スポーツ

2008年9月10日 (水)

『悲願』 –4–

僕ら日本人は、小学生の頃から『リレー』とは慣れ親しんでいる。

リレーはチームワークだ。
バトンの受け渡しは最重要課題である。
僕の中学では体育大卒の教師に、無駄のないバトンパスを習ったりした。

僕ら日本人は小さな頃から『リレー』のチーム意識やバトンパスの技術の向上などを培う土壌があるということだろう。
朝原選手も日本一速い人だった訳だから、ずうっとリレーの選手だったはずだ。


日本チームは朝原選手を良き兄貴として、先輩としてリスペクトしてきたのでこの結果が得られたのだと思う。
しかし四人のうち、誰一人として100m決勝のトラックに立てない日本人選手が、バトンパスの技術でオリンピックの銅メダルを獲得したことは、賞讃に値するだろう。
アメリカチームがバトンを落としたのも技術の問題だ。


マスコミは史子夫人がアスリートで、元シンクロのメダリストであることを取り上げる。
昨年の世界陸上大阪大会での惨敗。
そして復活のドラマ。
人間なんて単純なものだから、もちろん奥さんの「内助の功」もあるに違いない。


しかし僕は、若い頃に朝原選手が世界に近づいたことが、日本人のスプリンター魂が徐々に湧き上がったことが、バトンパス技術を向上させたことが、今回のメダルに繋がった大きな理由だと思う。

日本チームのバトンパスは、アテネオリンピック男子4×100mリレーで朝原選手、末續選手、高平選手とともに、当時チームの一員だった、『土江寛裕』コーチの存在なくして語ることはできない。
バトンパスを短縮する為に様々な資料を収集し、検証を積み重ねたそうだ。
その成果が、今回、バトンゾーンでの世界一のタイムを記録したことに繋がっている。


四人のメダリスト達はレース後のインタビューで口々に日本短距離界の先人達のおかげであることを語った。
世界の壁を乗り越える可能性を見出したとき、朝原選手、末續選手、スター選手らの出現と努力によって現実化してきた。
結果の連続、つまりは日本短距離の歴史が礎となって、彼らは記録を打ち立てたのだ。
そしてその事へ感謝しているインタビューは奇麗事としてではなく、素直に好感の持てるものだった。

それにしても、日本女子ソフトボールの金メダルのウィニングボールといい、
男子4×100mリレーの銅メダルのバトンといい、
結果を手にした瞬間、興奮したアスリートに同じように天に投げられてしまうなんて、
その『悲願』の度合いを物語るにホント、象徴的な出来事だなぁと思った。

                  (了)

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2008年9月 6日 (土)

『悲願』 –3–

『オッ!オッー!』
ブラウン管の中、ランナーを目で追う。
ラスト、アンカー『朝原宣治』選手(36歳)が、おそらく、おそらく、間違いなく三番目にゴールラインを切った。

『やったーぁ!』

この感激の瞬間をテレビ放送とはいえ、リアルタイムで見ることができた。


朝原選手といえば、僕の世代からすると、『末續慎吾』選手よりもずうっと日本のスプリンターの代表だった。
日本人で100m、10秒の壁を初めて破るのではと期待をした選手である。
もう15年来以上になるのかぁ、

陸上で、100走というと『最速』というイメージがあるので、素人の僕にとっては『花形』の競技になる。
古くは、東京オリンピックで金メダルを獲ってNFLダラス・カウボーイズへ入団、活躍した『ボブ・ヘイズ』。
史上初めて10秒を切った『ジム・ハインズ』などの逸話に感心をした。
小学校五年生の時のモントリオールオリンピックのトリニダード・トバゴの金メダリスト(『ヘイズリー・クロフォード』)を真似て、赤と白の横縞のハイソックスを履いたりもした。

もちろん、『カール・ルイス』や『ベン・ジョンソン』の走りや、世界記録に酔いしれた1980年代。
『リロイ・バレル』や『モーリス・グリーン』も『カール・ルイス』のおかげで知るところとなる。


