2009年5月30日 (土)

ぷらり途中下車の旅  ー 都電荒川線 後編ー

『町屋駅前』で下りる。

『マチヤ』と言うと、京都の『町家』を思い出すので、古い街並とかがあるのかと期待をする。
が、実際は地方都市の駅前のようだった。
(ここの『マチヤ』は『町屋』ですから、微妙に違いますね)

駅から『尾竹橋通り』を歩く。
なんて事はない。
ちょっと肌寒くなってきた。


そしてとうとう終点『三ノ輪橋』に到着した。
ここは、違う。なにかイイ感じ。

降りて、雰囲気が違う。
昭和の匂いがする。

細い路地の向こうにアーケード商店街が見える。
もちろん足が向く。
『ジョイフル三ノ輪商店街』
八百屋、魚屋、総菜屋…。

パッと見、『使いこまれた野球グローブ』のような魅力がある。

『うなぎ屋』が目立つ。
江戸の昔、荒川に獲れたうなぎで商売をしていたか。

肝串が眼に飛び込む。
すぐさま、酒屋を探す。
歩いていると、もう一軒の『うなぎ屋』でも肝串が、…。

もうちょっと歩くと、ちょっとしたトンネル(?)。
そこを抜けるとその上はとてもレトロな洋風ビル。
写真館だという。

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もう我慢ができなくなった。
最初の店の肝串を買って持っている。
150円の正札が、残り僅かだったので130円になった。
指に付いたタレが僕を誘う。

スーパーを見つけ、ビールを買う。
座るとこも探さず、路地裏で串を頬張る。

タレの甘み、肝の苦み、芳ばしさが合い舞う。
そして、
『ビーーール!!!』

無目的の『ぷらり』旅はすこし長く感じた。
『三ノ輪橋』は、もう少しゆっくり歩いてみたくなった。
『松尾芭蕉』『奥の細道』のスタートラインや、『素盞雄神社』、『小塚原刑場跡』に『回向院』。
アーケード商店街ももっといろいろと、


薔薇のゲートの先に、夕映えの『三ノ輪橋』駅があった。
次回はここが始発駅となるか、

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             (了)

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2009年5月27日 (水)

ぷらり途中下車の旅  ー 都電荒川線 中編ー

ちょっと疲れたので、『鬼子母神前』から、『王子駅前』まで電車に揺られる。

車窓からは、この時期『バラ』が沿道にずうっと咲いている。
見事なもんだ。

だからといって、観光目的の電車ではない。
通勤、通学、お買い物といった、街の人達の為の乗り物のようだ。
午後二時、三時頃でも、5-6分に一本の電車が来るので、とても使い勝手が良い。
そして、いつもそこそこ混んでいる。

一つ手前の『飛鳥山』には立派な公園が見え、降りてみたかった。
『旧古河庭園』が徒歩15分のところにあるはずだったが、通り過ぎてしまった。

『王子駅前』に降りたのは、『扇屋』の玉子焼きというのを見てみたかったのだが、結局探せず、駅近くの野天の開放的なファーストフードモールで、『アップルパイ』とアイスコーヒー。

つづいて『梶原』で、『都電最中』の和菓子舗『明美』を探索。
ホントにそれらしい商店街があるのか不安だったものの、ぐるっと回って、『明美』発見。
テレビカメラが取材中で、店の中にも入らず。

一個140円の『都電最中』も遠目に見るにとどまり、次の『荒川車庫前』まで歩く事に、
甘いものへの欲求が失せていた。


近頃、ちょっと『コテツ』が入ってきている。
(鉄道を趣味とする人を総称して『テツ(ちゃん)』と言うらしく、ちょっぴり趣味的な人は『コテツ』なのだそうだ。ならば、まだまだ『プチコテツ』程度だと思うけどね。)

なのでこの駅は少し楽しみだった。
古い車両や、唯一の操車場がある場所なのだ。

が、残念ながらその『都電おもいで広場』は午後四時で閉場ということだった。
(ので、以下の写真は門の外からの撮影です)

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つづいて『熊野前』
もう何十年前になるのだろうか、『北野武』氏が『ビートたけし』さんの頃、日本テレビ系列で放送していた『天才!たけしの元気が出るテレビ』で取り上げられた、『はっぴぃもーる熊野前』のあるところだ。

