旅行・地域

2014年1月27日 (月)

『 モノクロームの山道 』

とある北関東のお寺に御詣りへいった。

『今から千二百余年前に修験の行者、役の小角によって「観音の霊窟」(鍾乳洞)が見つけられ、天平神護元年(765年)日光山繁栄の源を作られた勝道上人によって開山され』
『弘法大師御作の千手観音菩薩をご本尊とする坂東三十三観音第十七番札所』にもなっている古刹にだ。

  

 最寄り駅から、市の運営と思われる『ふれあいバス』で五十分ほどの道のりを揺られることになる。

  20人ほど乗れるマイクロバスに乗客は私のみ。

  別の市内循環バスには数人の通勤、通学の利用者があった。

  車が発車する。

  朝の8時過ぎだったが、駅前通りは田舎の町らしく人通りも車の量も少ない。

  片側二車線の県道を経て、間もなく田舎道に。

  田んぼや畑が、役目を終えて疲れはてているかのよう。

   遠くに雪化粧を施した連山が見えたのは良かった。

 終点の観音様のバス停まであと15分ほどとなり、景色が変わった。

 採石場である。

  砂利石は山から掘られるのか、と考える。

  山砂、海砂とあるのは知っていたが、その粒の大きさのものは、海じゃないかと思っていた。

 車窓から山を見上げると確かに削り取られている。

『山肌がギザギザ』になっていた。などと想っていると更に景色は一変した。


  辺りは道も、建屋も、工業用機材も全て白くなっていた。

  塗られたり、吹き付けられたりしたのではなく、白色そのものになっているようだ。

  良く間違えば、地中海の街並みのように見えないことも、……、いや、それはないか。

  石灰をつくる工場やダンプに積載する車庫が道の両側に構えていたのだった。

  コンベアーや排出機材、さらにはダンプカーが、舞い上がる粉塵がこの白い世界を作り上げているのだ。

  街全体が彫刻のようだ、

   活動しているのに凍結したように見えるのも、白一色に染まっているからだろう。

 石灰岩が採れるんだなぁ、とまた、車窓から山を見上げたりする。

 そしてこの石灰が高層ビルや防波堤なんかに姿をかえるのか、と想い、耽る。

  ダンプカーが地を唸らせ道を行き交う。

 この『白』と言っていたけど、やはり『灰色』がかっている。

 石灰が素だから、当たり前かもしれないけどね。

  

 暫くして観音様に到着。

 観音様の奥の院には鍾乳洞があるという。

 鍾乳石で自然に作られた十一面観世音菩薩まであるのだ。

 帰りのバスの時間を気にして、見には行かなかったけど、これも石灰の山だからだろう。


  帰り道、また石灰工場を通過しかかって、

『あっ、カメラ。』と思うも、仕度をしたときにはもうその白の世界は終ってしまった。

 少し降りたところには、海に沈められるテトラポットが置かれたりしていた。

 とても絵になる風景だったのになぁ、と舌を打つも、走っているバスの車窓から何が撮れるのだ、と自分に言い聞かせる。

  

  1200年以上の昔、修行僧や宮大工や仏彫師がこの山奥にお寺を作っていた頃、誰がこの山を削リ出すことを想像しただろうか。

  通りかかっただけのその白の山道は、歴史ある古刹より僕の記憶にしっかりと刷り込まれていたのだった。

                (了)

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2013年5月 8日 (水)

『 三春桜 @福島 』

GWに行ったのではありませんよ。

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2012年5月 8日 (火)

『 リターンマッチ 』 ー  城ヶ島  ー

去年の夏、45歳で若葉マークを取得、半年後に車を手に入れた僕は二回目のロングドライブ(といっても高々100Kmくらいだけどね)に三浦半島は城ヶ島に出かけた。

城ヶ島自体が初めてで、運転に不安や緊張は付いてまわったが、当日は天気も良くなかなかの行楽日和だった。
三崎の大橋を渡ると、そこが城ヶ島で平日の観光なので、島自体はかなり静かな印象だった。