朝原選手は僕と年齢が六つか、七つかの違いなので、世代の感じ方は近いと思う。
(① もちろん、100走の第一線の当事者とは考え方は違いますが、)
(② そんな年頃の仲間が仕事場にいるから、ちょっとは分かるかな、と)

顔や風格なんかは、今年、四十三(しじゅうさん)になる僕より先輩に見えてしまう。
そして、『昭和の男』を感じさせてくれる。

学生時代に日本新記録を三度も更新したそうだ。
その頃のニュースの記憶が僕にとって、『日本短距離界のエース』といえば、
『朝原宣治』選手。というイメージになったのだと思う。

四大会ものオリンピックにでている。
もちろん、個人でメダルや決勝に進出するとは思ってはいなかった。
「準決勝」に進めればそれだけでニュースになるし、偉大なことだ。


『競技』というものは、不思議なものである。
皆がベストタイムで走ることができない。
本番になると国内で選出された時の、5位や6位のタイムだったり、
準決勝4位のタイムが、他の組の1位より早いタイムだったりと、その時の組み合わせやペースでもって、随分と変わってしまう。

今回の『男子4×100mリレー:銅メダル』なんかは良い例だ。
一人一人のタイムの足し算ではない、というのがよく分かる。

               (つづく) 次回は9/10(水)

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2008年8月30日 (土)

『悲願』 –2–

日本のスタジオには『宇津木麗華』さん(『ルネサス高崎』現監督)が彼らの偉業を祝福していた。

中国から『宇津木妙子』さん(『ルネサス高崎』現総監督)を慕い、来日。
帰化して『宇津木JAPAN』の立役者となる。
名字が同じなので、てっきり『宇津木妙子』さんのところに養子に入ったものだと思っていた。
しかしある情報サイトによると、帰化の際、日本名に尊敬する『宇津木』前監督の名前をそのまま取り入れたということだそうだ。


金メダル獲得翌日の朝の某ニュースワイドショーに出演していた『宇津木麗華』監督(『ルネサス高崎』)は、
決勝前日  — というのはソフトボールが特殊な決勝のトーナメント方式『ページ・システム』を採用しているためそう言う表現に —  愛弟子である『上野由岐子』投手から日本に電話があったことを伝えた。

テレビ他、マスコミ、報道では
『大丈夫』
と語っていた上野投手だが、

準決勝と三位決定戦、延長戦を含む二試合21イニング、318球を投げきった後、
日本にいる『宇津木麗華』監督には

『カラダが動かない』

と洩らしていたことを宇津木氏本人の口から語られた。

僕は、世界トップクラスのアスリートと師弟二人の信頼関係を物語る逸話としても、とてもタイムリーなスクープ発言と思ったが、MCもコメンテーターも、それほど喰いつかず番組は過ぎていってしまった。


決勝までのトーナメント、二日で三試合の全てを完投、413球を投げきり、日本女子ソフトボールチームを金メダルへと導いた後、上野投手本人が語った言葉に

『勝ちたい気持ちが強いので勝つことができた』

というようなことがあった。

が、
『身も心も、ボロボロ』と語っていたり、「握力がなくなってきた」「指のマメが潰れていた」などの後日談も出てきた。
それが413球を投げきった身体と強い精神力を物語っている。

死闘を終え、翌日より数々のオリンピック特別番組やワイドショーに引っ張りだこになった。
ある番組は、上野投手が日頃、心においている言葉を語っていた。

『人に負けてもいい しかし やるべきことを やらない 自分の弱さには 絶対 負けたくない』

須永博士氏の著作『絶望より立つ』(七賢出版)にある言葉だそうだ。

これも、上野投手の強い心根を象徴するものだと思う。


優勝の瞬間、『宇津木麗華』さんは、ホテルかどこかの一室でルネサス関係者なのか、二人でテレビ観戦。そこに、おそらく一社の放送局のテレビカメラが待機、密着という様子だった。
カーキ色のTシャツにデニムジーンズとくだけた格好の彼は叫び、連れの女性と抱きつき、テレビの中の、北京にいる上野投手に向って

