2011年12月31日 (土)

『 紅葉狩り 』 ー 目黒川 ー

品川は青物横丁界隈で生まれ育った僕は、まだ小さな少年だった頃、悪さをしたり、わがままを言ったりして、母親に叱られていると、

『お前は目黒川の橋のふもとから拾ってきたんだよ。』
なんて言われることが度々あった。

笑って済ましてはいたが、幼い心にはいくばくかの不安が残っていて、それはおそらく僕自身の表情をこわばらせていたに違いない。

もちろん嘘であることはあらかた承知していたのだが、なぜか不安になった。
そして一人いる兄にそんなことを言っているのを、見かけたことも聞いたこともなかったから余計だった。

中学に上がると、同じサッカー部に入った何人かは、やはりそう言われたことがあったことが分かった。

これは当時、言うことを聞かない悪ガキを躾けるための常套句だったのだろう。

目黒川とは
『東京都世田谷区三宿の東仲橋付近で北沢川と烏山川が合流して目黒川となり南東へ流れ、品川区の天王洲アイル駅付近で東京湾に注ぐ。
全長7.82kmの二級河川』(【Wikipedia】参照)だそうだ。

で、その当時の目黒川といえば、高度成長期を過ぎた京浜工業地帯、工業廃水なども垂れ流していたのではと思わせる汚い川の代名詞のように言われていたのだ。

そんな川に捨てられていたのだから、たまったものではない。
嘘とは言え、幼い少年の顔を強張らせるには十分な理由だったかもしれない。


先日、かねてから、行ってみたかった目黒川の桜並木の紅葉を見に出かけた。
通勤の京浜東北線の車窓から、冬の桜に彩られた川の景色を、チラッとだけ見ていたので、是非行ってみたかったのだ。

スタートは大崎ゲートシティ裏から。 0001
この界隈にここ何年かでぽんぽんと建った高層ビルの麓にある御影石のベンチに腰掛けて、チキンナゲットで軽く腹ごしらえ。

ナゲットをくわえながら眺め見た川の風景に
『(紅葉に)なんとか間に合って良かったぁ、』と思った。

小中一貫校『品川区立日野学園』に渡る橋だったか青い橋が綺麗だったのでパチリ。

以前にも書いたがここのところ橋に惹かれるものがある。
デザインそのものにもだけれど、そこに架かる雰囲気が良いのもかもしれない。

歴史や物語がなにかしらあるようにも見える。
また、橋が象徴するイメージにも文学的に惹かれているのかもしれない。


そんなことを思いながら、腰掛けていた椅子の前に落葉した赤い葉とアイビーの深いグリーンとのコントラストにパチリ。
0001_2

               (つづく)


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2011年11月27日 (日)

『 御酉様 』 その2

こういった出店が連なるお祭りなんかをやっている場所のことを『高街(タカマチ)』と言う。

僕の大好きな作家『田中小実昌』氏の小説やエッセイに、氏本人も経験していた『香具師(テキ屋)』の話がよく出てくるので、それで知った言葉だ。

実は僕のペンネーム(ハンドルネーム)の『みのる』は『田中小実昌』氏の一文字『実』の字を頂戴している。

それはともかく、浅草は一年の年がら年中お祭りをやっているような町なので、こうした『高街』も必然と多くなる。
だもんだから、そんじょそこらの縁日に並ぶ出店とはちょいと違う。
種類も、規模も並ではない。
大型のテントをいくつも張って、ゆっくりと座って飲める居酒屋だってある。

そんな高街をすでに御酉様にやってきた人々が行き交っていた。0002
でもそこはお詣りをしてからゆっくりと眺めるとする。

(鷲)神社へ入るところが分からずに高街の中をぐるぐる回ってしまった。 
そして出た表通りには既に人が列をなしていた。

お詣りをするのに並んでいるのだ。
こんなに人が集まるとは思いもしなかった。

それでも、30分くらいで門をくぐることができただろうか。

まだそんなに暗くはなっていなかったのだが、なんだか灯りが違う。
『節電のためLED電球を使用しています。』だって。0003
LEDは結構だが、昼白色じゃなくて、せめて電球色にして欲しいところだ。
ほうずき市なんかでも、縁日の出店のランプでもやっぱりクリア硝子の裸電球じゃないと雰囲気が出ないなぁ。