ウェブでは随分と寂れている事が書かれてあったので、期待はしなかったが、火曜日は商店街全体の休みのようで、更にがっかりした。
『たけし猫招き』は商店街事務所のシャッターの奥に、薄暗く置かれていた。

その先の『おぐきんざ商店街』は活気があって、好印象だった。
『日暮里・舎人ライナー』が開通して、『赤土小学校前』駅にほど近い事が、その理由だろう。

総菜屋さんにはそこそこのお客さんがいた。
蒲団屋さんの枕や、洋品店の肌着などが安くて良かった。

『リサイクルショップ』で三個百円の靴グッズ(靴クリーナー、ワークブーツ用靴ひも、ヒール補修セット)を購入。


歩いていると荒川線の『東尾久三丁目』駅に着いた。

             (つづく)

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2009年5月26日 (火)

ぷらり途中下車の旅  ー 都電荒川線 前編ー

よくある、コースかもしれない。
しかし、全線走破したことはもちろんない。

東京の城北エリアには、あまり行ったことがない。

では、まずどうやって、効率よくそこまで行くか。
時間、交通費、乗り換え、である。

impact 一日乗車券 都営まるごときっぷぅ〜!impact(ドラえもん調に)
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なんと700円で、都電、都バス、都営地下鉄、日暮里・舎人ライナーに乗り放題なのだ。


さっそく都営浅草線から都営三田線に乗り換え、『西巣鴨』で下車。

まずはお決まりのように『巣鴨地蔵通り商店街』をぷらり。
『猿田彦大神』で旅の始まりにお参り。

定食屋が案外とある。
煎餅や甘味といった和菓子系の店。
『元祖 塩大福』というのが、いくつもあったが、いきなりにはちょっと重そうだったのでパス。

婦人服店も多い。
話題にもなった『赤いパンツ』の店が何店か。

安いものというより、まさに『おバァちゃんの原宿』と言われるだけあって、お土産屋さん的な価格帯の店が多い。

荒川線『庚申塚』の駅近くの和菓子屋さんで『道明寺』を買い食い。
駅にあった荒川線マップの看板でどこへ行くか検討し、『面影橋』の「東京染ものがたり博物館」へ向かう。


一両編成の都電はそう『チンチン電車』と言われていた事を、列車に乗り込み発車の合図で思い出す。

『チンチン♪』


まずは『面影橋』を通り過ぎ、『早稲田』まで言ってみる事に、

が、『大隈講堂』とかにも行かず、結局、『面影橋』まで歩く途中にその小さな博物館はあるはずなので、行ってみるが、手に地図すら持っていないので、いきなり迷子に。

神田川の葉桜と清流に眼を奪われたのが原因だった。
『山吹の里』の碑や『氷川神社』や『南蔵院』の前を通り、また『早稲田』方面へ戻り、やっと見つけた博物館。

そこは単なる『染工所』だった。
チャイムを押しても誰も出てこず、黙って暗いその博物館と言う名の作業場をぐるりと回って出てくる。

二十代半ば、弟子入りを考えて小岩の染工所に見学に行った事があったけか。
四十前の職人さんの指先が『藍色』に染まっているのを見て、ちょっと引いた自分がいたかな。


トイレに行きたくなったので、都電には乗らず『学習院下』、千登勢橋をも歩き通し、線路は離れていく。
尿意と不安にかられていたところに『鬼子母神』らしき建物が見えたので、そちらへ、
とにかく、途中にコンビニがない。

『鬼子母神』は彫り物が素晴しかった、ような気がする。
が、トイレが見当たらない。

大きな木箱や板が積み重ねてあって、お祭りが終わったのかなとか勘違いをする。
その箱には、『唐』『組』とあったので、鳶職の道具かなにかと思ったのだが、後で、若いジャージ姿の面々が現れて、『あぁー、唐十郎さんの劇団の人達か』と合点する。
いまだにこういうところにテントを張って公演を打っているのだろう。

参道の脇にあったトイレを見つけたことで、境内にある都内最古の駄菓子屋『上川口屋』さんをゆっくり見る事はすっかり忘れてしまった。

『鬼子母神前』から再び都電に乗り込む。


             (つづく)
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2009年4月11日 (土)