『ウエノォー、ウエノォー!』

と、くり返し呼びかけるように、そして涙を流していた。


自らの『夢』を愛弟子の上野投手が叶えてくれた喜び。
過去、二度の五輪大会で惜敗し、『銀』、『銅』。
トップを目指すアスリートでしか分かりえない喜びがそこにはあるのだろう。


                (つづく)

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2008年8月26日 (火)

『悲願』 –1–

日本女子ソフトボールがオリンピックで悲願の金メダルを獲得した。

仕事を終え、仕事場の食堂のテレビで独りその瞬間を目の当たりにできた。

『ヨォー!やったぁー!』と声を上げた。

そのまま、選手たちの歓喜の姿を眺めていたら後ろから

『凄いですねぇ、『金』ですねよネ』

と声を掛けられ、

『はい、(おかげさまで)』
とまるで自分のチームが勝って、お祝いの言葉をいただいたような気分だったが、
『そう、『金』、『金メダル』』
と微笑み返しをした。

それくらい、気持ちが入っていたし、嬉しかったのだと思う。
四年に一度のことなんだけどね。

そうソフトボールってのは、僕にとっては、四年に一度、開催される選手権大会のようなものだ。
しかし彼らは、悔しさや目標を糧に日々努力を積み重ねてきている。

過去、『宇津木JAPAN』が何度も、辛酸を嘗めてきたことだけは知っている。
後もう一歩というところで、『アメリカ』や『オーストラリア』などにその最高峰の座を阻まれてきたのだ。
今回だって実際、アメリカに二回も負けているんですからね。

僕の感情移入はその時の試合の惜しい負けぶりや涙や彼らの表情の記憶の蓄積によるものだ。


ソフトボールといえば、『日立高崎』ということは、十年くらい前に勤めていた会社の取引先に『日立高崎』があったので知っていた。
当時、ソフトボールの日本代表といったら、ほとんどそこに所属していたというのを聞いた。
(前回アテネオリンピック大会は15名中7名が『ルネサス』より選出)


今回の優勝投手『上野 由岐子』投手の所属チーム『ルネサス高崎』(正式には日立&ルネサス高崎)は、まさにその『日立高崎』が2003年より名称を変更していたのだった。
総監督「宇津木 妙子」、監督「宇津木 麗華」のコンビだ。
(今回の五輪メンバーは15名中4名)

テレビの解説をしていたのは宇津木妙子さんだった。
『宇津木JAPAN』とは、彼が監督をやっていたころの日本代表チームのことだ。

冷静な解説というより、やはりベンチにいるような、(ベンチにいたらもっと冷静なのかもしれないが)歓声や悲鳴、掛け声の連続だった。

そして、決勝最後のサードゴロをさばく広瀬選手の腕から、ファースト佐藤選手のミットにウィニングボールが納まる瞬間は

『よぉし、よぉぉし、ヨォォォシッ!!!』

と叫び、音声のみではあったが感涙に満ち溢れているのがわかった。

グラウンドで歓喜に包まれる選手たちの中で何人かの選手が、放送席の『宇津木妙子』さんに向かって手を振っていた。

彼女も正に今回の心のチームメイトの一人に違いなかった。


                (つづく)

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2008年8月15日 (金)

JUDO フリースタイル −2−

しかし『講道館』(柔道)のHPには、『朽木倒し』のことを以下のように書かれていた。

『「朽木倒」とは、取は、おおむね瞬間的に片手で受の片脚を内側、又は外側から
とって引き上げると同時に、受の体を後方へ押し倒す技、及びこれに類する技です。

その1 右手で受の右脚を内側からとって倒す 「朽木倒」
取、受、互いに右自然体に組み、取は、右足、左足、右足と後退し、受の左足、右足、左足を引き出し、左自護体となって両手で下方へ抑えてとまる。
受も左自護体となって踏みとどまる。
取はこの時、両手の引きを緩め、右手で押し気味にすると、受は左足を退き、上体を起こして元の安定した体勢に復そうとする。

その一瞬早く、取は、右足を左足の近くによせ、踏み変えて、左足を受の右外側へ腰を落として大きく踏み込み、受に接近して左自護体になりながら、右手を受の右脚内側から膝裏にあてて抱える。』