それでも、飾られている大小の熊手の数はなかなかだ。
入ってそうそうに並ぶ巨大な熊手には、芸能人や政治家、有名人、著名人の名前が書かれた札が差されている。
いくらするのかねぇ、と思う。百万円単位のものもあるんだろうか。

一人70歳前後のオジさんが自分の背の丈以上の竹筒に両手を広げたくらいの大きさの熊手を肩に背負って持って帰っていたのを見た。
持って帰りたいんだなぁ。
お客さんが立ち去った後、店の人が『配送じゃなくて、良かったね。』なんて話していた。
0004  0005_4 
お詣りをして神社内のたくさんの熊手の出店を冷やかす。0008_2『せっかく来たんだから、値段だけでも聞いてってよ。』なんて、声を掛けられる。
別に商売をやっていなくても、幸せを掻き集めるってことなので、熊手を買ってもイイんだと納得したけど結局買わなかった。
そして、裸電球を吊るした店があった。
やっぱりコレだよなと思う。
それにしても、この何軒もある熊手屋さん、普段は何をやっているのか歩きながらずっと考えていた。
結局その疑問は解決されていないけどね。


帰り道、千束通り商店街でサザエの串焼きに喰いつく。
もちろんビールを飲みながら。

また、言問通りを渡り、浅草寺の境内を歩いていたら、芸姑さんがやってきた。
慌てて、再びカメラを取り出しパチリ。
ブレボケ、ですな。

やっぱり、浅草って楽しいなぁ。
                          0009


               (了)

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2011年11月22日 (火)

『 御酉様 』

休みの日、久しぶりに浅草へ行った。
その日はたまたま御酉様(酉の市)だったので、ちょっと足をのばして行ってみることにした。

御酉様は『商売繁盛』の神様にまつわる行事だと思っていたので、あまり行ったことはなかった。

三十歳の時に勤めていた会社の社長が、沖縄の名士のご子息なのだがなかなかの江戸っ子ぶりで、御酉様の日にはたいてい社員を引き連れて近くの浅草『鷲(おおとり)神社』へ向かうのだ。

それ以来である。

都営浅草線、浅草駅を降り、『雷門通り』を西へ。
雷門『常磐堂雷おこし本舗』で、肉まんならぬ「もんじゃまん」買って食べ歩く。
『葵丸進』(天ぷら屋さん)を横目に『オレンジ通り』に曲がる。

印伝屋さんがこんなところにあったっけと思いながら、以前に下駄を購入したことがある『冨士屋(履物店)』さんのショーウィンドーを眺めて、
『来年はそろそろ買いたいなぁ』と思いながら通り過ぎ、『新仲見世通り』を左に曲がると、すぐに『辻屋総本店』(履物屋さん)。
『今度はこっち(の下駄)かなぁ』とチラ見。

『帯源』さんには新柄があったように見えたのでちょいとのぞき込む。
よく見る靴屋も素通りして、『六区(ブロードウェイ)』。

角の映画館ではポルノ映画と任侠モノのポスターが並ぶ。
『昭和残侠伝』。
(高倉)健さんはいつの時代もカッコイイ。
今度、随分と久しぶりに映画に出るそうだ。(映画『あなたへ』降旗康男監督
昭和残侠伝(DVD)


何でも屋さん(『金生堂』時計、ライターなど中心)がとば口にある角から『ひさご通り』に入る。

カラフルなカーリーヘアーのカツラが並ぶ店なんかが昔からあって、いかがわしい感じのするアーケード商店街だった。
『米久本店』(すきやきや)さんの開いているところ初めて見たかもしれない。
若い男性の下足番が四、五人も構えていた。
ショーケースのサンプルの肉の皿が埃だらけで、もうちょっときれいにすればイイのにと思う。

お祭り好きの下町小僧からしたら『ひさご通り』と言えば『あだちや』さんだ。
祭り道具(主に着るものね。)が揃っていて、とても楽しい。

そしてその隣にはこれまた履物屋さん『まつもと履物店』。
ここは草履。
『坪下がり』といって鼻緒の留める位置が後側にあって、踵がはみ出るくらいの履き方をする草履が売っている。
鼻緒の孔の位置、『坪』の前の部分が随分と反り上がっていて、角がたっているのがカッコイイ。