『はしご花』  熊谷 ー 前橋

『花見』へ行くのに、行き先が決められずに朝を迎えてしまった。
通常出かける時より、二時間程起きるのが遅くなった。


結局は『熊谷』へ向かうことに、

『日本さくら名所100選』に選ばれている
熊谷の『(荒川)桜堤公園』へ。

11:30頃には熊谷駅に着いた。
駅前のコンビニでビールを仕込む。
程なくして、荒川の土手に着いた。
出店はとば口にちらほら程度。
人出は、平日の昼前ということもあり、家族連れが多い。

川に沿って、およそ2.0kmもの間に500本のソメイヨシノが植えられているそうだ。

持参のにぎり飯を頬張り、500mlと350mlのビールを飲み干すと、初夏のような陽射しにやられ、草の上で眠りに落ちる。
小一時間もして目を覚ますとオデコからコメカミと、あてがっていた腕に汗が滴り、光っていた。

土手の反対側をしばらく歩くとそちら側にはまだ、菜の花が咲きほこっていた。
河原を歩く人達は皆、のんびりしているように見える。


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『熊谷』を後にして、『前橋』へ、

初めて訪れる街だ。
群馬というと『高崎』だと勝手に思っていたのだが、『前橋』は県庁所在地であることを歩いていて知った。
夜桜を『前橋公園』で見物する予定で、向かう途中、観光マップにあった『龍海院』に寄る。
前橋藩主酒井氏の菩提寺ということだ。
山門も本堂もなかなか立派だ。
庭の砂利石に模様が描かれている。

桜も太く大きく木肌のごつごつ感が良かったし、全体的に風情が感じられた。
寺社の樹木は、良い。
それぞれが溶けあっているよう。
歴史と自然と、……

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『前橋公園』へ向かう途中、立派な高層ビルが聳え立つ。
これが、群馬県庁だった。

しかし、ここ『前橋』にはコンビニエンスストアーが見当たらない。
『前橋公園』近くまできて、結局、何百メートルか離れた『スズラン』というデパートで、ビール、缶酎ハイとにぎり寿司を、別の酒屋さんでワインなんかを買い出しして、再び、『前橋公園』へ向かう。


芝生と、街灯を利用しての『お花見』。
ここも、家族連れが多い。
芝生の上にこじんまりとした車座がてんてんとできる。
桜なんかはたいして見えないけどね、

日中は暖かかったが、夜は冷えると予想して、持参していた『ヒートテック』(by ユニクロ)を重ね着して万全に、そして乾杯。


午後7時頃か、すっかり帳が降りたその公園に、天体望遠鏡を持ち込んだグループがやってきた。

『月のクレーターをご覧になりませんかぁ』

と声をはる。ボランティアらしい。
子供からお年寄りまで、あっという間に人だかりができる。

『怪しいものでは、ございません。』

宇宙へのロマンを持たせる道先案内人。

僕も躊躇していたのだが、終わってしまわないうちに、近づいていく。
『80倍』だそうだ。
満月には後二日程あるのだろうか、
少し欠けている部分の輪郭の陰によって、クレーターの凸凹が見えるという寸法だ。

『花見で一杯』の次は、
『月見で一杯』である。

             (了)

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2009年2月18日 (水)

小田原城 ー 吾妻山公園

小田原へは、年に一、二度くらいは行く。

小田原城はここのところ、天守閣周辺の門の復興工事をしていて、
去年はまだ工事中で虎柄(黄色と黒)のロープが張られていたり、ユンボが赤土を掘り返していたり、

それが今回はもう奇麗に建てられていた。(『銅門』)
ああ、ここを騎馬や歩兵の軍勢が大挙して通り過ぎたのか、などと想像する。
青く澄んだ空に、真っ白な漆喰塀が映えてとても鮮やかだった。

さらに、堀の近くにまた別の門を復興中だったので、(『馬出門』)
また次回の訪問も楽しみだ。
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城の周りを歩いていたら,セピア色の写真があちこちに飾られていた。
明治時代、天守閣跡に旧城主を祀った「大久保神社」があったという写真。
その後、昭和三十年にはその場所に(?)観覧車。(神社は何処へ)
そして昭和三十四年、現在の天守閣再興建築時、丸太足場の組上げた壮大な写真、と興味深いものだった。