バスロータリーの端にある食堂でワカメラーメンを食べ、灯台を見て回るのに車をそのまま停めさせてもらった。

灯台までのちょっとの参道には二、三件の土産物屋があったりして。
そして、灯台へ行く階段の麓にその店はあった。
ハマグリやサザエ、イカにマグロだ。

ラーメンを食べた後とはいえ、飲ん兵衛の触手はひくひくと動き続けていた。
他にもいくつかの店はあった。
土産物屋で『マグロまんじゅう』を食べたり、荒井浜海岸でアイスコーヒーを飲んだりしたけど、暑くなりはじめた太陽の輝く空と青い海を前に、ビールの一杯も飲めない旅行なんて、憧れの女性を眼の前にして、本を読んでいるくらいに情けないことのように思えた。


そして今回は、京急こと京浜急行快特に乗ってのリターンマッチだ。
三浦海岸で降り、劔崎経由のバスに乗る。
時間が早いので、劔崎で降り、『かながわ景勝50選』に入っている『劔崎灯台』へ。
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キャベツ畑を横目に灯台へ。 
鋭い岩礁や青い海を眺めながら、駅前でかったビール(500ml)を2本。
小一時間もいただろうか。 
そして、三崎東岡行きに乗り、三崎大橋でバスを乗り換え、城ヶ島へ上陸。
目的地はもうすぐそこである。

と思ったら、前回には気付かなかった定食屋が、すぐ目と鼻の先にあったのである。
コチラには『しらすの釜揚げ』や『カワハギの刺身』という強敵まで現れた。
普段は優柔不断の僕ではあるが、今回は違った。

そして、去年入れなかったその店に僕は入ったのだ。
『マグロ、イカ、甘エビの刺身』『ハマグリ焼き』『サザエのつぼ焼き』『イカの一夜干し焼き』の定食。
せっかくだからと『マグロのカマ焼き』を追加で注文。
贅沢な昼飲みである。

海の近くで、磯の香りを感じながら、飲めて、食べていられるとそれだけで美味しいし、幸せを感じた。
酎ハイを3杯くらい飲んだところで気持ちが良くなって居眠りをかきそうにもなった。

やっぱり海は車で行ってはいけないということだ。

そして僕はリターンマッチを制したのである。
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               (了)


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2011年5月11日 (水)

『 花 見 』 -2-

今年の花見は、』去年のやり残し、見ることができなかったところへ行こうというのが、一番の目標だった。

それは日本三大桜の一つ、『山高神代桜』(ヤマタカジンダイザクラ)。
http://www.hokuto-kanko.jp/sakura/sakura_yamataka.html
山梨県は北杜市の実相寺境内にあるおよそ樹齢2000年の『エドヒガンザクラ』の古木である。
行く前にウェブの写真で見るかぎりでは、いわゆる樹木の形状ではない。
異様ともいえる。
その桜の現物を目の当たりにしようということだった。


実相寺までのバスが出ている韮崎駅に降り立つ。
韮崎といえばサッカー『中田英寿』氏が思い浮かぶが、駅前のロータリーにはサッカー選手のモニュメントや花壇の飾りにサッカーボールが施されている。

そこからバスで3−40分。
ガイドマップにはこのルートにいくつかの桜ポイントがあるが、まずは神代桜へ直行。

途中、バスの中から『わに塚の桜』を眺めることができた。
野っ原の真ん中、小高くもり上がったところに立つ一本桜に結構な人だかりがしていた。

わに塚の桜は『日本武尊の王子武田王の墓、前方後円墳、王仁族が住んでいた所と諸説ある場所として知られ』ているそうで、
また、『日本武尊の王子の武田王がこの地域を治めた後、埋葬された場所なので「王仁塚」と呼ぶようになったともいわれて』いるのだそうだ。(『富士の国やまなし 観光ネット』より)ttp://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4881.html
時間があれば帰りに寄る予定にする。


実相寺に着くと観光バスや自家用車も沢山いて、かなりの人出。
出店もたくさん立っていてワクワクしてくる。
煙や香りがたち、ひといきれが花見のムードを盛り上げる。
気温が上がり、Tシャツ一枚でちょうどよい爽やかな気候。