言問通りを左に折れて、国際通りの交差点を右に渡る。

もう人の流れができていた。

久しく行っていないので、浅草駅で手にしていたチラシの地図で確認しながら神社への道を進むと、テキ屋さんの出店が見え始めた。
と思ったら、物凄い数の店が並んでいる。

流石、お祭りの街『浅草』だなぁ、と思った。

               (つづく)

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2010年2月18日 (木)

『 十条銀座商店街 』

春のような陽気だったので、ぶらりと商店街巡りにでた。

『十条銀座商店街』
http://www.jujo-ginza.com/

相変わらず大した下調べもなく行った。
とりあえず『東京三大銀座』の一つだそうだ。

加盟店は約200軒。隣接して、仲通り商店街と富士見銀座商店街。
東十条につづく演芸場通り商店街。

で、とにかく歩いてみた。
駅を出て左から、ぐるりとまわってから、いよいよアーケードになっている「本通1区」。
すると、すぐに脇道が出て来てまったく困る。
どう、廻ろうか悩むからだ。

ウインドーショッピングとは良く言ったもので、

まずは「西通り」エリアの惣菜屋さん「あい彩家」さん。コロッケ30円とか、イカフライ100円とか。
そのまま進むとすぐに「十条仲通り商店街」と名前が変わっていたらしい。

あられ、おかきの店『桃や』さんにはひな人形が、ひなあられ達に飾られてなかなか見事だった。(写真失敗)

おにぎりの『蒲田屋』さんの「あなごの天むす」は100円で、まだ歩きはじめということもあり、食べずじまいだったが、僕はいつまでもショーケースのそれを見ていた。

で、この商店街のつくりが変っていることに気付く。
軒を列ねた長屋の連続なのだ。それに気付いたのが、ここから。

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私道のトンネルになっている。

『この道は、私道です。建物が老朽化しており危険ですので、通行はご遠慮下さい。』
なんて看板が掛けてある。
大丈夫なんだろうか。

「フジサンロード」には、行列ができていた。
『鳥大』という惣菜屋さんだった。
やきとり、フライ、サラダなど。
鶏肉で何かを巻いているのか、チキンロールがおいしそうだった。

こういった商店街巡りといえば、やはり『食べ歩き』だが、さすがにチキンロールはやめにした。

アーケードをさらに進むと屋根は無くなり、「富士見銀座商店街」へ、

結局、この通りの突端の惣菜屋『鳥富士』の『さくさくチキン』が眼に留まった。
『ガーリック味』の言葉、見た感じも美味しそうだった。

しかし僕はこの手のブログがどうも苦手だ。
それを、買って、食べて感想をいう。
写真は、……。

いつも、食べてから気付く。撮り忘れているのだ。

0001

ちょっと脂っぽかったけど、僕は『K』社のフライドチキンより美味しいんじゃないかと思った。
ほんとにサクサクで、ガーリックフレーバーもちょうど良かった。
一本、120円。

後は、看板とPOPが面白かったので、いくつか。

Photo_2
『百歳万歳』っていくつ?

0001_2素敵な鉄のフレーム。

20001さすが『サービス美容院』


0001_5文言もイイけど、ここに石垣が、

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可愛いツッパリヘアーがヅラり

30001_2豆腐屋さんの奥はパチンコではなく、薬局です。


まぁ、こんな回があっても良しとしましょう。

              (了)

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2009年5月30日 (土)

ぷらり途中下車の旅  ー 都電荒川線 後編ー

『町屋駅前』で下りる。

『マチヤ』と言うと、京都の『町家』を思い出すので、古い街並とかがあるのかと期待をする。
が、実際は地方都市の駅前のようだった。
(ここの『マチヤ』は『町屋』ですから、微妙に違いますね)

