天気

2009年10月18日 (日)

『 タイフーンラッシュ 』 

本土に上陸するのは、およそ30年ぶりと言われた大きい台風が日本を縦断した。

首都圏はちょうど通勤時間帯に直撃を受け、大雨と暴風に混乱を余儀なくされる。
(それにしても、台風がまだ近所にいる時に晴れ間が差し込んできたのには驚いた。 …結局、東京に再び雨が降ることはなかった。)


ホームに流れてきたステンレスの車両には、一両目からぎっしりと人が詰め込まれていた。

JRが軒並み運転を見合わせてしまい、振替輸送の乗客がこの路線に集中してしまったからだろう。

二両目、三両目ともステンレスでコーティングされた人の塊といった体だ。
僕の乗る車両が目の前に止まり、扉が開いた。
しかし誰一人として降りる気配もない。
それでも僕を含め何人かの、おそらく三、四人がその中に入り込もうとする。


二十年以上前に聞いた話しだが、ラッシュに慣れた(中央線の)人が語っていた乗りテクを思い出した。

『足場が20cm四方もあれば十分。』
『ポジションは、扉の端の方。』
それは、『閉まる扉の力を利用して、身体を車内に押し込む為』なのだという。

どう見ても乗り込める余地はなさそうだが、見下ろしてみると、足を置くだけのスペースがあった。
僕はそこにつま先を入れ、扉の上の方に手を掛け、扉が閉まるのを待った。

二人くらいが入るのを諦めていた。
扉が何度も閉まったり、開いたりしていた。
しかしなるほど、僕はくるりと電車の中に入り込むことに成功した。

閉まったら、そこからは地獄絵図のようだった。
呻き声、ため息、咳、体臭、これらがひといきれとなって車内上方のわずかな空気を汚染する。
衣服やバッグの擦れる音、潰れる音。
肉が歪み、骨が軋む音すら聞こえてきそうだった。
僕自身心臓がキュンとして、ふくらはぎピンとした感じがあった。

次の駅にも、そのまた次の駅にも整列して待つ人々がホームを埋めていた。
ターミナル駅でも並んでいた人の二割も乗れなかったのではなかろうか。

降り乗りのたびに苛立つ人の叫び声が飛ぶ。

ある駅で、
『あんた何やってんのよぉ!!さっきからさぁ!!』
と女性の声が車内に響く。

上着を着ていないサラリーマン風の男の挙動がちょっと前から、少しおかしかったように僕にも見えていた。
男は何もしていない、と反論していた。
その男の顔から垂れる汗が、若いビジネスマンの洒落たスーツの肩を染みらせていった。

またある駅では、中年男性が甲高い声で怒鳴り、
また次の駅では、
『赤ちゃんが降ります!』『赤ちゃんが降ります!』『ちょっと待って下さい!』とお母さんが声を張り上げる。

扉が開くたびに押されて降り、また押されて乗り、扉が閉まっていても、結局は身動きがとれないほど四方八方から押されていた。
押されながらバランスをとるのは体力がいる。
『おしくらまんじゅう』だ。

結局、僕の降りた駅でかなりの人が降りて、この台風による僕の通勤ラッシュは終焉を迎えた。

この日各所で交通機関の混乱が、通勤への支障をきたしていた。
電車内に閉じ込められた乗客が線路を歩いて次の駅へ向ったり、
振替輸送の乗客がホームに溢れて、運転を見合わせたり、とか。

まったく僕らの未来への線路は、果たしてどこへ向っているのだろうか、と言うとちょっと大袈裟かなぁ。


               (了)

| | コメント (0)

2007年11月 7日 (水)

『カミナリ』(イカヅチ≒電気ショック編)