大きな桜が何本もあり、いつその姿を現すのか少しドキドキする。
なにせ、二年越しである。

人だかりある場所にそれはあった。
『山高神代桜』登場、といった大御所ぶりである。
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これが、樹木なのかと疑いたくなる幹は荒くれた岩のようだ。
ほとんど遺跡とも言えそうなその幹から老婆の腕のような枝を伸ばし満開の桜を咲かす姿は、もはや奇跡と言った方がイイ。
一番太い枝は重いからか、元からその腕をもたげていた。Photo_7
そして自らの力で支えることができない為に、コンクリートの柱をあてがわれている。
さらには、直径三寸はある丸太ん棒を何本もあてがっている。


柵に囲まれた桜をぐるり眺め見れば景色も様々だ。
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いにしえの昔、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がこの地に立ち寄った際に、自らの手植えたと言われているだけあって、厳かで居丈高なることはなはだしい。
神代桜のすぐ前にテーブルを出して、パンフレットを100円で売っているお婆ちゃんがいた。
この桜の保護にあてられるというので、買ってみた。

1922年、桜として初めて国の『天然記念物』に指定されている。
昭和23年には『3年以内に枯死する』と宣告されてから、樹勢回復に向けて再生工事を行ってきたのだそうだ。
『詳細な調査により、樹勢の衰弱は根圏における環境の急変や悪化が最も大きく影響している』と考えられ、大規模な土壌の入れ替えにより、有用な土壌微生物により土壌の生物性を高め樹勢回復に、……』と詳細が文章や写真であらわされていた。


好天の空のもと、満開の桜を眺めながら八ヶ岳のハム、ベーコン、フランクフルトの炭火焼セットに舌鼓を打って、ミルクソフトクリームに別腹を満たした。

テレビ番組のロケでお笑い芸人さん達が7、8人現れて、花見客もそちらに流れた隙に神代桜の写真をパチパチ撮った。
他には、この神代桜の子桜や昨年見に行った『身延山のしだれ桜』の子桜など、全国から集められた桜の名木の子桜が植えられている。

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身延山のしだれ桜の子桜

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              滝桜の子桜

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見応えも居心地も良く、ずいぶんと長居をした。

帰り道、『わに塚の桜』には降りることはせずに車窓からシャッターを切ることに。
すると逆光に輝く一本桜は、偶然とはいえなんとも幻想的な風景を僕のカメラに残してくれた。

出発を躊躇った今回の桜巡りだったけれど、いくところ全てが見頃で天候にも恵まれた。
こうした旅ができることを本当に幸せだと思った。

               (了)
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わに塚の桜

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2011年5月 5日 (木)

『 花 見 』 -1-

とにかく、毎年恒例なので、『花見』に出た。

出る間際まで、僕は躊躇っていたので、予定より3時間も出発が遅れた。

高速バスはいつものように新宿駅は西口のバスターミナルから出発。
およそ2時間の道のりで、中央高速を降りて一つ目の、『勝沼ぶどう郷』近くのバス停で降りる。

国道20号をてくてくと15分ほど戻るように歩いて行く。
振り向けば、南アルプスを望む。 
正面の山の麓に桜の木とそれらしい大きく趣きのある屋根が見えた。
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0001
柏尾山『大善寺』。(真言宗智山派)http://www.katsunuma.ne.jp/~daizenji/index.html
別名『ぶどう寺』というのだそうだ。
養老二年、僧行基が甲斐の国に訪れ、修業したところ満願の日に夢の中で葡萄を持った薬師如来が現れ、その事を喜び、同じ薬師如来像を刻んで安置したのが、この大善寺とのこと。

関東一古い本堂『薬師堂』及び『厨子』は国宝に定められていて、なかなか見応えがあった。Photo_17本堂内にある『日光・月光菩薩』は修復中で現物を見ることはできなかったが、十二支の守り本尊として、『十二神将』が飾られており、個性的な像の表情は見る価値ありかと。
(ちなみに私は巳年なので『珊底羅(さんちら)大将』。)


地図もなく歩き出し、とぼとぼと『勝沼ぶどう郷』駅まで30分近くかかってしまった。
かなりの桜並木が見えてきたと思ったら駅だった。
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続いて『塩山』から『慈雲寺』の『イトザクラ』を目指す。
駅からバスで、『粟生野橋』下車。
まずは途中の『周林禅寺』のしだれ桜を観賞。
門の傍らに立つ一本桜。

