旅行・地域

2009年7月19日 (日)

『 霧とか、』 ー 安房小湊:誕生寺 ー

七月の千葉なので、波の音を肴に、砂浜でビール、なんてのが理想なのだけど、

『鵜原』から『安房小湊』へ

駅を下りると目の前には海が、
しかし、霧と浜風が身体を襲う。
霧は、霧だか海の滴だかを舞いあげて僕の眼鏡を曇らせる。

雨ではないから、身体や、洋服を濡らすことはない。
しかし、なんとも厭な感じ。
眼鏡のレンズは、塩か、と思うような霧の粒子で覆われすぐ見えなくなってしまう。


『誕生寺』

駅から海岸線に沿ってとほとほ15分くらい。
風が冷たかったり、そうでもなかったり。

日蓮聖人が生まれた聖人生家跡に1276年、一宇(いちう)を建立し 高光山『日蓮誕生寺』と称したのが始まりだそうだ。


「仁王門」
1706年建立。間口8間。現在このお寺で、一番古い建造物だそうだ。
左甚五郎作の般若の面は知らずに見れなかった。


「誕生堂」
日蓮聖人が誕生したのが鎌倉時代半ば、1222年2月16日。
その地を記念して建てられたのがこの『誕生寺』で、『仁王門』の右手前に、幼き聖人の像を祀っているのがこの祠。小ぶりの祠の姿がイイ。

2月16日、父と同じ誕生日だ。


「祖師堂」
1842年建立。総ケヤキ造り雨落ち18間4面、というのだそうだ。高さ95尺(約31メートル)。
でかい。
ここで使われている材木はもともとは、江戸城改築用として伊達家の藩船が途中遭難しして、譲り受けたものだそうだ。

また、ここの鬼瓦は『世界一』の大きさと言われていて、高さ4メートルもあるのだと。
それと龍や唐獅子、象などの彫り物の見事なこと。

ケヤキの木に薄く白塗りをしているよう。
潮風のせいか、悠久の時の証か。


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               (了)

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2009年7月11日 (土)

『 霧とか、』  ー 鵜原理想郷 ー

休みの日が、久しぶりに『晴れ』そうということで、夏を感じる為にも海へ行くことにした。

まずは『浜松町』から高速バスで、『御宿』行きに乗り、『勝浦』まで、二時間ちょっと。

『7:10』発の便に乗車するため、朝、五時過ぎに起きている。
バスの中で持参したおにぎりを食べ暫くすると、睡魔に襲われた。

『勝浦』が近くなり、車窓の外へ眼をやるも、空模様がすぐれない。
雲が低いのだと思っていた。

到着し、すぐさまJR外房線に乗り換え、隣の『鵜原』へ。

駅を下りて、太平洋を望む『鵜原理想郷』向かう。
そんなに観光地化されていないようだが、駅前には『観光案内所』らしき掘っ建て小屋と、近隣の観光マップの看板があった。

雨の後のように落ち葉や日陰が濡れている。
短いトンネルを二つ抜けて右へ。

『理想郷駐車場』を越えて、漁港、またトンネル、抜けると船着き場。
奥は、ダイビングスクールの建物。

大昔の潜水ヘルメットが、真四角の窓の奥に置かれていて、らしい絵柄だ。

結局、道に迷っていたわけで、戻ることに。

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『理想郷駐車場』の脇の細い途を抜けていくと、またトンネルが、…。
トンネルは雫を垂らし、足許を濡らしている。
生き物の体内を歩いている感じもした。

『理想郷』の『展望台』を目指して歩いていく。
が、石柱の道しるべは文字も見えにくく、指している道が分かりにくい。

僕の霜降りのTシャツは、汗で背中のほとんどの色を変えてしまった。
暑くは感じていなかったが、蒸していた。

土と草と木の中を歩き、頂上と見られる展望の良い『黄昏の丘』は、いったん、トイレの方に下る途中の脇の道を上がるところにあった。
すれ違った年配ハイキンググループに、道を訊かれ、知らないのにいい加減なことを言って、結果嘘を教えてしまった。
(彼らは『毛戸岬』(けどみさき)へ向かうはめになった。)


頂上と言っても、海抜何十メートルだろうか。(30メートルでした。)
しかし、180°以上広がっているはずの海の景色は遠く見渡すことはできない。
(『理想郷』で『黄昏れる』ということか)

