小説

2012年6月 1日 (金)

『芥川』さんと『フィッツジェラルド』さんと『300文字小説』

近頃、なんのタイミングか、『芥川龍之介』 Photo_2敬称略)
の『河童』と、
『スコット・フィッツジェラルド』Photo_3(敬称略)
の『マイ ロストシティ』(村上春樹氏訳)の短編集をかじっている。

どちらもかなり各国を代表する作家なのに、ちゃんと読んだことはなかった。
表題を含みどちらも短編集で、なぜかしら、それぞれその小説のトーンに似たものを感じてしまった。

明るさに隠れた暗さなのか、暗さを隠す明るさなのか。

人は誰でも、持っている自分の中の『我』を出さない為に、社会の中で必要とされている、人間関係を続けていく上で重要とされる『無理な明るさ』を表出していることがある。

よく言えば『多面性』であり、
悪く言えば、『優柔不断さ』でもある。
『優柔不断』というより、『生きることへの不安さ』とでも言うべきか。

シャッチョコバルよりも、もっと若い頃に読んでいても良かったと思った。


何ヶ月前だったか、どこで知ったか、『東京新聞』の特集連載で、
『300文字小説』という公募が気になって、1編書いてみたら、なんだかおもしろくなったのでした。

載らなかった時のことを考え、というより、載るだろうことを想定し、同じ題名(テーマも)で書いてみようと思ってつらつらと携帯のメール画面に綴ってみたので、それをこの場で発表しちゃいます。


『 車 窓 』

晴れの空が映りこんで、綺麗な碧い河だった。

僕はその河を渡る陸橋の上にいた。
列車の車窓から、景色を眺めていたのだ。

河川敷には、外野に緑の芝生を湛えた野球場に、真っ白なユニフォームを着た僕と同じくらいの歳の少年達が元気に動き回っていた。

そして僕は親戚のおじさんの家(うち)へ行くのだという。

僕はお婆ちゃんに
『何しに行くのぉ』
と尋ねたけれど、お婆ちゃんはそれだけ言うと列車では居眠りをし続けた。

おじさんとは二度くらい会ったことがあるけれど、とても優しかった思い出がある。

おじさんは
『うちの子にならないかなぁ。』
と言って可愛がってくれた。

僕は車窓から、過ぎ去る住宅街をただ眺めていた。

               (了)

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2010年4月 1日 (木)

『 ラブレター 』

春ともなると、啓蟄が如く、心に潜む邪心妄想が蠢きだす。
当時男子は、おそらく女子も、『青春』という名の下に自らの『我(が)』を曝すことを良とした。

高校時代に一目惚れをしたことがある。
通学の電車で大概、同じ時間、同じ車両に乗り合わせていた女子だ。

高校三年を前に、焦っていた。
女子とまともな交際をしたことがなかった。
今から、三十年前の話しだ。

携帯(電話)もなければ、メアドもない。
僕は溢れ出る『我』をペンにのせた。
雑で汚い文字もこの時ばかりは、人に見られるだけの装いはしたつもりだった。


ラブレターを夜中に書いてはいけない、と聞いたことがある。
冷静さを欠くからだろう。

土曜の夜に『鶴光のオールナイトニッポン』を聴きながらなんてもってのほかだったのだ。
自己紹介といつから、どこでどう思っていたか。
自分はどういう人間で、今後どうしていきたいとか。

僕はその時の熱い想いを綴り、書き終えると何度か読み直したあと、封をした。

休み明けの月曜、僕はいつもより五本早い電車に乗り込み、彼女が乗り込んでくる駅で降りて彼女を待った。

数分もすると、彼女が現れた。
僕は決していた『意』を身体で表現した。
封筒を胸に抱え、彼女の方へ突き進む。
それを手渡した時、僕は最高潮に達していた。


そう言えば、彼女はラーメン屋の娘だった。
付き合いはじめの頃、

(そう、そのラブレターで、僕らは付き合いはじめたのだ。)

『お父さんは何を(生業と)している人なの』と野暮な質問をしたら、
彼女は恥じらいながらも、どことなくプライドが見え隠れする複雑な表情した。


この間、たまたま入った近所の中華屋さんで衝撃的なことがおこった。
赤い暖簾をくぐって中に入ると、カウンターとテーブル四席ほどの店内に、白い三角巾を頭に巻いてラーメンどんぶりの乗ったお盆を持って、右に左に動き回っている女性がいた。
それがなんと、あの三十年前の女子高校生だったのだ。
僕はかなり動揺した。