なんとも、難しい文章だ。

(中略)

『「朽木倒」は、古流柔術にあった技法で、あたかも“朽ちた巨木が根元から倒れる”形状から、技名称が名づけられたものと思われます。その技法は、流派によって違いがあったようですが、明らかではありません。

神田久太郎九段は、『巨人に対する技術の研究』中で、
『戸塚派揚心流(注・講道館創始期に対決した流派)の山本欽作師範に「朽木倒」の教えを受けた』と述べています。 (『柔道』講道館刊・昭和32年5月号) 』

『巨人に対する・・・』なんてところからすると、『柔よく剛を制す』為の技であることがうかがえる。

(中略)

『『天神真揚流・柔術極意新習図解』にも類誌した技法が記されています。「投捨」(ナゲステ)二本目に「朽木倒」の技名称で解説しています。現在の乱取技の「朽木倒」の原形を識るうえに参考となりましょう。

この技法は、互いにすすみより、間合いに入って、受が打ちかかってきたとき、取は、その一瞬早く、勢いよく跳び込みながら、右掌で受の胸部を強く突くと同時に、左手で受けの右脚の膝裏を外側から払って倒す、要領です。

柔術では、投げるだけでなく、極め倒して、相手を完全に制圧することを目的としており、乱取技とは違いがあります。』

(『講道館』HP:http://www.kodokan.org/j_waza/kuchikitaoshi_j.htmlより)

こういうのを読むとれっきとした、熟練を必要とする『技』である。

ワールドチャンピオンであった鈴木桂治選手も狙われてしまったに違いない。

それにしても、"世界JUDO"はどこへ行くのだろうか?
日本柔道の未来は、どうなるのだろうか?


                      (了)

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JUDO フリースタイル −1−

8/14 男子100kg級 鈴木桂治選手まで、やられてしまった。

『日本柔道は、風前の灯』

はて?本当にそうなのか?

『ハジメイ!』

アメリカのコミック映画の空手家のように、腰を引き、両手を胸の前に出す。

相手の袖や、襟を取るのに、右手、左手、二本の手を交互に出したり、引いたり。
空手チョップで、相手の袖を切り離しはなしたり。

腰を引いているのに長い手が、片足の道着、足首か、膝の裏か、腿か、掴んでくる。
そのまま、がむしゃらに敵の片足にしがみついて、前へ突進。

「『朽ち木倒し』だぁー!」
                  
しかし、なんとか、ケンケンをしながら持ちこたえていたら、片方の腕が離れ、もう片方の足に巻き付いてきた。
両足の裏は会場のライトにさらされて、完全に身体が宙を舞った。

「『もろ手刈り』に移行だぁー!」

『non,non. 片足タックルから、両足タックルへの移行ですよぉ。』

『うーん、近頃のJUDOはこんな技ばかりなんですかね。』
『ええ、コレはフリースタイルですから、足腰と背筋、腕力、が肝心な競技です。』

『古来より受け継がれている日本柔道は、オリンピッック競技から外れました。』
『えっ!?そうなんですか?』
『はい。それと似たスタイルでは、手で足を掴まない、"ジャポネーゼスタイル"がありますから、フリースタイルで楽しめない方は、そちらで楽しんで下さい。』
『リオデジャネイロ大会からは"柔術"も試験競技として行われます』
 
なんてどうでしょう。

レスリングも、フェンシングも、自転車や馬術、カヌーだっていろんなクラスの違いや競技の違いがあるんだから、いっそのこと、今の世界JUDOとは違うんだということにしてしまえば、いいのだ。
そうでないと、日本人が朽木倒しや諸手狩りの練習ばかりしていては、『柔道』が滅びてしまう。

だから、鈴木君よ、泣かないでくれ。
もちろん、悔しいのは分かるけれど、日本柔道の未来はオリンピックに見つけることは、非常に難しいことだと思うよ。
欧米主体のルール改正はあっても、日本発信の競技であったって、改正がされることはないでしょうから、何なら、出なくたっていいじゃないですかぁ。