ガスって何も見えない。
「気象観測状、視程1キロ未満が『霧』」と言うらしいが、それだ。(それ以上が『靄』と言うらしい)

『白鳳岬』からは切り立った崖、波と風に浸食された風景と眼下の岩場のみを見ることができる。
ところどころに、『崖に近づかないように』とある。
崩れ落ちる危険性があるというのだ。


ハイキングコースマップでは、島の周りを歩けるように解釈できる道の図があるのだが、そこに下りようとすると、『毛戸岬』。『手弱女平』(たおやめだいら)。
とやはり『崖』の上にしか出られなかった。
『リアス式海岸』なのだそうだ。
果たして、崖の上もまた風食された岩がサイケデリックなフォルムを刻んでいる。


『黄昏の丘』へ行く途中、林の脇から「ちらり」と見えた、プライベートビーチの様なところへ降りてみればよかった、と思った。
二十年前に訪れた『タイ』の或る島の西側、『パラダイスビーチ』と呼ばれていた海岸を彷彿とさせる雰囲気があったからだ。
そこでは、西洋人が海に腰を浸けながら本を読んでいて、とても印象的だった。


つづいて『日本の渚・百選』に選ばれている『鵜原海岸』へ。

が、やはり『霧』で海への視界も閉ざされたまま。
まだ時間が早いからだろう。
午後になれば、晴れるだろうと、次なる目的地へ。

               (つづく)
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2009年5月16日 (土)

『動物奇想展開』

車窓からのぞく風景は、京成からJR成田線に乗り換えてますます田舎の景色へと移ってゆく。

植えられたばかりの田んぼの水面には、山の影が映り、白い鷺が羽根を休めて、そののどかさを象徴していた。


『滑河』の駅から、観音様『龍正院』までの路すがら、ちょっとしたお屋敷の石垣の上に、
なんと、太さ2ー3センチのどす黒いヘビがとぐろを巻いて休んでいた。

かつての小旅行で、山道を何度歩いても見かけてこなかったのに、田舎とはいえ、こんな普通の道端でヘビを見かけるとは、『驚き!』の一言だ。


観音様に着いたものの、まずは腹ごしらえ。
近くの小学校の向かいに、『座って』と言わんばかりの、長イスが。
朽ち果てそうな、自然の丸太ん棒を切ってつくられたものだ。
そこに腰掛けて、持参のおにぎりをパクつく。

ここは小学校の駐車場だった。
一面が原っぱで、向かいには笹山が、…
そこからは、二、三種類のうぐいすの声色が、
そのひとつが、どうしても気になる。

『ホー、ホケッキョー』ではなく

『アー、アホッヂロー』と聴こえるのだ。


坂東三十三観音霊場、二十八番札所『滑河山 龍正院(滑河観音)』
総茅葺きの仁王門は国の重要文化財。
何百年も修繕されていないと記されていた本堂は、朱も色落ち、高い天井と柱には風格を感じる。


納経所で筆を走らせる女性の方に、『ヘビ』の話しを聞いてみた。

『来る途中ヘビを見たんですけど、よく出るんですか?』と僕。

「オッ、」と目を見はったようにみえたのだが、

『うーん、そろそろねっ、』と落ち着き応え、さらに、
『長いの?太いの?細い?どれくらいの?』と聞き返してきた。

『えー、これくらい』と親指と人差し指で、直径三センチくらいの輪っかをつくると、

『あー、それなら大丈夫。「青大将」だから、…』

僕は肝冷やす。「青大将」は毒ヘビだと思っていた。

『白くて、細いのは「マムシ」だから危ないけど、「青大将」は、ちょっかい出さなければ大丈夫。』
と自信満々で応える。

『あたしも昨日散歩の時、2メートルくらいの抜け殻を拾ってきたから、』

『場所的に、多いんですか?』と僕。

『うーん、そろそろねっ』と彼女。


観音様を後にして暫く歩くと、白くて、細いヘビのちぎれた死骸が道端に落ちていた。

僕は草むら側を意識して『ヘビ、ヘビ…ヘビが出るかも…』と頭で唱えながらそちらから離れ、車道の近くを歩いていた。

とても『ビビリ』な巳年の男だ。

               (了)

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2009年3月22日 (日)