今回の主たる目的は、菜の花と360度の展望を誇る二宮、吾妻山公園。
JR東海道線二宮駅北口よりすぐの小さな山で、はじめに待ち構えていたのは、かなり急な勾配の階段だった。
年金生活のお友達グループといった60代、70代の元気なおば樣方も息を切らしながら上がっている。
と言いつつ僕も少しへばってしまった。
15分も登っただろうか。
緩やかな曲線を描く枯れ芝の上に展望台が円くあった。

残念ながら富士山には雲がかかり、麓しか望めなかったけれど、
南に見下ろす相模湾の水面のきらめきは浮世絵を思わす景色だった。

缶ビールと黒糖いなり(寿司)で軽く腹をたし、菜の花の芳香と早春の陽射しを小一時間程浴びた。
着た道とは別の階段を下り、吾妻神社をお参りし、さらに南へ降りる。
道路に出る手前にも鳥居と小さな祠が、『神明宮』とあった。

その前の道の向うにはJR東海道線が横切る。
そこを渡る陸橋を越えるとき、列車がその下を通過するのを待った。
風を切って走り来るステンレスの塊。
僕はスティーブン・セガールよろしく、列車の屋根にひらりと舞い降りた。
『暴走特急』だ。
そんなことを想像しながら、行き去る列車を見送るとさらに南へ。

細い道の先にまたしても鳥居が、…
僕は合点した。
『ああ、先の『神明宮』『吾妻神社』を結ぶ参道なんだ。』と、
そこにいつのまにか、列車が横切るようになってしまったわけだ。
鳥居の目の前は国道一号線で、五十三次の東海道。今度は江戸時代にタイムスリップ。

その後、住宅街の細い道を抜け、相模湾を望む海岸に出る。
途中ところどころに梅の花を見かけると、やはりここいらは小田原に近い梅の名所であることに気付く。

早春の格安散歩旅を楽しんだ一日だった。


                (了)

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2008年7月20日 (日)

上馬から −2−

山手通りからバスに乗れば家の近く迄帰れる。

が、歩いているうちに歩いていることが楽しくなって来た。
もちろんお腹も空いているのだが、都会のバス通りを、皆が車で行き交う道を
テクテクとトコトコと歩いていることを楽しんでいる自分がいた。
愛犬もそこそこ楽しんでいるように見える。

近頃はやりのテレビの散歩番組みたいな発見がそうそうある訳ではないんだけどね。
山手通りのアスファルトと生け垣の舗道はどこを歩っても見慣れたモンだし、
歩くスピードで歩いていても、気が急いでいたり、タイミングが合わなければ見逃しているモノもたくさんあるんだろう。

それでも発見を期待してのことか、歩けば景色が変わるということにか、歩っていること自体にちょっとした『ウォーカーズハイ』とでも言える感覚が芽生え始めてきた。

が、かつてバスから見えていた、気になる家具屋や飲食店はいざ目の前に現れるとそんなに気にはならなかった。

途中変形五叉路の細い途どうしの角に四、五人のサラリーマンがワイワイやっていた。
テラスのようだったが、居酒屋だ。彼らの席分しかテラスのスペースはなかった。
立ち止って、隣の店を覗く振りをして遠目に見てはみたもののそこまでにとどまった。


『中目黒』まで来た。
期待をに抱きながら、もう暫く歩いてみることにした。

ここを通るたびに、20年前にあったメキシカンステーキハウスを思い出す。
それは無くなってしまったことが残念で、またいつの日かこの地に現れるのではという願いも込められている。

高校の同級生『K』ときて、タコスと豆料理を食べた後にステーキを注文した。
僕は「1/2ポンドステーキ」。
『K』は雑巾を二枚重ねたくらいのボリュームの「ジャンボステーキ(500g)」
『K』は雑巾のようなそれをしゃっくりをしながら、フォークで口に入れていた。

高校時代、昼休み、『K』と一緒に弁当を食べていたら、彼は
『ヒック、ヒッ』とシャックリをしながら食べていたので訊くと、いつものことだから、大丈夫と返って来た。
四十を過ぎた彼が今もシャックリをしながら家族と食事をとっているのだろうか。
小学五年生の息子と親子揃ってシャックリをしてご飯を食べていた、
なんてことなら、あまりにも『シネマなシーン』なんだけどなぁ。