負け惜しみでなく、見てらんないし、正直、面白くないですよ。
こんな、JUDO。

                 (了)


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2008年8月13日 (水)

『一本!』

8/11の柔道は、女子57kg級、佐藤愛子選手、男子73kg級、金丸雄介選手の二人が、早いうちに負けてしまい、敗者復活戦へとまわった。
しかし、二人は三位決定戦の試合にたどり着くことすらできなかった。

テレビを見ていたら、二人はお互いに、『似ている』タイプということだった。
それは、現代の世界"JUDO"基準のポイント制になじめているということだった。

『勝たなければ、意味がない』というようなことを言っていた。
勝つ為には、こだわりを捨て、ポイントを稼ぐJUDOをすることができるということを言っていた。

番組では、そのコメントのすぐ後、スタジオにいる古賀稔彦さんに、話は振られた。

『・・・日本人は体格差とかもありますので、やはり、一本にこだわる柔道をやっていって欲しいですね。』
というようなことを厳しい顔で言った。(確かフジテレビだった)


『平成の三四郎』と呼ばれ、『一本勝ち』にこだわるその柔道は人々を魅了した。
彼の一本背負い投げは、膝がしっかりと伸びて見事な、美しい技だった。
動画サイトで見直してみたが、それはそれは見事なもんだ。

柔道は自分でもやっていたせいか、見ていていつも、ワクワクドキドキしている。
身体が畳の上にあるかのように力が入り、右に左に動いてしまう程である。
そして、一本勝ちが決まる瞬間、僕はそのドキドキから解放され、咆哮をあげてしまう。


8/12、女子63kg級の決勝は谷本歩実選手の本当に見事な一本勝ちだった。
彼女は前回のアテネ大会からの連覇で、今回の北京大会とオリンピックでの戦いのすべてを一本勝ちで飾っている。

優勝後のインタビューで彼女は言った。
『・・・一本(を取る)柔道を教わってきたので、』
『今後柔道をやっていく子供たちに、一本をとりにいく柔道を教えていきたいと思います。』

嬉しさを抑えきれない中での笑顔のインタビューだったが、彼女は『一本勝ち』にこだわる柔道が日本の柔道なのだということをテレビの前でアピールをしてくれた。
もちろん試合も、相手の力を利用した奇麗な内股が決まり、声を上げる程、気持ちが好かったが、
それにしても、なんと気持ちの好い勝利インタビューだろう。

インタビュー後、スタジオに場面が変わるとそこには、前回大会のコーチ、古賀稔彦さんが満面の笑みを浮かべていた。(今度は東京12チャンネルだった)


現代の柔道にはいろいろ思うところがあるのだが、今日の谷本選手の金メダルは、日本だけでなく、世界の柔道家たちへ、柔道に励んでいるすべての少年少女たちへ感じ取ってもらいたい。

               (了)


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五輪の不思議 -1-

「谷亮子選手とアリナ・ドゥミトル(Alina Alexandra Dumitru)選手の準決勝の試合は柔道ではない。」
そう思った。
組み手の取り合いに終始してしまい、技の掛けあいなどはみれらない。
空手のように見えたのは僕だけだろうか?
まぁ、それも一つの間の取り合いと言ってしまえば、是か。
でもそれは、組んでからの方が見てる方は、楽しいんだけどね。

銅メダルが決まった後も、表彰台でも谷選手の表情の暗かったのは、息子さんがウィルス性の病気で高熱が出ていたからではなかったのか、
その病状が気になっている以上、母である谷選手は、たとえ金メダルを取ったとしても、そんなに晴れやかにはならなかったのではないだろうか、


『これが(柔道が)僕の仕事です』
と言った、
内柴選手には、神様が金メダルを落としてくれた。
シドニー五輪での篠原選手への誤審問題は有名だが、
あっ、やられた、と思った今回の内柴選手は諦めずに寝技(関節技)に移行したことで、金メダルを奪取した。
四年間の練習が苦しかったり、勝てなかったり、怪我を乗り越えたり、といったことは誰しもあることだろうが、その中でも金メダルを獲ることができるのは、その競技で一人しかいない。
(陽が当たるのは、ほとんどが勝者にのみのことだけれど)


アテネ五輪女子マラソン金メダルの野口みずき選手が腿の筋肉を痛めて出場が危ぶまれている。
代表選手達は誰の為に出場するのか、
自分のため、日本のため、日本陸上競技連盟のため、スポンサーのため?