『館山ぶらり旅』  - 2/2 -

目印にしていた『環境センター』が現れない。
右に左に緩やかなのぼり坂をゆく。
それでも、緑もあれば、青い空もある。
ゴミ収集車が何台も追い越して行く。
すぐ近くの山の向こうに白い羽根が現れて少し驚いた。
くるくると、風力発電のプロペラがゆっくりと回っていた。
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『環境センター』付近で通りかかった原付の三輪バイクのヤクルトレディを呼び止め、訊いてみた。
まだまだ先があるのか、『頑張って下さい』と力なく言われた。

道は下りになって、少し楽になってきた。
が、『小網寺』へのショートカットの道は見つからず、30分も歩いただろうか、ヤクルトレディが通ってきたという、『西長田』のバス通りに出てしまった。
それは、又かなり駅方面に戻り、『峠』の反対側の入り口から登っていかなくてはならないことを意味していた。

少し正確な地図を見ながら、「後何㎞くらいか」「後何分くらいか」と心で唱えながら、僕は珍しく疲労が脚にきていることを意識しはじめている。(股関節の近くの筋肉)
自宅前で野良仕事をしているおじさんにも訊いた。

僕はへこたれていた。
このまま駅に向かってバスで帰りたいとまで思っていた。

おじさんが言っていた赤い幟が見えた。
『小網寺』へのとば口だ。
『小網寺まで1.4km』の看板に心の中で溜め息をつき、もうひと踏ん張りと腿(もも)を上げる。

途中途中に赤い幟が立って、その道を知らせてくれる。
まだかまだか、と想いも募る。

そして畑の向こう、幾本かの杉の木越しに角度の有る高い屋根が見えた。
山門をくぐり、正面には階段が、右手に鐘楼とその先に本堂があった。
間違いに気付いたところから、1時間半くらいは経っていたか、


本堂の前には、五、六人の年配の方がテーブルと椅子を並べていた。
安房国観音霊場の十二年に一度(丑年)の御開帳(3/10から4/10)だったので、お参りを済ますとお茶と黒飴をくれた。
『お遍路さん』にたいする『お接待』というものだろう。
お茶も黒飴も僕の疲れきった身体に音をたてて染み込んでいくようだった。

誰もいなければ食べようと思っていたアンパンを出すことはせず、しばらくそこで休んだ。

弘安9年(1286年)在銘の国指定の重要文化財の梵鐘をぐるり眺める。
思っていたより小ぶりだったが、バランスが良いらしい。
乳(ち)と呼ばれる上の方の突起が、よく見るものより出っぱっている思った。
鐘楼のつくりがあまりにも古く、梵鐘が落ちてきやしないかと心配してしまった。


お寺のボランティアの人に『環境センター』からの近道のことや、駅までの近道のことを尋ねてみたが、要領は得られなかった。
地元の人でもよくは分からないところなのだ。
お寺の皆さんにお礼とお別れをいい、階段を上った観音堂を参拝し、『小網寺』を後にした。

また、1.4kmを歩き、元のバス通りに出て、バス停のベンチでアンパンを食べる。
バスの時間を見て、来るまで20分程だったので、また歩きはじめた。
15分くらい歩いて、見覚えのあるところまで来て、バスに追い越された。
結局バスに乗ることなく、駅まで歩いた。

なんだかとても遠回りをしたぶらり旅になってしまった。

(グーグルマップ:距離測定ツールで調べてみたら、館山駅〜城山公園〜慈恩院〜真倉浄水場〜館山市清掃センター〜西長田〜小網寺入り口〜小網寺〜館山駅、全行程で、およそ16kmでした。)


                  (了)


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2009年3月21日 (土)

『館山ぶらり旅』  - 1/2 -

梅を見に館山へ行った。
少し遅いとは思っていたが、城山公園の梅園に花びらを飾るものはほとんどなかった。

ここ館山城は戦国時代末期、里見藩の居城で、有名な『南総里見八犬伝』(「曲亭馬琴」)にも登場する。(『上総』の『館山城』は架空のもので、別ものだそうだ。)

真新しい、コンパクトなつくりの『お城』だ。
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『小田原城』より近くに海が広がるので、なかなか気持ちイイ。
海を見下ろすベンチで、持参の「みたらし団子」とお茶で一休み。
(写真の左側に海が見える)


はじめの一歩だけ決めてのぶらり旅なので、次をどこへ行こうか少し考える。
困った時のお寺参り。
困らなくても、お寺参りが多いですけど。

観光センターで貰った観光マップによると、『慈恩院』というのが、お城の裏手にあるようだったので、そこへ。

『館山城』もそうだったけど、『さくら』の時期に来ていればなと思う。
参道は枝桜の並木道になっていた。

次は、午を過ぎていたが、『那古船形』へは行かず、やはり観光マップにあった『小網寺』へ向かうことに、
『梵鐘』が国の重要文化財に指定されているということだ。
南へ下れば、駅に戻るより近いと思った。

