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2009年6月

2009年6月30日 (火)

『二つの光』

マイケル・ジャクソン氏が亡くなった。享年、50歳。

エンターテイメントの世界で間違いなく一時代をつくった人だ。

ジャクソンファイブの頃は、リアルタイムで見ることはなかったが、1980年代、僕が高校に入ると日本でもアメリカの『ビルボードチャート』や『MTV』の情報や番組が随分と流されていた。

僕はラジオから流れる曲をエアーチェックし、テレビに映される映像をビデオに録画したりした。

その中でも、マイケル・ジャクソンの存在は特別なものだった。

『ビリージーン』も『ビート・イット』も『スリラー』も『バッド』もみんな衝撃的だった。
見ていて、ワクワクした。
曲にあわせたダンスの振り、キレ、テクニック、その全てに見入っていた。

何度見ても、見飽きることがなかった。
彼の存在を見ているだけで、満足していた。

『ムーンウォーク』も『スリラー』も踊りたいと、ビデオを見ながら、真似をしようとした。
それは、ピンクレディーの振りを覚えようとしていた、僕の一世代後の女の子達のように、僕以外にもたくさんいたに違いない。

プロレスラーの三沢光晴さんが亡くなった。享年、46歳。

金曜、夜8時。NET、現『テレビ朝日』で中継されていた『ワールドプロレスリング』。
家中最年少の僕は、母親の静止を無視して、そのチャンネルをジャックした。

当時、アントニオ猪木氏率いる『新日本プロレス』とジャイアント馬場氏率いる『全日本プロレス』が日本のプロレス界の双璧をなしていた。(もちろん、『国際プロレス』もなかなかいい味を出してたけどね)

僕はどちらかというと、ストロングプロレスと言われた、いわゆる『新日』派だった。
『全日』のエンターテイメント色の濃さに少し抵抗があったのだと思う。

その後、ジャイアント馬場氏が亡くなり、『全日』のエースだったジャンボ鶴田氏も病に倒れた。

『全日本プロレス』は御家騒動の様相を呈し、トップレスラー達は一同に脱退。
三沢氏自らが社長となって、現在の『プロレスリング ノア』を立ち上げた。

何も知らない僕は、これまた、いくばくかの抵抗を感じていた。

しかし、実際はもうこの頃、あまり熱心にプロレス中継を見ることはなかった。


が、ある年の、ある日曜の深夜、日本テレビで放映されていた試合は、話しが違った。

『三沢光晴 VS 小橋建太』

この試合は、(おそらくプロレス大賞の年間最高試合に選ばれたと思う。)まさに『壮絶』の一語に尽き、それまでの抵抗や異和感が一気に吹き飛んでしまうくらいのものだった。

ライティングやカメラワークも『新日』のそれとは、全く違うイメージだったが、そのぶつかり合い、技の掛け合いや受け合いは久しぶりに興奮するものだった。

二人とも、50年そこそこの短い天寿ではあったが、僕の記憶の奥底で永遠の輝きを放ち続ける『光』となることだろう。

               (了)

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2009年6月24日 (水)

『仕事場のネクタイ』

仕事でするネクタイが痛んできたので、家にあったものの中からいくつかチョイスした。

仕事着が白地に赤と黒を基調としているものなので、今までに『エンヂ系のレジメンタルストライプ』、『エンヂ系』と『黒系の幾何学模様』の3本をつぶしてきた。

プリントタイは紡がれている糸が細いので、末端の三角になっているところが、ケバケバと切れほつれていく。
ジャガードのものは、面のデコボコとしているところが擦れて切れほつれていく。

お気に入りのネクタイがそうなっていくことは、とても辛い。


お気に入りのものは、『勝負ネクタイ』として使うことがある。
今日は特別に仕事を上手く進めたいという時に締めていく。

仕事着(ユニホーム)は別として、ネクタイは毎日、違うものを締めたい。
もちろん、シャツもジャケットも変れば、ネクタイも変るわけだけど。

その日、どのネクタイをチョイスするか。
本数自体は何十本も持っているが、結局、するのは特定の何本かに決まっている。

野球の試合で、ピッチャーの持ち玉が、何種類の球種をを持っているのか。
次はどの球で攻めるのか、…
勝負球は、…
なんてのと似ているような気がする。

仕事は真剣勝負だから、…

って、やっぱり、そんなに大袈裟なものではない。

マリナーズのイチロー選手が、今日はどのスニーカーを履いて『セーフコフィールド』に向かうか、ぐらいのものかもしれない。


そして、仕事場でするネクタイだ。

『黒地に赤色の線で、大きなウロコのような模様』が描かれているものにした。

通勤時に、スーツに合わせてする事はまずないであろう代物だ。
他の『淡いブルーと白の市松模様(ダミエ柄)』より、『赤系とゴールドの垂直のストライプ』より先にしてみた。
というより、したかった。