少し歩いていよいよ『慈雲寺』へ。Photo_19小学校の角を曲がるとそれらしい雰囲気がして、細い道にはいくつかテントの出店が並ぶ。
『ももジュース』が甘くて美味しかった。      

お寺の土塀越しに大きな桜が、
手前には菜の花が、
人出も出ている。
境内に敷かれた木の板を、人々が行き来する足音がとてものんびりしていていい。

『慈雲寺の糸桜』は樹齢およそ300年だそうで、デカイ。0001_2

その立ち姿は、巨大な妖怪のようで、『宮崎駿』さんの映画にでも出てきそうだ。
なんて、昨年の『身延山のしだれ桜』の時にも、話していたりして。(http://minoru-iroiro2.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-4adb.html)

その桜にのまれるように満開の木の下に佇んだり、カメラを構えたりする人々。
心地よい春の風が吹くと糸桜の名前の通り糸のように垂れた枝がゆらりゆらりと。
時にはすさび、なびいてみたり。

出店の脇には桃畑がある。   Photo_3
この旅で印象的な一つが、桃源郷でもあった。
低く育てられた桃ノ木の群生が見事に色づいていた。

もう一つ、随分と色の濃い桜だと思っていたら『アーモンドの花』だと言う。Photo_2
中学の学生服のボタンのようにくっきりと桜のカタチを作っているのに。

桃と桜と梅の実は皆似ているけど、アーモンドはどうだろう。
ひょっとして、僕の知っているそれは、『種』で、『実』の方は桃とかサクランボのようなプリンとしたものなのだろうか。

               (つづく)


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2011年2月14日 (月)

『 大山詣り 』 ー6ー

帰りは『見晴し台』経由で。0001勾配は楽なはずだが、距離は長い。
ガイドマップでの所要時間は、10分長い。

過去に道に迷ったこともあるので、少々不安。
更に……。

下りは上りよりもむしろ、僕の脚への負担が大きかった。交互に均等に足を出すなんてことはできなかった。
痛い右脚をかばいながらゆっくり歩いた。
重くなった身体を恨み、年齢の変化を実感した。

『見晴し台』はなかなか現れなかった。
もはや、景色などはどうでもよくなっていた。
が、北側斜面には雪が残っていた。
いつの雪なのだろうか。

一時間近くたって『見晴し台』が現れた。
脚を休めていると山の空にスピーカーからアナウンスが響いた。

ケーブルカーの下り最終便が、午後4時半であることを伝えていた。
そして現在時刻は午後4時10分を過ぎようとしていた。
僕は今回、なぜかまったく予期していなかった。
帰りのバスの時刻表は写真を撮ってメモってきたのに。

といっても始まらないので、腰を上げ、少し足早に歩きはじめた。
時計を見ては、脚をかばいして歩いた。

しばらくして、赤い幟と小さな祠が見えてきた。
近づくとその祠の向かいに流れていただろう川にとてつもなく大きな杉の木が二本倒れていた。0001_2祠は『二重社』といって阿夫利神社の『高龗神(たかおかみのかみ)』が祀られている社だそうだ。

このすぐ隣には『二重の滝』なる滝が流れていた。元は修験者の禊の行場だったそうだ。
また、江戸時代には大工、鳶、左官職人の代表者が『二重の滝』に打たれ、身を浄めてその年の賃金を決議したといわれているそうだ。

ここで、気になったのが、『呪いの杉』だ。
まさか、すぐそこに倒れているあの二本の杉の木がまさか、……。

横の案内板になんだか恐ろしいことが書いてあって、もはやケーブルカーの最終をあきらめて少し長居したのにそんなものを読まなければよかったと思ってしまった。

そして下社方面へ向かうともう一つ社があって、まもなく見覚えのある建物群が見えた。0001
やっと下社についたぞ、と思ったその時、眼の前に動いているおそらく野生の『鹿』が現れて、僕は一瞬たじろいだ。