僕はカミナリが嫌いだ。
何が嫌いって、落ちたら感電して死んでしまうから怖い。
そして、どこから、どこへ落ちるか分からないのも不安だ。

昔は「高い塔に落ちるから、低い木の下は安全」などと言われていたが、
全くの嘘っぱちだった。
木の周りは、枝→幹→根っこと伝わり、足下から感電してしまうらしい。

小学二年生の頃だと思う。
時はボーリング全盛期、一大ブームの頃だ。

うちに、銀行で貰った真っ赤なリンゴの、ビニール製の貯金箱があった。
(リンゴは「富士銀行」か「第一勧銀」か、)
そして、母が趣味か内職かで、作っていた造花用の「モール」と呼ばれる、針金をピンクのビニールで包んだものがうちに転がっていた。
ニュートンよろしく、当時リンゴは木に成っているものと思った僕は、
貯金箱の投入口にピンクのモールを通し、
さて、どこへその実を成らそうかと幼いながらも思案した。
できれば高いところにぶら下げたかったのだが、

『あっ、ここが良い』と思った瞬間はいまだに脳裏に焼き付いている。
僕は薄茶けたアイボリーカラーの平行15Aコンセントの両穴に目がいった。
『赤い実よなれ、』
僕は両手の指で、そのピンクのモールを摘み、
左右同時にと差し込んだ。

『バチッ!★☆★☆!』
という音ともに僕の右手親指から煙が上がった。
僕は当然のごとく、泣きわめいた。
ビニールの赤いリンゴはむなしく転がっていた。
地上10cm足らずのコンセントに実を成らす事もできず、感電、やけどをした。

その結果、当時家族で初めて行ったボーリングも、
親指の包帯が邪魔をして、僕だけその初体験を成し遂げる事ができなかったのだ。
(その後、僕がボーリングを初めて体験したのは、中学を卒業した頃だったと思う)

だから電気は嫌いだ。

梅雨、稲妻の光に身を屈(こご)め、
肝を冷やしながら、歩を進める僕。
降る雨に、さす傘の尖端をどうしようかと、
少しでも低く、上に見せないように
天を意識しながら、水溜まりを縫うのであった。
                    (了)

| | コメント (7)

2007年11月 6日 (火)

『カミナリ』(音≒オヤジ編)

僕はカミナリが嫌いだ。
何が嫌いって、音が怖い。
遠くの空に『ゴローン、ゴロゴロ』
『さぁ、今からそっちの方へ向かって行くよぉ』
とでも囁きかけているようで、

空が暗くなり、大粒の雨がトタン屋根を「バタバタバタ」と叩きはじめる。
(僕が中学二年まで住んでいた長屋の家の時の事だ)
もうカミナリは近くまでやって来ていた。。

『ドカンッ!』
『コラッー!』
『うっ、えぇーーーん!』

僕のお婆ちゃんが家政婦をしていたお宅に僕と同じ年の子がいて、
その日はその子のお誕生日会だった。
そのうちのお父さんが、息子の悪ふざけにテーブルを叩き、
よく通る大きな声を出し、
それに驚いた僕が泣き出したという訳だ。

僕のうちの父は大きな声を出さない。
というより普段仕事が遅く、休みの日しか声は聞かなかった。
どちらかというと、大きな声を聞いていたのは母の声だった。
しかし、その声は高く、細いので怖くはない。
という事はカミナリは低く、太いという事か。

予期せぬ大音響も嫌いだ。
全く、ドキッとする。
自分に何が起こるか分からない不安と、何かが起こりそうな恐怖だ。

30歳くらいの頃、地元のお祭り仕度かなにかで仲間とワイワイやっていた。
悪ノリをしてふざけていたら、二つ下の後輩がかなりよい声で、
『何やってんだぁー!』
僕は驚いて、真顔で振り返った。
おっかない髭面がすぐに崩れ、僕を笑った。
(やられたぁ)と思った。
そして彼の声も太かった。(低くはなかったけど)

要は僕はビビリ屋だという事か。

小学生の夏の夕方、僕はカミナリが轟く長屋の二階で、
薄い水色のタオルケットに包(くる)まり、
自分のおへそを押さえながら、
『ごめんなさい、カミナリ様。良い子にしますから、早く他のところへ移ってください。』
と繰り返し唱えながら、
『ドッカァーン!ゴッロッーン!』
という太い音にビクッと強く反応していた。

もちろん、今でも街でカミナリが鳴ると、僕は一瞬動きがとまってしまう。
                                               (了)

| | コメント (0)