趣味

2009年2月28日 (土)

『 千社札 』 ー 江戸のデザイン ー

ららぽーと豊洲内にある平木浮世絵美術館で催されている『江戸のデザイン・千社札 其角堂コレクション』(http://www.ukiyoe-tokyo.or.jp/2009exhibition/200901senshafuda.html)へ行ってきた。(なんと2月28日(土)まで)


僕のお祭りの会の先輩であり、江戸趣味の師匠(?)(しかも一方的に)から、
『こんなのやってるよ』とビラを貰っていた。

『千社札』というのは『千』の『社』の『札』の字の如く、
たくさんの神社仏閣に納める札とでもいいましょうか。

始まりは『題名納札』といって自分の住む場所や名前をしるし、それを自分が信仰で、参拝したお寺や神社の山門や水場、お堂などに木札を打ちつけて、自分がお参りした証、または自分の代わりにいつもお参りしてもらう意味合いのものだった。

最初は手書き、後に木版が広まり、大量生産が可能になって、江戸時代に大流行したらしい。
手漉きの和紙に墨一色の木版で刷る『題名納札』は信仰の為の貼り札だ。
しかし、江戸時代の信仰には遊興、娯楽との関係が深い。
後に、仲間達が名刺代わりに配る『交換札』は多色刷りで、趣向や贅を尽くしたものとなる。
絵師、彫師、摺師と分かれているのだが、それを製作依頼するのが各個人なのだ。

江戸っ子気質の『粋』、『通』、『洒落』といったものを意匠に纏めていく。
小さな浮世絵と言っても過言ではないと思う。

そんな『千社札』を集めた展覧会に行ってきた。

モノの本でしか見たことが無いような古い札も展示がしてあった。
最近の交換札はもちろん肉眼で見ることはあるが、
昔のものは本でしか見たことが無かったので、現物を見てみると、古いものでもことのほか、色が鮮明でビックリした。
赤色は赤で、朱ではなかった。

残念ながら写真を撮ることは許されておらず、一通り見終えたあと再度、気になる文字、絵柄については持参の手帳に書き写した。
ヒントになればいいのだ。

『ヒント』?
そう、自分の札や落款、紋などを創作する時の参考にね。
『江戸のデザイン』と称されているように、とても凝ったものがある。
たとえば、
『中』という字を目のように二つの弧で描き、それを四つ、外側の弧で円を描くようにして並べ、
その真ん中の空間にはまるで単なる鍵模様のように『萬』の文字をあしらって、幾重にも並ぶ模様。
(といっても分からないかな、…撮影不可。)
(周りの円のところは『七宝つなぎ』という模様:和柄を模している)


擬似柱には何枚かの札が貼ってあった。
先輩のご友人で僕もお世話になっている方の名前もあった。この方のは、関東近郊のお寺や神社では、ホントによく見る。

旅籠屋で先達が泊まっている部屋を知らせる『まねぎ』という綿布、寺社の水場に手ふきとしても飾られるそれに、同級生の名前のものが吊るしてあった。
やはり、類は友を呼ぶか。

点数はそれほど無かったが、ついゆっくりと見てしまう。
何度も行ったり来たりした。
なんとも心地良く、時間を忘れてしまう。

後日、先輩にお礼の電話を入れて、僕はまた新たなデザイン創作に励むのであった。
この時間がまた、楽しいのである。


                (了)

Minoruoogi3

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2008年5月11日 (日)

ODORI

『オドリを踊りたいって、どういう事だよ』

高校一年の夏。
ラグビー部を辞めようとした僕に、一人の先輩がそう言った。

練習中の試合で逆ヘッドでタックルに入った僕は、相手の身体と地面の間に自分の頭を挟まれてしまう。
偏頭痛が続いた事を理由に、当時仲間との遊びを優先したかった僕は、ラグビー部を辞めたい、と申し出た。

1980年初頭、竹の子族、ロックンローラー族とは違うムーブメント、『ジャズダンス』が流行り始めていた。

マイケル・ジャクソンが『ビリージーン』を、マドンナが『ライク・ア・バージン』を、たくさんのダンスミュージックが毎夜『MTV』で放映され、次々とヒットした。

渋谷、新宿、六本木では『ディスコ』が一つの時代を迎えていた。
ドリフの振り真似をしたりして、楽しく踊った。

映画ではミハイル・バリシニコフが『愛と喝采の日々』でラストにボレロを、『白夜(ホワイトナイツ)』で、クラシックバレイをPopに表現してくれた。
(調べたら、ラストシーンでの『ボレロ』は『愛と悲しみのボレロ』という映画の記憶違いで、ジョルジュ・ドンという高名な方の踊りでした。)

ブレイクダンスは『ブレイクダンス』という映画からダンサーを増やした。

大学に入って、映画をたくさん見た。
フレッド・アステアやジーン・ケリーは優雅に楽しげで、美しかった。

90年代はMC・ハマーや、ボビー・ブラウンのサウンドに身体を揺らした。

21世紀のHIP HOPシーンはもはや僕の知るところではなくなってしまったが、
DA・PUMP(ダ・パンプ)のダンス番組で知った『はむつんサーブ』は
マドンナが[YOU TUBE]を見て知り、自分の最新プロモーションビデオに参加の依頼をしたとか、

現在の日本のダンスパフォーマンスのレベルがかなり高いのはそうした事からもわかるが、
同級生の倅(せがれ)がクラブ活動のようにHIP HOPダンスを習っており、底辺が広がっていることを教えてくれる。

その17歳の彼が『一緒にやろうよ』と僕を誘ってくれた。
僕は照れながら、『無理だよ、時間もないし』と答えた。

僕はラグビー部を辞める時に話しの流れで(おそらく、「ラグビーを辞めて何をするんだ?」の質問に)
『ダンスを踊りたい』と口走ってしまったのだ。
それを皮肉った先輩が『ダンス』を『オドリ』に替えて冒頭の言葉を言った。

僕は結局何もしなかったが、あの頃、一緒に踊ってくれる友達がいたら、今もダンサーとして踊っていたのだろうか?
ふと気がつくと、アニメーション(ダンス)の動きをマスターしようとしている42歳の自分がいる。


                         (了)

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