下社の茶店ではおばさんが終い掃除をしていた。
おばさんと少し話した。
終電を15分を過ぎていた。
もはや観念し、結局、灯りがある女坂を又下りることになった。

『大山寺』も掃除をしていた。
実は『眼形石』の観音様は帰りの道で気付いた。
もう暗かったので、写真はあきらめたが、僕は少し立ち止ってその景色を眺めた程。

往きよりは早く下りることができたが、身体はかなりくたくただった。
ケーブルの駅の分岐点の辺りから下の旅館の灯りが見えた。
そこは老舗の旅館で日帰り入浴や食事だけも大丈夫なようだ。
そして僕には愛犬がいるのだが、こちらには表にも食べるところがあったので、ひょっとしてと思って尋ねてみた。
正直、願う気持ちもあった。

もう終わりそうだったのだが、たまたま日帰り入浴のお客さんが居たので、ほぼお終いのタイミングだったのにもかかわらず『簡単なモノなら、……』と注文を受けてくれた。

『助かったぁー。』と言ったら大袈裟かもしれないが、本当に嬉しかった。


『まずはビール』。0001_5
念願の『ビール』だった。
さらには『おでん』と『山菜蕎麦』を注文させていただいた。
お店の中をちらりと拝見するとそれこそ僕が大好きな『江戸趣味』の世界が店内を飾っていた。
江戸文字の大判の木札、『招木』がずらりと並べられていた。
0001_2美味いビールと美味しいお蕎麦、おでんを食していたら、今日の疲れも脚の痛みもすっかり良くなっていたような気がした。


               (了)

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2011年2月11日 (金)

『 大山詣り 』 ー5ー

頂上までまだ半分以上あるのか。
歩いていて、今流行りの体幹なんかが鍛えられてるなぁ、と実感していた。
股関節、腰周り、腹筋のいわゆるインナーマッスルとか。

そういえば今回、愛犬が本当に良く歩く。
以前からそうなのだが、なぜだか階段が好きなのだ。
近所の散歩こそ嫌いなくせに、ここぞとばかりぴょんぴょんぴょんぴょん跳んでいく。
こちらがヒーヒー言っているのなんて、お構いなしだ。
体重が軽いといっても、自分よりも高い石段を駆け上がるのだから、並大抵ではないはずだ。


鬱蒼とした山道が明るくなってきた。
開けたんだ、頂上だと思ってしまった。
するとそこは久しぶりに南側が望める『二十二丁目』の『富士見台』。
雲がかった富士山もそこそこに足を止めずに上へ。


次第に自分の身体がキツくなってきた。
一歩一歩確実に、時には膝に手をあてがって足を踏み上げる。
もともと二足歩行なんて重力に逆らった姿勢で歩いているのに、更に高みへってんだから、人間てのは物好きだ。


途中、二人の人に抜かれた。
おそらく我々は本日最終の登頂者になるのだろう。

山は早く登るもんだ。
天候の急変やカミナリとか危ないからね。
茶店のおばちゃんもまさか登るとは思っていなかったのではないか。

『二十五丁目』くらいか、一丁目毎が長く感じられてきた。
そして僕の右膝が、とうとう悲鳴を上げはじめた。
右脚で踏ん張っていたのだと思う。
『もう少しだ。』
と思いつつ、かなりキツくなっている自分を冷静に見る自分もいた。


鳥居が見えた。0001もう後わずかだということだろう。
また、鳥居。
その向こうに見覚えのある赤い色の建物が。
頂上にある『前社』だ。
いわゆる荘厳な下社のような朱塗りではない、後から塗ったような絵の具のような赤色の建物。

やっと辿り着いたのだ。
そして売店があって、『本社』があって、『奥の院』もあるが、皆シャッターが閉まっている。
残念。
やはりシーズンオフということだろう。
それでも小さな口から、お賽銭を投げ入れ『二礼 二拍手 一礼』。

富士山もさっきよりは見えていたが、相模湾を見下ろす眺めに終始してしまい心残り。

で、その頂上だが、とにかく寒かった。
手袋を脱いだら、あっという間に手がかじかんだ。

さらしている肌が痛かった。
冬山を少し実感できたのとダウンジャケットがやっと役に立って良かった。

売店で『ビール』、なんて思っていたが、結局残っていた菓子パン半分と水を啜り、山を下りることに。

              (つづく)

