか、コントを演じているようだ。

あい間あい間に園長『志村けん』さんのところで頷いたり、首を傾げたりのタイミング。
編集の妙ももちろんあるのだろうが、『パン君』の人間ぶり、才能にただただ笑った。


まぁ、それこそ頭の良い『パン君』のことだから、ほとんどが演技で、演出と合わせての番組づくりなのかもしれないが、
単純に動物の表情が可愛いのでそれだけで見ていられる。
ヤラセと思わず、手品を楽しむように、見ていればイイのかなと。

他のコーナーも含め、また来週も楽しみだ。


                (了)

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2009年3月 2日 (月)

『キャラメル』

今日、仕事場で『花畑牧場の生キャラメル』というのを一粒ご相伴預かった。

タレント、田中義剛さんが北海道で経営する牧場の話題のお土産品だ。
あまりの人気に偽物まで現れる噂のキャラメルである。

僕は一箱698円だかの9個入りをいただいたので、一粒75円くらいだそうだ。
(WEBで調べると、一箱850円だけど)

キャラメル包装ではなくキャンディ包装で、2センチくらいの長四角の両端がくるくるとネジられている。
それを解くと、中身の四角いキャラメルが『ヌワァー』と伸びてしまった。

それほど柔らかい噂のキャラメルだ。
だから、手に摘むことはできない。
紙ごと口に寄せて、削ぐように食べるしかない。
可愛らしいパッケージデザインとは裏腹に、決して上品とは言えない食べ方になる。

口に入れた瞬間は

『カスタードクリーム?!』
と思った。

で、すぐその後に

『焦げてるのか?!』
と、そして、

『あー、キャラメル、カラメルねっ!』
と理解した。

こんな上等なキャラメルなんて滅多に味わえるものではない。

『一粒75円。』(850円だと、95円くらい)

『一粒三百米(メートル)』なら分かる。
一箱50円の『グリコアーモンドキャラメル』の『ドカベン』のイラストを集めたり、
山吹色のパッケージ『森永ミルクキャラメル』なんかが僕のキャラメルだった。
明治は赤い色に雪の結晶の模様だったっけな。(花や草の白い陰でした)

柔らかいのだってあった。
『森永ハイソフト』
茶色に赤白青のトリコロールの帯。
確かにあの当時でも感激したものだ。

『こんなに柔らかいのか!!』と。

銀梨の包装紙に一粒一粒、綺麗に象られていたよなぁ。

北海道産の流行りのキャラメルが、僕の昭和の記憶を呼び起こしてくれた。

ありがとう『Y』君。 (キャラメルは彼の帰郷のお土産。)


追伸、その後、夕方の休憩でいただいた『生ウニ』、これまた美味しかった。
重ね重ね『御馳走様』でした。


       (了)

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