彼女は気付いてはいないようだった。
カウンター越しには、眉毛の濃い、丸い輪郭をした彼女の父上らしき人が鍋を振っていた。

僕は角のテレビを見る振りをしながら彼女の動向を追った。
高校生だった彼女も三十年近くの年月が過ぎても、その頃と変らぬ一つ違いなので、もはや四十代であることは間違いないのだ。

時の儚さを感じていると、頼んでいた辛味噌ラーメンが運ばれてきた。
湯気に含まれた豆板醤にむせ返りながら汁を啜る。
麺をフーフーいいながら口へ入れると、熱さの所為で少しのびていた。

額から吹き出る汗を拭うのに顔を上げたその時、芸能人か誰かのサインのその脇に、見覚えのある文字が目に入った。そして疑った。

が、しかしそう、それは間違いなく僕の字だった。
白木の額の中に、僕のあの時書いたラブレターを挟んで飾っているのだ。
彼女の人生に何があったのか、僕は想像することができなかった。

そして、その文章の冒頭を読んで、恥ずかしくなった。

『ワンバンコ、みのるでオマ。』
『あなたのオナマ、オナマ、お名前はなんダッカ?……』

僕はどうしてこんなラブレターで、その彼女と付き合うことができたのだろうか。
そして、その彼女はどうして、こんなラブレターをお店に飾っているのかも皆目検討がつかなかった。

もう、春はそこまでやってきているということなのだろうか。

               (了)

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2010年1月16日 (土)

『僕は運動おんち』を読んで、(の前に、一首)

大晦日も松の内も仕事して 親不知抜く年初早々 (みのる)

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とても良かった。
先が気になり、加速しながら読み進んでしまうのに、読み終えるのがもったいない典型的に面白い本。

運動おんち?の主人公はその文章の力強さや、(ボディ)バランスや、(筆致)センスなど文章神経(文章の運動神経)が抜群の超高校級の才能の持ち主で、僕はとても羨ましくなった。

その上、手先が器用で、クロールが綺麗に泳げて、『ちんち……が、……』だなんて、……

『宇佐田春生』や『ライル・モス』や『英間樹』のネーミングの遊びや、
過去の現在に、現在の未来を語らせていたりするところも軽妙だし。
『カワユス』には微笑んでしまった。

なにしろ、読みはじめてすぐにキャラクター達の声が聞こえてくるよう。
(主人公の声は、枡野くんとは違う高い声だった。)


流石、作詞家『枡野浩一』と思わせたのは、
彼『川入勝』くんの日誌の文章からは、決してこの主人公は『おんち』ではないと思わせてしまうくらいリズミカルだ。
いや、文章がリズミカルでも、音程の取り方や発声の良し悪しは別モノなのか。

人の発した言葉が、微妙にズレたり、知らぬ間に伝わって、誰と誰が付き合っているとか、誰が彼のことを好きだとかなんてところもリアルだった。
組み立て方が良いんですかね。

それと寝言(『イツキ』)のところは、ドキッとしたなぁ。
やましいことは何もないんだけどねぇぇ。

男女のセクシャルなはなしもありそうと思わせるくらいのタッチで、その先は読者の想像力に任せている。
コアに考えたい人も、さらりと流したい人も楽しめるのではないか。


宇佐田くんはじめ登場人物との関係は最後までよくできていて、嬉しい小説だった。

僕の高校時代の仲の良かった友人とは、ちょっと違う方向にいってしまった。
結果それは、悪いことではなかったのかもしれないけどね。

高校時代の、恋愛、性、スポーツ、音楽、ファッション、部活、学園祭、先生、校舎、……
なにもかもが、いろんな人にとっての、あの頃のいいカンジを思い出させてくれる言葉やはなし。

僕は文学的には分からないけど、面白いし多くの人が読んで楽しめる本だと思った。

映画化、ドラマ化されたら、またまた面白いんじゃないだろうか。
主人公はショートが似合うかどうかは別として、細身のイケメン俳優『瑛太』くんなんか良いと思う。
最近の役者さん達のことは分からないので、他の登場人物は分からないけどね。

いやぁ、面白かった。
また、次のも期待しよう。


中身が全然分からない感想文って、ありですかねぇ。


               (了)


僕は運動おんち (集英社文庫)僕は運動おんち (集英社文庫)


著者:枡野浩一

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2009年1月25日 (日)

『モデル』 - エピソード1 - 3/3

『初恋』 Pureful Anthology    (ピュアフル文庫、ジャイブ株式会社)