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2011年2月 8日 (火)

『 大山詣り 』 ー4ー

二十代の頃に一時間ちょっとで上がれた山の道とは、どんなだったか。
階段、坂道、岩ころの段差。
『走るように登った』記憶だけはある。

実際歩き始めるとまさにその三つのパターン。
当時すでに、太っていたメンバーが『五丁目』辺りで帰った気持ちが解るようになった。

あの頃の体重は今より5、6キロ軽かったし、手ぶらだった。
現在、75キロの僕は、暑苦しい冬服と愛犬の重さを考えれば、体力の衰えと併せて計算すると、かなりハードになっている。

『何丁目』という石碑の標を糧に、先へ進む。

大袈裟かもしれないが、
『そこに山があるから登るのだ。』
というエベレスト初登頂の方が行ったとされる言葉を連想した。

身体を動かすのが好きな人。
山の自然が好きな人。
目的はあるのだろうけれど、僕は中腹の下社からなぜまた登ろうとしたかって、考えて思った。

『山には頂上があるからだ。』と本能的なものを感じた。
あたかもそこがゴールのような錯覚によるものかもしれない。

来る前に、よそ様のブログを見て、山頂は『三十丁目』くらいだったことは分かっている。

残りがどれくらいと分かるから頑張れる。0001_2
時計もそう。
スタートから何分かかったか。
ガイドブックのペース通りなら、今がどの辺かがわかる。
自分の居場所が分かると安心できるのだと思う。

『十二丁目』。
相模湾が見渡せる眺めの良い広場になっている。
ベンチもあり、江ノ島を望みながら一休みすることに。
ここまでは順調だ。


まもなく、大学生風の男女四名が、僕が上がってきた道とは違うところから上がってきた。
ごく普通の格好で。
後で調べてみたら、『かごや道』と言って、距離が長く時間が掛かる、ひょっとしたら、勾配が緩やかなのかもしれない。

彼らは僕らより後に来て、景色を楽しんだ後、先に歩きはじめた。
かと思ったら、誰かがそこからの景色で充分満足したようなことを言いだした。

皆、後ろを振り向いて、相模湾を名残惜しそうに眺めている。
すると、『そうだね。そうだね。』と女の子の声が聞こえると、あっという間に引き返して行ってしまった。

近頃の若い者はと思った瞬間である。

               (つづく)

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2011年2月 5日 (土)

『 大山詣り 』 ー3ー

歴史を感じさせる本堂。0001


青銅製の宝篋印塔(ほうきょういんとう)はなかなか立派な迫力のある塔だった。
http://www.oyamadera.jp/09_02.html       (鐘楼)

崖下の輪にめがけて素焼きの皿を投げる『かわらけ投げ』。
2枚で300円。見事通れば願いが叶う。

で、ここまでで下社まで半分だ。

この『女坂』には『大山七不思議」というのがある。
『弘法(の)水』は道から小川に降りたところにある湧き水。
口に含んだらぬるかったので吐き出した。

『爪剪(き)り地蔵』は弘法大師さんが自分の爪で一夜にして彫り上げたものらしいが、なんとも存在感のあるお地蔵さんだ。もちろん石である。

その美しさに惹かれたのは『眼形石』にいた菩薩様。
手前の石を触ると眼が良くなると言われて触ったけど、気持ちとしては『お近づきのしるしに……』という感じ。
それくらい魅力的な石像だった。

登っていく途中、階段の先に鮮やかな緑色のケーブルカーが横切った。
僕はシャッターチャンスを逃し、慌てて転げそうになった。

僕らの前にいた老夫婦、ご主人がリタイヤされているのだろう。
そのお父さんが健脚だった。
お母さんをおいてずんずんと先へ行ってしまう。

そういえば、『大山寺』には随分とそうした人達がいた。
二十人くらい。
団体と個人と。
皆驚くほど元気だ。
果たして自分の二十年後は、ここまでの元気と体力があるのだろうか考えた。

そして僕らの前にいたお母さんが上を見上げた。
もう着くのだな、と上がっていくとまた何十段もの階段が待っていた。

登りきると大きく開けた場所、その奥に色鮮やかな本殿が鎮座していた。


右手に、茶店が2軒、広い間口に店のおばさんが各1名、呼び込みをしている。
手前のおばさんが声をかけてきた。
『ワンちゃんも大丈夫よぉ。持ち込みしてもイイからぁ。』