『もういい加減、腹が減った。』
が、結局、「ビール」「もつ鍋」「パスタ」なんかを笑顔で口に入れている姿を、
お店の外から眺めただけで、とうとう歩くことを止め、バスに乗った。

すぐに一軒、『ラーメン』と『おでん』の幟とちょうちんを掲げた、広い駐車場のようなスペースの店があったのだが、もっと先にお酒がメインのお店があるのではと、あっさりやり過ごしてしまった。

愛犬は途中、お水やおやつを『クシャ、クシャ』飲んだり、食べたりしていたけど、
重い弁当箱の白飯をたいらげる僕が、500mlのミネラルウォーターと一本のフランクフルトのみで、
上馬—三軒茶屋—太子堂—池尻—大橋—中目黒
と歩き通し。
降車した『五反田』でも当てにしていた焼き鳥屋に入れなかったので、もう諦めて家に帰ることにした。

さすがにちょっと苛つきながらまた15分ほど歩き、家に着いた。

何はともあれ、『ビール、ビール』と喉は冷蔵庫に向かっていた。
落ち着いたところで、愛犬にご飯をあげ、家を出た。

結局近所の居酒屋でその日初めての食事をとることとなった。
愛犬とのテラスの食事はかなわず、時計は午後10時を回っていた。


                        (了)

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2008年7月16日 (水)

上馬から ー1ー

僕の弁当箱は重い。
それくらい、ご飯を入れているということなんだけどね。
およそ、一合半程度かな。


休日の或る日、愛犬の「フィラリアの薬」を貰いに午後、世田谷の動物病院へバスで向かった。
病院の後に、どこかで軽い食事でもと思っていた。
なぜなら、その日は遅い朝にコーヒークリームパン(コッペパンタイプ)とドーナツパンをひとつずつ食べただけだったから。

病院では思ったより待たされてしまった。
午後四時過ぎ、上馬の病院を出て世田谷通りを三軒茶屋方面へ歩き出した。
かなり、お腹はすいている。

『サンチャ』はこじんまりした街で、ゆっくり見た訳でもないがなんてことのない処だった。
とりあえず、コンビニでフランクフルトを一本買ってベンチで齧った。

愛犬と遅いランチのできるテラス付きのお店などはなく、
以前見かけたK-1ファイター『魔裟斗』選手のゴリラのジムすら見つけることができなかった。
(お腹が空いていたということだろう)

愛犬は一歳を過ぎ、随分と散歩が好きになっていた。
トコトコと良く歩く。
前足を伸ばし、シッポをフリフリしてトコトコと。

太子堂中央商店街には、あの『お菓子の太子堂』本店が思ったより小さく店を構えていた。
その通りをずんずん渋谷方向に歩いていったら閑静な高級住宅街に迷い込んだ。
不安になったので、大きな通りを目指して右方向に歩いた。

まもなく国道246号線に出て、更に渋谷方向に歩く。
『ニーヨンロク』の上は、首都高速でいつも暗い。黒い。

途中、納豆の自動販売機があり珍しかったので携帯電話のカメラでパチリ。

池尻、大橋と歩いていくと、(今まで『池尻大橋』という地名だと思っていた。)
学校帰りの高校生や会社帰りのOL、サラリーマン達が街を行き交う。
首都高の影だけでなく辺りの帳も降り始めていた。
店の灯りが人々の顔を黄色く照らす。

大きな焼き鳥の串を食べ歩きしている女子高校生の一行とすれ違い、
『その焼き鳥、どこで買ったの?』と聞きたかったが、
通り道にあるだろうからとそのまま歩いてみたが見つからなかった。


『山手通り』の青い看板が見えると、右手のカドに巨大な建造物が、そびえ立っていた。
オリンピックの招致ポスターなんかもあり。どでかいサッカー場か、コロッセオか、
地中海風の薄いピンク地色の左官壁が自動車のタイヤの断面のように切り取られている。
それにしても、大きいしその形状の見え方ではそれが何なのか想像できない。