ぽかぽか陽気で、愛犬の足取りも軽かった。
15分は歩いた。
もうそろそろ、見えてもいいのでは、と思った。
が、いつまでたってもそれらしいお寺さんは現れなかった。

さらに20分も歩いただろうか。
『これはおかしい。』
二又に分かれている道の脇、停めていた車の人に訊いてみた。
すると、
『山を越えた、反対側だ』という。
駅の方から戻るにしても、この山、『峠』というのかな、を越えても変らなさそうだった。

観光マップの文字は頭文字がこちら側の道にあり、文字の末が反対側の道に掛かりそうだった。
お寺自体は『峠』の中にあるようだった。
もともと持参していた旅行雑誌の千葉県版の地図を開いてそのことに気付いた。
最初から、こちらを見ていればと悔やむ。

その地図では峠の中から、直接行けそうな道の気配があった。
望みをかけて、峠の坂道に歩みを進めた。

歩きはじめてみると、それほど急な勾配ではなかった。
しかし、僕の両肩には、歩き疲れていた愛犬の入ったキャリーバッグと荷物を入れたズタ袋の紐が、食い込んでいた。


               (つづく)

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2008年12月 6日 (土)

『幻の滝』  3/3

老人に貰った白い印刷物がある。

手渡される時に
『うちの息子が六年生の時に賞をもらった作文なんです』
と言われた。

『「新名所 『幻の滝』〈特報〉」
1000年の悠久の時を超えて 幻の滝、今蘇る!!』

B4の右半面には、『生命(いのち)の滝』『二の滝』『三の滝』の三つの滝の手描きの絵と、
『幻の滝』の説明が書かれている。
発見はこの印刷物の発行された七年前の1986年とのことだ。

また、左半面には彼のご子息が、小学校六年生の時に書いて、「関東郵政局長賞」をもらった作文がやはり手書きのまま印刷されている。
その作文が書かれた小学校六年生の頃からすると、その彼は現在、34歳か、


「『滝にみせられた父』
ぼくの父は今、「まぼろしの滝」を世に広めることに夢をかけています。」

で始まる文章だ。(引用、抜粋してみます)

「何かに見せられたように立ちつくし・・」
「もうれつに活動を始めました」
「東京でやっていた商売をすべて投げ売り、その資金で・・・すべて手作りです」
「手には大きなまめやひっかき傷が絶えませんでした。」
「ぼくは、五十に近い父のどこからそんなエネルギーが・・・」
「・・滝のよさを知ってもらえませんでした。」
「・・一か月に十人ぐらい来れば・・」
「でも父はあきらめませんでした。」
「そのうちに生活も苦しくなり、ぼくは買ってもらいたい本もがまん・・・」

小学六年生の文章だ

「そんな時父は滝に話しかけているように・・」
「後ろ姿を見ていると何も言えなくなり、・・」
「そんなある時、一人の人が来ました。」
「その人は滝にうたれながら祈ってくれました。」

僕は店の中にあった写真の「織田無道」氏かと想像した。

「『きっと有名になりますよ』と・・」
「『本当かな。』と・・・矢先にテレビ十二チャンネルで・・」
「父のうれしそうな顔は忘れません。」
「それからです。お客様が次から次へと来てくれ・・」
「・・父の顔を見るたびに『お父さんやったね、すごいね。」と心の中で話しかけます。
ぼくも、滝を見ることが多くなりました。父の説明するさわやかな声を耳にしながら。」

と結んである。

三十代のの男性がジャージ姿で小屋の食堂をうろうろしていたのは彼なのか?
作業服の老人達家族は細々とこの小屋を営んでいるのか、

『小沢又の滝』をまさに我がものにしてだ。
まぁ、日光『華厳の滝』を管理している(エレベーターを運行している)会社があるのと同じことか?

スキー場を運営しているのと同じか?

しかし、一人百円の木戸銭で営業しているとしても、この日のような足許が悪い時に事故が起きても、保証はされるのか?
自分の家の庭であって、百円はカンパだから関係ないのだろうか?