それは、僕の父親がおそらく40年くらい前に締めていた、アンティークなネクタイだ。

いまだ、写真芸術に身を投じている彼のチョイスは、今の僕からすると、奇抜であり、アバンギャルドなものだ。

なので、普段のスーツに合わせることが難しい。
が、仕事場の格好にはこれが、いいように思えた。
また、父親のネクタイを締めるというのが悪くない。


僕はケン・グリフィーJr.がお父さんのグローブを持って、グラウンドに向かうように仕事場に出る。

               (了)

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2009年6月20日 (土)

『ギックリ』

朝、ネクタイを締めて、…
朝、ネクタイを締め…、
朝、ネク……、タイを…

朝、………  ネクタイを締め…、
  ネクタイを………、ネク…あれっ、


一日に、通勤の行き帰りと、仕事場用のものと、三回は同じようにネクタイを締めている。

『セミウィンザーノット』

それなのに、その時はなぜか、五、六回、いや、それ以上に何度やってもネクタイを締められなかった。


クールビズでノーネクタイの期間ができたとはいえ、仕事場ではしているので、15年くらいは毎日のようにネクタイを締めている。
なので、手の動き、運びをそんなに意識しなくなっている。

冷静に、理論的に考えようとしても、できなかった。
忘れていた。ということか。

そして僕は笑った。

今から10年前くらいだろうか、

歳末、クリスマスを前に、店舗の宝石屋は掻き入れ時を迎える。
僕も例にもれず、二週間程休みなしで働いていた。(当時、宝石店店員)

クリスマスを終え、確か12月26日だったと思う。

一日十時間の立ち仕事、ちょっと腰がだるかったのを覚えている。
そして、つい、マッサージをしてもらった。
(これが、良くなかった。)

その瞬間は覚えていない。

しかし、
『あれっ、… 』

『動けない。』

動こうとすると、『痛い』。『痛い』から『動けない』のだが、『痛い』ことよりも、あまりにも『動けない』ことに驚いたくらいだ。

もともと、その年の三、四年前に初めての『ぎっくり腰』を経験していた。
なので、再発ということになる。

まったくこの時も笑ったのだ。
笑うしかなかったのだ。身動き一つせず笑った。(『できず』だけどね)

時間を掛けて身体を横にして、腰と膝を『く』の字にして、
そのまま畳の上で、掛け布団だけ掛けて寝た。
そんな思い出があった。


だから今日のネクタイのことは、脳が『ギックリ』して、記憶も身体の習慣もいつも通り動かなくなったのだろう。

こんな時、人は笑うしかなくなるのかもしれない。

ただ、こうしたことが頻繁に起こるようになるとちょっと笑えなくなる。

              (了)

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2009年6月16日 (火)

『いただきもの』 ー 2 ー

その前日、団塊の世代の先輩『T』さんから思わぬものをいただいた。

『越中褌』だ。

そう、以前に『アンダーウェア』の回で、書いた『おじさん』からだ。
http://minoru-iroiro2.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-c78c.html参照)

『おじさん』こと『T』さんは出張先の『中国』で、僕がこのブログで『Tさんの褌』について触れたことを知ったのだそうだ。
いろいろと世話になっている後輩の『H』から聞き、覗いてくれたらしい。
そして僕へのプレゼントと相成ったわけだ。

かれこれ、五十年はこの『越中褌』をしている。
今はいているものは、全て自分の手作りだそうだ。

真っ白で、まっさらの『越中褌』。

初めて僕が手にしたそれを、そばにいた後輩は、手術の時につける『T字帯』だといった。

1センチ程の太さの紐に30センチ×80センチくらいの晒がひらひらと『T』字を描く。

正直、いったいどうしたものかと思った。


日曜日お神輿を担ぐ前に『T』さんに訊かれた。

『ふんどし、つけてきた?』
『あっ、いやっ…』
『なぁんだよ、せっかく持ってきたのにぃ、…』
『ああ、…』

たしかに、少し申し訳ない気がした。


お神輿を納め、詰め所で後の祭り。
余韻で軽く一杯やって解散。

その後、居候をしている同級生の家でシャワーをいただく。
上がって、いただいた越中褌をつけてみた。
確かにつけ心地がイイ。

しかし、鏡に映った自分のフンドシ姿を見て、下着とはいえ、やはりどうも、…

どうも、ありがとうございます。

『玉子焼き』も『越中褌』も、こうした気遣い、心配りはなんともいえず嬉しいものだ。

僕はその素敵な『いただきもの』にとても感激し、地元の街の心地良さをほのぼのと感じた。

             (了)

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2009年6月13日 (土)

『いただきもの』 ー 1 ー

六月五日から七日までの間、地元品川のお祭りにどっぷりと浸かってきた。

お祭りの会に所属していると一年のうち何度か決まって会う人と一年に一度しか会わない人もいる。
そして今回、何人かの人からいただきものをした。


江戸趣味の先輩『H』さんと町の鳶の頭からは毎年恒例となっている『てぬぐい』を頂戴する。
オリジナルデザインで本人の名入りという大変凝ったものなので、毎年楽しみになっている。