僕は、ここでゆっくりした記憶がなく、いよいよ経験できるぞ、と少し興奮しはじめていた。
まずはお詣りをして、御宝印を頂戴する。

時計は午後一時半。
腹は伊勢原駅に着いてからおにぎりを二個と菓子パン半分を食べていたので、それほど空いてはいなかった。

検討した結果、ガイドブックの『90分』を信じて山頂まで登ることにした。
茶店はまた帰りまでお預けである。
果たして、下社本殿左脇の登山口鳥居をくぐり、頂上本社までの山登りと相成ったのである。

0001_3『無明橋』 0001_5『弘法(の)水』 0001_6『爪剪り地蔵』 
0001_8
               (つづく)

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2011年2月 1日 (火)

『 大山詣り 』 ー2ー

実は先日、17、8年ぶりで大山に登った。
本当そんなに経つのだろうかと自分の記憶と年月の過ぎ去るスピードに疑念を抱く。

僕は都合5回くらい登っているのだけれど、毎回下社まではケーブルカーで上がっている。
で、今回は途中のお不動さんにも寄ってみたかったので、ケーブルには乗らず歩いて登ることにした。
ここを登って、茶店で軽く一杯やって、蕎麦でも手繰ろうか、なんて思っていた。

バス停を降りると、ケーブル駅までの参道にはお土産やさんや猪鍋や豆腐料理を食べさせる店、旅館などが建ち並ぶ。
風景が変わっていなくて懐かしかった。

古そうな旅館の入口に、江戸文字で描かれた名前を連ねた奉納額が掛けられていたりする。
江戸趣味を遊ぶ大人達。
こんなところからも落語『大山詣り』を連想させる。

そう言えば、バスを降りると今流行りの『山ガール』と連れの男(『山ボーイ』なのか。)がトレッキングシューズにスパッツ、防水加工っぽいスカートにタートルネックのスポーツウェアに軽そうなマウンテンジャケット。
ウォッチキャップも被っていたか。とにかく中身は別として、雑誌から抜け出してきたようなとても軽やかな格好で歩いていた。

一方、寒がりの僕はコール天のズボンの下にヒートテック、ラムウールのタートルネックセーターの上に、ウールのタータンチェックのシャツ。ダウンジャケット。
なんとも暑苦しい。
ケーブル乗り場との分かれ道までで、すでにハァーハァーいって、汗を掻き始めていた。
寒がりのくせに、汗っ掻きなのだ。
しかも最近はメタボが進行している。

結局登り始めると、シャツを腰に巻き、ジャケットは愛犬のキャリーバッグに括りつけた。

下社までに行くのに、『男坂』と『女坂』がある。
大概、『男坂』の方が険しい。
だからって訳でなく、寄るところが『女坂』にあるので、そちらを選んだ。
いつものごとく神社仏閣巡りだ。

最初はなだらかな階段から。
細い小川を渡るのに小さな橋を渡ると、変わった植物がいくつも生えていた。
後で知ることになるが、『みつまた』という。
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『八意思兼神社』参拝。

歩みを進めていくと、野太い読経の音声が山に響いてきた。
護摩を焚いているようだ。
スピーカーから流れているようで、映画に出てきそうな新興宗教の集会のよう。
法螺貝の音(ね)も響き始めたところで『不動堂(前不動)』参拝。

更に本堂に続く階段が現れた。
いつものごとく長く急である。
高尾山薬王院にいた36童子のような子達が、両側から何十人と出迎えてくれる。

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『雨降山 大山寺』HPより
『大山寺は、奈良の東大寺を開いた良弁僧正が天平勝宝七年(七五五)に開山したのに始まります。
…(中略)大山寺第三世として弘法大師が当山に入り、数々の霊所が開かれました。……』
詳しくは、http://www.oyamadera.jp/01.html

境内に上がるとお坊さんが二人。
一方の人が、たしか後の者が法螺貝を吹いて列をなしていた。

なんだ二人か、と思ってしまった。


               (つづく)

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