やはり解せないなぁ。

結局、この滝で時間を使い『粟又の滝』つまりは『養老の滝』への訪問は『幻』となってしまった。


                 (了)

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2008年12月 3日 (水)

『幻の滝』  2/3

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『滝めぐり遊歩道』のとば口にあるのが『小沢又の滝』だ。

遊歩道に入ると『幻の滝』の標識?看板?がいくつもあり、その中に民芸品屋のような入り口がある。
左手に14-15インチのブラウン管テレビデオが


『ワァー、これが『幻の滝』?』
『うん、『幻の滝』』
というフレーズを黄色い声でがなり立てているのが繰り返し流れている。

五、六人の人が出たり入ったり、うろうろしたりしている。
皆、「ココ」が「そう」なのか、判らないでいる意識のあらわれだ。

すると、
『はい、どうぞ、はい、どうぞ。』
と作業服姿の小柄な老人があちらこちらで、百円玉を回収している。

『『幻の滝』です。『幻の滝』はこちらからお入りください。』
『百円になります。』
とちょろちょろ動き回っている。

やせ形、頭のてっぺんに毛は無かったと思う。
軽くて、少し低い声はしゃがれている。

『さぁ、奥のそちらの方へどうぞ。そちらで待ってて下さい。』
『そして私が、どうして百円を頂戴しているかを説明いたしますので、』
と言っているうちに、又、後ろから入ってきた人の百円を回収しに、入り口の方へ行ってしまう。


五人ほどが、その場所に集められたところで、作業服の老人が話し出す。

『はいっ、百円を戴きましたので、その説明とこの滝のことを話させていただきます。』

律儀に、そしてやや早口に説明を始める。

『こちらの滝は二十数年前に、私が山菜採りに参りましたところ、奥の方から滝の音がしまして、・・・』
『これは!と大変気に入ってしまいまして、』
『この土地を買って、この素晴しい滝を皆さんにも、見ていただきたいと思いまして、』

『買って』?って、どういうこと?

『自ら、階段と手すりを、作りまして、』
『その整備費として皆さんから、百円を頂戴してる訳でございます。』
『下へ降りますと、一番の突端へ行きますと、今は二本しか見えません滝が、あと三本現れてまいります。』
『これが『幻の滝』というのでございます。』


食堂もある小屋を潜るように抜けると、眼下、およそ30mのところに滝壺がある。
直径6cmの鉄パイプ、いわゆる「タン管」と「クランプ」で手すりは組み上げられていた。

土の階段は木材で縁取られていていた。
が、足許はぬかる(「泥濘る」と書くらしい)んでいた。
しかもツルツルの粘土質だった。

何歩か行ったところで早々に、僕のワインカラーのチャッカーブーツは掬われた。
僕は肝を冷やし、右肩に荷物と、左肩に愛犬の入ったキャリーバッグを両方とも襷(たすき)に掛け直して、
『ランボー怒りの脱出』?の状態で手すりを握りしめ、歩みを進める。

なんとか転ばずに下まで降りることが出来た。

ほったて小屋や階段とは違い、一番大きな滝も、細くて高い二本目の滝も、立派だし風情があった。
虹も架かっていたしね。


それにしても、

この滝が、この景色が、彼のものなのだ。

彼のものなのか?
所有物、庭、借景。

解せない。

                (つづく)

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2008年11月30日 (日)

『幻の滝』  1/3

紅葉狩りの目的で千葉県は『養老渓谷』へ向った。

品川を午前五時過ぎに出発。
JR『五井』駅から『小湊鉄道』に乗り込んだのは、午前七時十分。
肌色と朱色のツートーンカラー。見るからに昔の車両。
鉄の塊の二両列車。

かなり、冷え込んでいた為、車窓越しの田園風景は朝靄(もや)に包まれて、ヨーロッパの片田舎を思わせた。Photo

一時間程揺られ『養老渓谷』駅へ、

以前にも一度来たが記憶が失われている。
小さな橋を二つ渡り(一つは吊り橋)、まもなく大通りへ出る。

『出世観音』へ上るのに、また朱塗りの太鼓橋『観音橋』を渡る。

『養老川』沿いに中瀬遊歩道を散策。
朝露のせいか、二、三日前の雨のせいか、足許が少しユルい。

木々の葉と川面を晩秋の太陽が優しく照らす。


『弘文洞(跡)』
何十年か前に(昭和五十四年)轟音とともに崩れてしまったそうだが、蕪来川(かぶらいがわ)と合流させる為に掘った隧道の跡。

川が『T』字に交わったところで、その先を眺めているととてもいい気分だった。
支流に向って長椅子が四つも並べられていたのは、やはりそこに長く居たいと思う人がたくさんいるからだろう。

