あいさつ

2008年2月 4日 (月)

明けまして おめでとうございます(後)

街に人通りはほとんどない。

皆と別れ、家路の途中、近所の新聞屋さんに寄る。

自動販売機と新聞屋さんには蛍光灯の灯りが煌々としている

一年で一番分厚い新聞を買って帰る。
明けた朝、その新聞を開くのが楽しみだ。

帰れば家は、静まりかえっている。
冷たい布団に潜り込むだけで、すぐ眠りにつく新年を迎える晩。

朝、家に静けさが漂っている。
新年のテレビ番組も、自分の体調がそうさせるのか、
こころなしか静かに聞こえる。

雑煮、鶏、すまし仕立てのそれを身体に入れる。
餅は二個、か三個。

ウォーミングアップのように、すでに始まっている。
正月、元旦がスタートしている。

扉を開け、家を出るとまず静けさが違う。
都会に住んでいると、毎日かなりの騒音や雑音に紛れているのだな、
と実感する。

自動車(クルマ)の音が遠い。
人の気配も少ない。

空気が澄んでいるというより、
微細な分子が点描画のように一粒一粒主張しているような濃さで漂っている。

元旦、僕はその中を歩き、一年の始まりを体感する。
毎日、同じ24時間でしかないのだが、この時を迎えることで、己の身が引き締まる。


誕生日もそうだが、また今年も、新たな一年を迎えられるという当たり前のようなことを、
ありがたいと、喜びと感じられる年頃になってきた。

『明けましておめでとうございます』

ちなみに、今日で後厄年もあけました。

                 (了)

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明けまして おめでとうございます(前)

新しい年を迎えるということは
心なしか清々しい気分になる

僕は年中無休のサービス業に従事している為、
元旦から仕事ということもままある。
(大晦日、元旦と働くと、元旦は12月32日だ、などとふざけてみたりもする。が、)

元旦は空気が違う。
静けさや空気の密度が確実に違うと思う。
また、元旦を意識することで、スイッチを入れ直しているところもある。

それと一連の行事や動作が習慣化され、その一瞬がいつものように年の初めを感じさせてくれる。

大晦日、20年近く毎年、地元の大先輩のお宅で、同輩や後輩達と年を越す。

紅白が終わり、ゆく年来る年の映像で、除夜の鐘が撞かれるのとほぼ同時に近くの神社で銅鑼(ドラ)が、また少し離れたお寺から鐘の音が聞こえてくる。

零時を迎えたところで、新年の挨拶を交わす。
暫くすると主である先輩が
『そろそろ行こうか』
の声ともに
敷きつめられた座卓の料理やコップを皆で片付けはじめる。

そして皆で除夜の鐘を撞きに行く。
これまた、毎年恒例になっている。

そのお寺は旧東海道沿いに位置し、江戸時代には、かの宮本武蔵が逗留したこともあり、由緒も有る立派なお寺である。

そこは除夜の鐘を一般の人に撞かせてくれる。
僕は中学二年までその寺の前に住んでいて、もの心ついた頃から、一人でその鐘を撞きに行っていた。
撞く人が途切れなければ、百八つを越えても、撞いており、
200を越えたり、撞き終えたのが午前一時を過ぎていたなんてこともままある。

街の人を想ったおおらかなお寺だ。

なん時間か掛けて酔った身体も、鐘撞きの順番を待つ列に並んでいるうちに醒めて行く。

鐘を撞いた後、ドラム缶で焚いている火に当たりながら、そこで会う知人、友人と新年の挨拶をしたり、

お寺さんを後にして、皆でまた旧東海道をそぞろ歩く。

この時の雰囲気が好きだ。
緩やかな絆が、半径20メートルの中で、
それぞれのペースで、それぞれの会話で、
ゆっくりゆっくり、歩を進めていく。

なんだか、冬空に浮かぶ星座のよう。


                 (つづく)

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