白地のツルツルした表紙にはおよそピンクの服を着た女の子が白い帽子を被っているという装丁だ。
赤い腰巻き、帯文には

『隣にいたい人、隣にいたかった人。』
『枡野浩一』君のところには『手の届かない人』とあった。

六人の作家さん達が『初恋』をテーマにした連作だ。


『枡野浩一』  『ジジジジ』

と目次には彼の名前と題名が六番目の最後にあった。

『初恋』→『ジジジジ』→『僕』
その連想は難しい。
第一、『ジジジジ』とはなんだろう……


僕はお礼のメールを打って送ろうか、読んでしまおうか悩んだ。
が、どういった内容なのか、どんな風に登場するのか、
とにかく気が気でなかったので、読み進めることにした。

読み始めて暫く経つまで、その本が文庫であることに気付かないくらい大きく思えた。

『初恋』の淡く、切ないところ。
ちょっとエグいところ、人間の残酷なところも軽やかに描かれている。

情景が浮かぶので、映画を見ているようだった。
(僕が『モデル』だからでは無くてネ)

そして『ジジジジ』の意味するところがまさか、こうしたことだとは想像できなかった。


ここに登場するキャラクターの一人に、僕は、僕自身を投影していた。
醸す雰囲気がたしかにちょっと僕っぽい、ところにあえてネ。

もちろん、

『フィクションですけど』

と僕とのメールのやり取りにあった『枡野』君の言葉を借りよう。


二つのエピソードは僕が高校二年の春と27歳の頃に起きたことだ。
その後のメールで分かったことだけど、一つは僕の『イメージ』から想像で書いたらしい。

『恐るべし、枡野浩一』


実際にあったエピソードの方は確かにあの当時話していた。

自分でも『ネタになる話し(ここで言う『エピソード』)だなぁ』とは思っていたけど、こうして、活字が、印刷物、しかも文庫本の一頁を飾っているとなんとも不思議なものだ。

僕もいつでも表現者として,自分で出逢った『エピソード』を活字にし(ものして)、印刷物にしたいとは考えているんだけどネ。


さて、果たして、僕が『モデル』となったのはどの登場人物だったのか?
はたしてどんな『エピソード』だったのか。
まずは皆さんこの本を購入して、作品を読んで当ててみて下さい。

               (了)

Photo

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2009年1月23日 (金)

『モデル』 - エピソード1 - 2/3

『相変わらず凄い肩幅ですか?』

『枡野浩一』君から僕のPCのアドレスにメールが届いた。


続いて、
『事後報告になってしまって恐縮ですが、
先日書いた短編小説に、
みのる(実際は本名)先輩を(一部分だけ)モデルにした
人物を出してしまいました。
(体育会系なのに細かい気配りのあるところ、……)』
とある。


僕の顔はニヤけたに違いない。
おいおい、そんな、ホントかよぉ?
僕が小説の登場人物だなんて、である。
それは、プロの手によって書かれた一つの作品のキャラクターとして、である。


それと最も嬉しかったのは
『人生で出会った、
好きな人を少しずつ登場させたのですが、・・・』
とあったことだ。

これは、もはや『ラブレター』を貰ったくらいのことだ。


最初に『大学時代の優秀な後輩』と書いたが、それは僕の彼の才能への憧れの意味もあったと今ここで告白しよう。

『来年一月刊行の、
小さな出版社の
文庫本アンソロジーに収録されるので、
刊行されたらお送りしますね。』
とあった。

正月に楽しみができた。


師走、ボーナス商戦、歳末、年始と忙しさに追われながら、新年を迎えていた。


枡野君から送られてきたその本は、七草を越し、僕が出した遅い年賀状の返事が来てはいやしないか、と思って覗いた郵便受けに入っていた。

僕は逸(はや)る気持ちをおさえ、ようやっと『プチプチ』の封筒から取り出し、
抱えるようにその本を手にした。


思わぬお年玉である。

               (つづく)

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2009年1月21日 (水)

『モデル』 - エピソード1 - 1/3

帰宅したら、郵便受けに『ゆうメール(旧 冊子郵便)』と言う、「書籍小包」が入っていた。
エアパッキン、いわゆる『プチプチ(と鳴らすあれ)』をクラフト紙でくるんだ封筒を、僕としたらかなり丁寧に開けた。