よくよく考えてみれば、あまり見たことのない風景だ。
自分に向かって、もしくは自分から向こうへ流れる川。
景色は川だけでなく、その左右は切り立った崖と木々が覆う。
パースや鮮明さによる奇麗な遠近法で描かれている。
その渓谷は僕から真っすぐと伸びていた。

再び大通りに出る。
ここから『粟又の滝』まではかなりある。
ガイドマップによると、二時間半から、三時間は掛かりそう。

まずは『水月寺』を目指す。
『まだか、まだか』と歩いた程だから、変哲のない、面白みもない大通りなのだが、バスの本数も無かったのだ。


実は、当初の目的は『紅葉狩り』、関東のこの地はまだ色づき始めであった。
ほんの、ところどころに赤や黄の葉色を差しているだけだった。
(見頃は12月初旬と思われますよ)

散策道に、大きな茶褐色の「朴葉」が落ちていたり、
「檀香梅(ダンコウバイ)」(花図鑑のサイトで調べてみると)だろうか、黄葉が茶色く染まり始めてかぶりを覆っていた。


一時間半も歩いて、ようやっと、お寺に着いた。

お寺さんを出て、右へ行くと、まもなく『滝めぐり遊歩道』の入り口。
『養老渓谷』、第二の散策道。
いくつかの『滝』があるらしい。
それを眺めながら、目的地『粟又の滝』へ到着する。

               (つづく)

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2008年10月 1日 (水)

『彼と彼女と飛行機と』

『いやぁ、今度休みがとれるんですよ。』
と 「J」君が照れくさそうに微笑みながら言った。
『連休が、』

長い首に色白のお人形さんのような頭が、小さな顔がひょっこりとのっている。
『夜行列車とか乗ってみたいんですよネ。乗ったことがないんですよ。』

童顔のつぶらな瞳と反して、180センチはある大きな体躯から響く低音の声がなかなか魅惑的だ。
また夢想を語る表情がなんとも愛くるしい。
同性でありながら、可愛いと思う。


『自動車が好き』な彼と聞いていたが、温厚そうな性格は、実はそうした『のんびり旅行』がしてみたいというところと、合点する。

うつむき加減にニコニコとしていた。きっと「ブルートレイン」を想っているに違いない。

暫く日が過ぎて、旅行の相方である彼女に話を聞いてみた。

『はい。飛行機で行きます。』
活発な彼女は、陰のない明るい笑顔で答えた。
彼女は飛行機が好きなのだそうだ。
男の子が電車や自動車が好きというのと同じように、彼女は飛行機が『好き』なのだ。

しかし、このあっけらかんと『好き』と言われている彼の方は、生まれてこのかた
『あの鉄の塊が空を飛ぶ!』に乗ったことがない。
なので、とても不安で、怖いのだそうだ。

『却下されました。』
つぶらな瞳から光りは消え、少し悲しげに見えた。

『いやぁ、乗ったことがないんです』


僕自身、一歳半、10歳、18歳、20歳代と旅行や仕事で飛行機に搭乗経験があるが、年を追うごとに恐怖感が芽生えてきた。
『あの鉄の塊が、・・・!』と


彼女の方に、彼の『恐怖感を克服すべく術(すべ)』を提案した。

彼は『自動車は好き』だから、『F1(フォーミュラーワン)』とか、『スピード』も好きなんじゃないかと推測し、
『滑走路を走って、離陸する瞬間って、確か『F1』のレーシングカーの最高スピードより速いよ、って、そう考えてみれば、楽しめないかな』と


我ながら、妙案と思ったけど、実は僕自身、この時とその後の離陸、上昇している時が、一番緊張し、不安になるんだったと後で気がついた。

それはちょうど彼らが出発する日、仲間とたまたま彼らの噂をしている時のことだった。

彼の蒼ざめた表情と、ニコニコと微笑んでいる彼女の様子がふと目に浮かんでしまった。

大丈夫、きっと楽しい旅行のみやげ噺を聞かせてくれることだろう。


                   (了)

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2008年6月17日 (火)

笠森観音 ー 大原 

今回は横浜駅東口バスターミナルから、茂原駅行き高速バスで、笠森まで。
午前7時発という事もあり、朝は5時半起床。
いつものアクアラインを渡る頃には僕は眠りについていた。