怪我をして不完全な人が日本の代表であること、は是なのか否なのか?
どうして補欠選手を用意していないのか?
金メダルを目指すことが、日本の為なのか、
金メダルが取れなくてもイイから、野口選手に出てもらうべきなのか?
野口選手以外ではなぜ駄目なのだろうか?


バドミントンの代表選手についてマスコミは『オグシオ、オグシオ』と小椋、潮田ペアのことばかり取沙汰していたが、
前回大会の覇者、現世界ランキング一位の中国人ペアを破った末綱、前田ペアのことを、どうして知らんぷりしていたのか、
今日になって『スエマエ、スエマエ』と言い出している。
ビーチバレーのときもそうだが、マスコミは話題性の高い、見映えのする選手、結局は金(かね)になる選手を追いかけるしかしない。


そういえば、開会式は様々な演出で人々の目を楽しませたようだが、あの長い時間を楽屋で待ち、
入場してからも、207の国と地域の選手達の入場にまた三時間もかかり、あの蒸し暑い中、誰も文句はいわなかったのだろうか?

皆、自分が悔いのないよう、しっかり楽しんでくれればいいですけどね。
こちらは、ゆっくり楽しませてもらってますから。

                       2008/08/11

             (了)

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2008年7月25日 (金)

二つの星

野茂(英雄)投手が引退を決意した。

彼が日本プロ野球史に残るスターの一人であることは、誰もが認めるところだろう。


両手を大きく振りかぶり、肩が首の後ろへまわるほどのワインドアップモーション。
上半身をゆっくりと大きく右後方へひねる。
打者の立つバッターボックスに己のユニフォームの背番号を見せ、十分の溜を作る。
グローブの中でボールを掴み直しているかのような瞬間。
肩越しに眼光が敵を威圧する。

そして、身体は弓の如く反り返り、右手が鞭のように撓り(しなり)、
やがて、矢は放たれる。
150km/hを越える豪速球。
スピードとキレ、落差のあるフォークボール。

三振をとっても、ストライクが入らなくても、その表情には、浮ついたところも動揺も見られない。

僕らは三振を期待した。


それは王(貞治)選手のホームランを期待するのと同じだ。

昭和四十年生まれの僕は、小学校三年生の時に引退した長嶋(茂雄)選手よりも、
王(貞治)選手の方が好きだった。
そして、記憶にも残っている。


投手と対峙する左打席。
刀を上段に構え、すり足で間を測る。
敵の放つ攻撃と刀が交わるとき、
すっ、と右足が宙を舞う。


一本足からくり出されるバットが、百八つの縫い目が唸る速球を真芯で捉える。
肉も骨も断つ居合。
白球は天空を駆け、笑顔で迎える群衆の中へ。

ホームランを諦め、軽く出したバットが、「王シフト」でガラ空きの三遊間にボールを転がすヒット。
なんとか、打ち倒そうという敵投手陣の執拗な内角攻めや、挙げ句の果てのデッドボール。
威圧に呑込まれたか、手元がおぼつかずフォアボール。
恐れをなしての敬遠、優しくバットを置いて走り出す立ち居振る舞い、そのすべてが王選手の良さだった。


『トルネード投法』、『一本足(フラミンゴ)打法』。
『静』から『動』へ、躍動する大胆なフォーム。
『ドクターK』、『ホームランキング』。誰もが認める実力。
『努力家』『ひたむきさ』『謙虚さ』といった人間性まで似てみてしまう。

唯一無二の、日本プロ野球史に残る二つの個性が、重なり合う。
記録と記憶に残る『二つの星』は、いつまでも野球少年の心の中に光り輝いていく。


                   (了)

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