なにしろ僕が『モデル』になった小説が中に入っている。


昨年11月半ば、「大学時代の後輩」から連絡があった。
実はそう呼ぶにはおこがましいくらいに彼は『デキ』がイイ。
なので、僕はいつも彼のことを

『大学時代の優秀な後輩』

と人に話している。
そんな彼から、このブログのコメント欄を利用して連絡があった。

『枡野浩一』君である。

彼は知る人ぞ知る、というか、かなり著名な歌人であり、文筆家である。

(詳しくは彼のホームページ『ますので』(http://masuno.de/top.html)や、
『枡野浩一のかんたん短歌blog』(http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/blog-60e2.html#more)
にて、)

彼の活躍ぶりはウェブで調べれば瞭然だろう。

現代語で紡ぐ短歌集、ユニークな文章の刊行物の数々。
音楽やマンガの評論、作家との対談、帯文執筆。
テレビ、ラジオへの出演から映画監督まで。

そう、「加藤あい」さんに短歌を教える役でテレビCMにも出演していた。
ライブハウスでの対談、講演イベント主催。
手作りのオカモチを使うという奇想天外な移動文庫開店などなど、
とにかく、多方面に活躍する忙しい人だ。


そんな彼から、『送りたいものがあるので住所を教えて欲しい』とのことだった。

彼と連絡を取り合うのは、何年かに一度くらいの割合になっていた。
(大学を卒業して20年が経とうとしているのに、会ったのは数回。手紙のやり取りが3、4度だろうか。今回のメールは初めてだ。)

大学の頃の先輩後輩の関係は、彼の活躍と僕の生活とのギャップから、少しずつ希薄になってしまったと思ってしまった気がする。

僕は学生の頃から複数の人に読んでもらう為の文章を書き始めた。
それまで、文通をしたり、ラジオに投稿した程度だったが、
大学の『文学研究会』という文化サークルに所属してから、『小説』のようなものを書き始めたのだ。

学年は一つ、歳は三つ違う彼は、『文学研究会』の体育会系と言われた僕でさえ、その才能の違いを見て取ることができた。

彼は確か
『息をするように書いて』いたいと言ったか、
『書いていないと生きていけない』ということを言っていた。

それぐらい、彼は呼吸を乱すことなく言葉を綴っていたように見えた。
もちろん、彼としてはたくさんの悩みを抱えていたのだろうけれど、


当時、彼は僕の書いたモノにとても善い評価をしてくれた。
僕は喜び、浮かれたものの、その道へ突き進んでいくことができなかった。

彼は言った。
みのる(実際は本名)さんは、自分の書いている物の善さを分かって書いていない。』と、

ここが、プロと素人との違いなのだろう。


              (つづく)

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2008年4月10日 (木)

『ハマる』

帰路、車道を照らす街灯は暗い
それでもかまわず、僕はその本の頁を開いて行く。
揺れる文字を追いかける。
薄茶けた紙に活字が光るのだ。

そう、「旧友『K』へ」で、書いた。
『竜馬がゆく』のことだ。

実は今、親父が時代小説を書きはじめた。
そのことが引金となって、親父の書棚から引っ張り出してきたのだが、
本の後ろの方を見てみたら

『1975年 6月25日 第一刷』

となっていた。
僕が生まれて10年を迎えようとしていた頃だ。
その本は三十有余年の月日を経て、百五十年も昔のはなしで四十二歳の僕を夢中にさせている。

『嵌まる』とは、こういうことを言うのだろう。
活字の苦手な僕が、文字を追い続けている。
しかも暗い路上を歩きながらだ。

龍馬の魅力はいっぱいだし。
人間性、剣術、龍馬を取り巻く人物、女性・・・。
時代に、話の筋に興味があるのも一つ。
その時代の役者達がどういう役回りをしたのか。
そして、どう動いたのか?

『お腹がすいた。』
ご飯を食べはじめたのに、そのそばから食欲が湧いてくる。
食卓に並ぶとりどりの食事を、皿から無くなることを惜しみながら箸をのばす食い意地の汚い僕。

そんな感じに似ている。
この先どうなるのだろうとワクワクしながら楽しんで読んでいるのに
そこそこ厚めの、四百頁に渡る一冊が、全八巻のまだ初めの方なのに(第二巻の半ば)、
読み終えてしまう寂しさを感じている。

本を読むことが当たり前の人からすると
なんてこともないのだろう。
そんなことに、そんな本に出会えたことに喜びを感じている。

歩道、車道、龍馬と同じ、僕も夜目がきかない
「月夜」、の代わりに水銀の灯りが『竜馬』を照らす

僕は龍馬に成り代わり
維新の道を歩み続けている。

             (了)

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