山手通りに出る時にその右手の工事看板を見たら、『大橋ジャンクション』とあった。
タイヤの断面のような空洞はスタジアムの通路ではなく、高速のトンネルということだった。
都内にまだ高速を広げるスペースがあるとは思わなかった。


                     (つづく)

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2008年5月28日 (水)

キサラヅ

僕は『木更津』という街に不定期だがたまに行くことがある。
もともとは、千葉を巡るときの拠点にしただけの場所なのだが、なんて事の無い街なのに来てしまう。

品川駅東口から高速リムジンバスで約一時間。
「東京湾アクアライン」を渡る。
(昔は連絡船が渡っていたところだけどね)
オレンジのライトに照らされトンネルを抜けると海上サービスエリア『海ほたる』を通る。
そのまま、東京湾を白い長い陸橋で走破する。
バスの客席は高い位置にあるので、一本線の道と紺碧の海が両側に広がってなかなか爽快。
晴れの日も、雨の日も違った風景が楽しめる。

袖ヶ浦バスターミナルを過ぎ、やがて木更津駅東口に到着する。
ここで、実は楽しみがある。

『民芸茶屋』の冠をいただく海鮮蕎麦居酒屋といった感の店で食事をとることだ。
昼でも、夜でもイイ。
刺身定食、かき揚げ天定食、ざるそば。
木更津港に入る新鮮な魚介類、ボリュームたっぷりで、からりと揚ったころも。
こしのある蕎麦も必ず手繰りたいのだが、定食を平らげた後にはちょっと入らないくらい。
まったく嬉しくなる定食だ。

貝類の刺身、江戸前のものから、近海のものまで鮮度の良い魚が並ぶ。
海鞘(ホヤ)なんかもある。
煮物だって悪くない。
茶褐色にやけた太い梁が店の天井に通り、酒樽、天狗の面、大きなとっくりや、浮世絵。
古民具などが飾られ、黄金い(あかい)電球が達筆なお品書きをを照らす。
またここへ来ようと思う。

木更津にも寺社仏閣はある。
坂東三十三カ所観音霊場、三十番札所『高蔵寺』はここで最初に行ったお寺。
『♪ショッ、ショッ、ショウジョウジ♪ショウジョウジノニーワッハッ♪、ツン、ツン、ツキヨーダァ、ミーンナデテ・・・?』
の狸の唄で有名な「證誠寺」
『関東一』といわれる大神輿が飾られている「八剱八幡神社」
『斬られ与三郎』の「光明寺」や『こうもり安』の「選擇寺」は門前まで

ぶらりと海の方へ歩くと海上25m、長さ236mの日本一高い歩道橋、「中の島大橋」
山の方なら、「太田山公園」など・・・

ちょっと良いんだけど、物足りない。

『街が寂しい』

駅前が東も西も、特に西口が、殺風景なのだ。
駅前のビルに、それぞれ埋まっていないフロアースペースがある。
西口の駅前通り、富士見通りの商店街は、たしか片道3車線と道幅が広く、アーケードの天井は高い。
平日の昼、通りの大きさに全く見合わないくらい、人通りが少ない。
いつも、街の色が薄白っちゃけているように感じる。

行くたびに、もっと何とかならないもんかと思う。
何年か前にテレビドラマ『木更津キャッツアイ』で話題になったのだが、・・・
バンドの氣志團(DJ OZUMA)、俳優の中尾彬氏なんかがもっともっと、宣伝、応援して・・・
やはり産業なのかな?

潮干狩り、海水浴、美味しい魚、・・・
東京、川崎、横浜、どちらからも近いですよ。
一度木更津へ遊びにいってみてはみませんか?


                    (了)

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2008年3月29日 (土)

御徒町-アメ横

学生時代、バイト先で知り合った三重県出身の先輩は
『オトチョウ』と言っていた。
この人は、『秋葉原』を『アキハラ』と言っていたから、無理もないか。
が、知らない人には読み難い街の名前なのだと思う。