坂東三十三カ所、第三十一番札所『大悲山 笠森寺』
バス停からほどなく参道口へ。
緑深く、杉の木が天をつく。
前日までの雨で草木の匂いが、土の香りが参道を包む。

「子授楠」なる霊木が参道に掛かるように立っており、木の根もとに開いた孔をくぐると子宝に恵まれると言う。
恐る恐る木に立て掛けたアルミ製のはしごを登る。
その孔にメタボリックな僕の胴が通るだろうか。
これは、「男がくぐるものなのか、女がくぐるものなのか?」なんて疑問を持ちながら、
手を付き、膝を付きして、なんとかくぐることができた。

山門には多くの千社札が貼られていた。
その向うには立派な観音堂、大悲閣がそびえ立つ。
四方懸造り、京都清水寺の舞台の基礎部分に似た建築法で、本堂は急な階段を上り、30m上に楼閣の体をなしている。

階段を裸足で上がる。木の感触が心地よい。
白く明るい灰色の柱と梁が見事に組み掛けられている。
てっぺんの回廊からは四方山々の緑に囲まれている事を望み見る。


バスで茂原へ、そして外房線に乗り『大原』へ
吊り橋を渡りたくて「椿公園」へ行ってみると雨が降り出したのでほどなくして引き返す。
そのまま、大原漁港へ言ってみることに、

まもなく雨は上がった。
干物や、活魚を並べる店が二、三軒あるも下調べ程度に。

岬付近の小高い丘の上に有る大原八幡神社で、ブランチ。
近所の酒屋で買った天然酵母のパンとビール、そして自家製茹でトウモロコシをやりながら海を見下ろす。

『大原裸祭り』が9月の23、24日に行われているそうだ。
18社のお神輿が揃って渡御し、数社ごとに『汐ふみ』と称して、大原海岸でお神輿を担ぐらしい。

『波切不動堂』を参った後、大原海岸へ。

辺りには店がなかったので、近所を徘徊し酒と食べ物を探す。
大きな通りに出ると、コンビニエンスストアーと魚屋が。

「イナダ ¥400」「アワビ ¥530」(おそらくチリ産のだ)「いわし(生食用)¥200」(三枚におろされたものが40切れくらいあった)を東京へ持って帰る振りをしたら、発泡スチロールの箱と保冷剤まで付けてくれた。
コンビニでビール2本、サワー2本。氷と白ワインを1本買って、おにぎりも三個買った。
(それと醤油もね)

夕暮れの海岸で、お刺身ディナー。
砂浜の手前がボードウォークになっていて、快適なダイニングだ。

ビニールコップに入れたわさび醤油をたっぷり漬ける
イナダもいわしも脂がのっていてかなり美味かった。
ワインにも、おにぎりにもうってつけ味だった。

初夏の心地よい潮風と安くて贅沢な夕食にとても満足した。
すべてを平らげる頃には、空と海の境界線は見えず、水銀灯が白じろと灯っていた。
野天の晩餐は午後九時過ぎまで続いた。


                   (了)


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2008年4月23日 (水)

座間 ー 富士吉田 (2)

バスの座席に身を落ち着かせると、後は乗り換えなしで、富士吉田まで ”GO!”

乗れるかどうかも分からなかったので、ビールも食料もなく、ちょっと寂しい、「飲食、心もとなし」のバス旅行だが、暫くすると僕は眠りについた。

起こされて目を開けると車窓の外は吹雪がかった雪景色だった。
もう富士山の麓に随分と近いところまで着ていた。
これだからバスはイイ。

河口湖には何度か来たことがある。
が、今回の目的地は隣町の富士吉田のとある家具屋さんだ。
初日は家具屋の定休日にあたる為、あっちへふらふら、こっちへふらふら。
のはずだった。

雪が雨にかわりしとしとと降り続けているため、
富士急ハイランドのお土産屋さんで雨宿り。
が、思ったより何も無く、富士急行線(電車)のハイランド駅まで歩いた。
帽子とダウンジャケット、もちろん靴もぬれていく。

富士急行線で『ハイランド』から『富士吉田』へ
駅周辺をぐるっと散策、気になるところが無く、そのまま、今度はのんびりと『ハイランド』まで一駅歩いて戻った。
前に来た時に入った居酒屋で、なんてことの無い食事を。
雨はすでに止んでいた。


翌日はよく晴れた。
まっ青な空に白い富士山がとてもでかく眩しい。
裾野まではっきりと雪化粧が見渡せる。
富士を背に河口湖まで歩く朝。

富士急行線で『河口湖』から『富士吉田』、ここで、スイッチバック。
何分もしないうちに家具屋のある駅へ着く。

街には小さなスナックの扉がならび、カラフルな店の看板が色あせて、文字が剥がれ落ちている。
河口湖の泊まり客向けの「歓楽街」、昭和の?