この『てぬぐい』を集めて、『胸割り』とか『エグリ(抉り?)』と呼ばれるシャツを作って着る人もいる。


そして今年は、いただいたものの中に特別なものが二つあった。

僕の江戸趣味の師匠でもある先輩『IT』さんは、お祭りのことはもちろんのお寺や、神社、半纏や帯、浴衣のことなどもよぉうく知っている方だ。

普段お世話になっている『IT』さんにお祭りで食べてもらおうと、母親の手作りの『大根の皮とするめいかのハリハリ漬け』(松前漬け風)を持参した。

その時、『IT』さんの奥さんのお勤めが王子駅からバスで何分かのところにあることを知った。
僕は僕で、つい最近、『都電荒川線』の『王子駅前』で降りて、江戸の昔から有名な『玉子焼き』屋さんを探して見つけられなかったことを話していた。
http://minoru-iroiro2.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-b733.html参照)

お祭りの三日目、その奥さんからいただいたのが、落語『王子の狐』で登場する『扇屋』の『玉子焼き』である。

薄茶の包み紙に、緑と茶と黒の歌舞伎の幕色の紐でくくられた折は古き良き風情を感じさせてくれる。

そしてズッシリと重い。

後輩に切り分けてもらい、皆でいただいた。

酒好きの辛党の人もいれば、下戸で甘党、僕のような両刀使いのものも居るので、好みはいろいろで、賑やかになった。

落語にも詳しい『IT』さんは甘党で、江戸の老舗の味を楽しそうに味わっていた。


『大胆に甘くて、酒の香りと卵の風味がきいた懐かしい味で、ふわふわの食感が嬉しい。』

御馳走様でした。

Photo


             (つづく)

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2009年6月 3日 (水)

『オオトロセンエン』

『ハイ、そこのお兄さん、オオトロセンエン、オオトロセンエンでイイよ』

昔からよく聞く魚屋さんの呼び声。
しゃがれて、エラを響かせているかのような発声、しかも低い。

場所は御徒町。『アメ横商店街』

年末ともなると、必ずといっていい程、テレビ中継が入る街。
なぜなら、お正月の仕度に必要な、おもに海鮮品の安売りで有名な街だからだ。

他にも『輸入菓子』『化粧品』『革製品』『宝石』などは昭和の昔から、結構『安い』店が多い事で有名な街だった。

(以前にもこの街についてはちょこっと書いている。http://minoru-iroiro2.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_6f7e.html

若い頃に洋服や靴、ライターなどを捜しによく行った。
その頃から、この海鮮品を売る通りはよく通っていたけど、自分で買って帰るなんて事はなかった。


『…オオトロセンエン、オオトロセンエン…』

この呪文のような呼び声に誘われて、半野天の店の前に立ち止る。
見ると、幅10センチ、長さ40センチはあろうかという腹のカタチをした『大トロ』の柵の切り身、それがなんと二枚。

うっすら赤みがさしている程度の色み。
どうせ、『ビン長』じゃないのぉ、ぐらいに思っていた。
それでも、元の正札は『3000円』とあった。

『もう最後だから、1,000円。そしたらコレ付けるよ。コレ。』
『タラバ、片足、7,000円の、コレ付けて、2,000円。』

カニはハズレがあるから、いらないやと思っていても、

『じゃぁ、毛蟹、それともズワイ、』
『カニはイイや』と僕。

すると脇から別のおじさんがやってきて、

『うなぎは?うなぎ。富士吉田、富士吉田産。コレ付けて2,000円。』

身の厚い、結構大きめのものだ。それが、二枚。
近頃、安いのは中国産ばかりなので、うなぎから遠ざかっていた。
心はうなぎを欲しがっている。

こちらが、にやけていると、先方に拍車がかかった。
もはや、敵の術中に嵌まったということだ。

『あと、明太子も付けよう、いや? じゃぁタラコ。』
『いいよ。コレも1,000円で、…』

これまた、ぶっといのが五はらか、六はらも入っている。
タラコが高いことぐらいは知っている。
ということは、これはものすごく安いということだ。

『全部で、3,000円でイイよ。もうマグロがタダってことじゃん。買ってってっ。』


『うなぎ』の正札は、2,000円。
『たらこ』の正札が、2,500円。
『大トロ』が3,000円だったから、しめて7,500円。
それが、なっなんと、なんと、3,000円なのだ。

「本当なのか、なんでなんだ」という想いが頭をよぎる。

まったく、あれよ、あれよという間に袋につめられた海鮮品。
『狐につままれたよう』とはこういうことを言うのか。


そのかなり重い袋を下げて家路につくのに、一番心配だったのは、果たしてこれらの『お買い得品』が我が家の冷蔵庫に納まるのかということだった。

               

               (了)

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