駅は『御徒町』だがその中心は、『アメ横』と呼ばれる商店街にある。
ここも、高校時代に芽生え出した、ファッション魂を刺激した最初の街の一つだ。

高校時代なんてお金も持っていないのに、
『あそこは安くて、イイ物が揃ってるよ』
なんて言ったりしてた。

だいたいお気に入りの店を毎回、ぶらり、ぶらりと巡って歩く。
それはファッション雑誌の頁をめくるのと似ている。

『アメ横』は『アメヤ横丁』の略で
戦後闇市の名残りのこの場所で、アメリカの軍払下品、輸入品、卸品を多く扱っていたり、(アメリカ屋→アメヤ)
澱粉飴を扱うお店が多かったから、(飴屋→アメヤ)という説があったりとか。
だからいまだに、アメリカモノも、飴を扱うお菓子屋も多いんだろうけどね。

そして、ファッションもアメカジ(アメリカンカジュアル)だった。
『ヘインズ』のTシャツ、『リーバイス』のGパン、『Smith』のワークパンツ。
『ゴールデンベアー』のスタジャン、『アビレックス』の革ジャン。
革のワークブーツは『Red Wing』、デッキシューズは『トップサイダー』

この街でも僕は物欲しげに眺めていたのかなぁ。
(ちなみにこの頃の僕の小遣いは、月、3000円だった)


そして山手線ガード下には、間口一間(まぐちいっけん)程の輸入菓子屋、化粧品店、宝石、時計、ライター、帽子屋に革製小物の店が、低い天井の下に幾百と軒(?)を連ねていた。

キラキラとしたカラフルでPOPな面と、どす黒いハードボイルドな部分がぎっしりと詰まった、一種
独特な雰囲気を醸し出している。

この中を歩いていると、『迷い込む』という言葉がぴったりとあてはまる。

ここは我々男子の心をくすぐるものも豊富に揃っている。
モデルガン、アーミーナイフ、ライター他喫煙具に高級万年筆。
そんな小物が店内のショーケースに整然とぎっしり並べられていて、まるで大きな宝物箱ようだった。

そして、このガード下にも、本格的なカウチンセーターがイイ値段で吊るされていたっけ。

高校生の男の子が憧れる男のファッション、男の小物が溢れる街だった。

                  (了)


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2008年3月24日 (月)

原宿

この街の始まりは、高校時代だ。

第一、地元の街を飛び出るのなんか、
初めは、だいたい高校時代だったんだ。
今の子達より、僕なんか、よっぽど奥手だ。

原宿は、僕のファッションの始まりと言っていい。
(実は、もう一つの街が、ほとんど同時なんだけど、それは次回に)

中学三年生の頃に高校進学の為、学習塾に通い始めた。
その国語の時間、受験対策として小論文の時間があった。
お題は『ファッション』。
サッカー部に所属していた僕は全くとんちんかんな論理を展開した。

「着心地が一番」→「ジャージ」=最高の『ファッション』

そんな僕は高校に入ると『IVY(アイビー)』の流れを汲む、『プレッピー』と呼ばれるトラディッショナル(伝統的)さを少し崩した若者のファッションに傾倒した。
これは反動? 洒落っ気? それとも思春期で色気づいたか 
(『K』はサーファーだったので、『ファーラー:F』のニットのボトムスなんかもはいていたけどね、)

この頃、『ポパイ』、『ホットドッグプレス』、『メンズクラブ』といったファッション雑誌が流行していた。

チノパン、コッパン(コットンパンツ←綿パン)、にボタンダウンシャツ、そしてローファーシューズ。
ポロシャツ、「トレーナー」と言われていたスウェットシャツ、スウィングトップジャケットに『Convers』のハイバス(ハイカットのバスケットシューズ)そして『Top Sider』のデッキシューズ。

『VAN』『KENT』『ブルックス・ブラザース』『Paul Stuart』という名門。
『joint』『EIKO』なんてもっとカジュアルな店、『キディランド』(玩具屋)でも流行を追いかけた。

僕らは原宿にそれらを求めていった。
(ほとんどがウィンドウショッピングだけどね)


それと、その頃の原宿は歩行者天国の最盛期だった。

青天にラジカセの大音量が鳴り響く
『竹の子族』、『ロックン・ローラー族』

みんなが、汗を流していた。
色とりどりに、鮮やかに、
激しく、しなやかに、

これもまた刺激的なファッションであり、どこかで憧れていた。
ちっぽけな、青春なのかもしれないけどね。
それでも原宿に行くのが楽しみだった。

              (了)

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