そんな中、家具屋さんの店構えだけは、ちょっと小洒落た感じのものだった。
かすれた白いペンキの扉に真鍮のドアノブ。
カントリー家具が、アンティーク調の輸入雑貨が店をきれいに彩っている。

それにしても、この街で、この店の商品を誰が買うのだろう?
(別荘の住人か?)

店内にお目当てのブランドのダイニングテーブルはあった。
が、指定の色が無かったので、色のサンプルを送ってもらうことにした。
こうして目的を果たし(?)、引き上げた。
まぁ、こんなもんである。

そして今度は、『富士吉田』まで、坂道を歩き通しの三十分。
『富士吉田』からは、路線バスで『忍野八海』へ向かった。
この地も三度目になるが、毎度、お富士さんを眺め、ビールを飲みながら、富士の雪解け水の生簀に放流された『イワナの塩焼き』と富士の天然水と水車で挽いた蕎麦を食べた。

四度目、次回こそは富士吉田うどんを食べようと思っている。


                        (了)

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2008年4月15日 (火)

座間 ー 富士吉田 (1)

引越以来、長らく懸案事項となっているダイニングテーブルを見に、
今日は、山梨県は富士吉田へ向かうことになった。

が、その前に、神奈川県は座間の坂東三十三観音霊場、八番札所『星谷寺』へ立ち寄った。

たかだか家具を見る為だけに遠出をするのでは、もったいないからだ。

寺の前には、観光ツアーと見られる大型バスが停まっていた。
境内へ入ると、和尚さんが六十、七十年輩の男女を引き連れて、その寺の七不思議なるものを案内していた。
僕は彼らと距離をとり、本堂をゆっくり眺めた。
(御朱印をもらうのだけは、多少時間が掛かった。それでも割り込ませてもらったので、文句は言えないけどね)

『水琴屈』は地面に竹の棒が刺さっており、その脇の玉石に柄杓で水をかけて、筒抜けになった竹の端に耳を当てる。
すると、そこには

『キン、キン・・・キン、キン・・・』
と澄んだ、奇麗に反響した音が聴こえる。
確かに、木琴、鉄琴、とあれば、あれは紛れも無く『水琴』だ。

『星の井戸』は直径120cmほどの井戸の口から、その中を覗き込む。
するとそこには、あら不思議、宇宙が広がっているではありませんか。
昼間なのに、星の光りがその井戸の中に輝いているのだ。
昔の人も、いろんなところに興を見いだすものだと感心した。

それにしても今回、かなり無理のあるルートになってしまった。
ハナから、無計画(風まかせ)にちかかったのだが。

ここ『座間』から、最終目的地の『富士吉田』へは、電車だと、
『座間』から小田急線で『町田』。さらにJR横浜線で『八王子』へ。
そこからはJR中央本線で大月、富士急行線に乗り換え、『富士吉田』。
特急列車を使っても所要時間2時間22分。費用は3,490円也。

ところがだ、これが我らのお得意戦法だと、時間は2時間ちょっとだが、費用は約2,000円。
そして必ず、座って眠っていられる、楽チン旅行になる。

《 高速バス 》だ。

『座間』、『相模大野』、『中央林間」と小田急線。
東急田園都市線に乗り換え、『市ケ尾』へ。
そこには、東京駅南口発、『河口湖』行きの市ケ尾バスターミナルがある。
駅から、富士急バスに予約の連絡を取ったら、「満席」とだと言う。
しかし、キャンセルが出る可能性もあるとのこと、

バス停には富士急ハイランド目当ての大学生と、富士吉田、河口湖散策が目的とおぼしき五十代、六十代のご夫人達がその群を二分していた。
パッと見、無理だろうと思った。
無理なら、電車で、という選択も実は無かった。
がなんと、バスが到着して一人、一人、各グループの人員が乗車してみると、二席だけ空いた席があった。
幸運にもこの日の『富士吉田』到着がリアルなものとなった。
座席の真横にはトイレがあったけどね。

               (つづく)


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