駅から『尾竹橋通り』を歩く。
なんて事はない。
ちょっと肌寒くなってきた。


そしてとうとう終点『三ノ輪橋』に到着した。
ここは、違う。なにかイイ感じ。

降りて、雰囲気が違う。
昭和の匂いがする。

細い路地の向こうにアーケード商店街が見える。
もちろん足が向く。
『ジョイフル三ノ輪商店街』
八百屋、魚屋、総菜屋…。

パッと見、『使いこまれた野球グローブ』のような魅力がある。

『うなぎ屋』が目立つ。
江戸の昔、荒川に獲れたうなぎで商売をしていたか。

肝串が眼に飛び込む。
すぐさま、酒屋を探す。
歩いていると、もう一軒の『うなぎ屋』でも肝串が、…。

もうちょっと歩くと、ちょっとしたトンネル(?)。
そこを抜けるとその上はとてもレトロな洋風ビル。
写真館だという。

1


もう我慢ができなくなった。
最初の店の肝串を買って持っている。
150円の正札が、残り僅かだったので130円になった。
指に付いたタレが僕を誘う。

スーパーを見つけ、ビールを買う。
座るとこも探さず、路地裏で串を頬張る。

タレの甘み、肝の苦み、芳ばしさが合い舞う。
そして、
『ビーーール!!!』

無目的の『ぷらり』旅はすこし長く感じた。
『三ノ輪橋』は、もう少しゆっくり歩いてみたくなった。
『松尾芭蕉』『奥の細道』のスタートラインや、『素盞雄神社』、『小塚原刑場跡』に『回向院』。
アーケード商店街ももっといろいろと、


薔薇のゲートの先に、夕映えの『三ノ輪橋』駅があった。
次回はここが始発駅となるか、

Photo

             (了)

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2009年5月27日 (水)

ぷらり途中下車の旅  ー 都電荒川線 中編ー

ちょっと疲れたので、『鬼子母神前』から、『王子駅前』まで電車に揺られる。

車窓からは、この時期『バラ』が沿道にずうっと咲いている。
見事なもんだ。

だからといって、観光目的の電車ではない。
通勤、通学、お買い物といった、街の人達の為の乗り物のようだ。
午後二時、三時頃でも、5-6分に一本の電車が来るので、とても使い勝手が良い。
そして、いつもそこそこ混んでいる。

一つ手前の『飛鳥山』には立派な公園が見え、降りてみたかった。
『旧古河庭園』が徒歩15分のところにあるはずだったが、通り過ぎてしまった。

『王子駅前』に降りたのは、『扇屋』の玉子焼きというのを見てみたかったのだが、結局探せず、駅近くの野天の開放的なファーストフードモールで、『アップルパイ』とアイスコーヒー。

つづいて『梶原』で、『都電最中』の和菓子舗『明美』を探索。
ホントにそれらしい商店街があるのか不安だったものの、ぐるっと回って、『明美』発見。
テレビカメラが取材中で、店の中にも入らず。

一個140円の『都電最中』も遠目に見るにとどまり、次の『荒川車庫前』まで歩く事に、
甘いものへの欲求が失せていた。


近頃、ちょっと『コテツ』が入ってきている。
(鉄道を趣味とする人を総称して『テツ(ちゃん)』と言うらしく、ちょっぴり趣味的な人は『コテツ』なのだそうだ。ならば、まだまだ『プチコテツ』程度だと思うけどね。)

なのでこの駅は少し楽しみだった。
古い車両や、唯一の操車場がある場所なのだ。

が、残念ながらその『都電おもいで広場』は午後四時で閉場ということだった。
(ので、以下の写真は門の外からの撮影です)

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2_3


つづいて『熊野前』
もう何十年前になるのだろうか、『北野武』氏が『ビートたけし』さんの頃、日本テレビ系列で放送していた『天才!たけしの元気が出るテレビ』で取り上げられた、『はっぴぃもーる熊野前』のあるところだ。

ウェブでは随分と寂れている事が書かれてあったので、期待はしなかったが、火曜日は商店街全体の休みのようで、更にがっかりした。
『たけし猫招き』は商店街事務所のシャッターの奥に、薄暗く置かれていた。

その先の『おぐきんざ商店街』は活気があって、好印象だった。
『日暮里・舎人ライナー』が開通して、『赤土小学校前』駅にほど近い事が、その理由だろう。

総菜屋さんにはそこそこのお客さんがいた。
蒲団屋さんの枕や、洋品店の肌着などが安くて良かった。

『リサイクルショップ』で三個百円の靴グッズ(靴クリーナー、ワークブーツ用靴ひも、ヒール補修セット)を購入。


歩いていると荒川線の『東尾久三丁目』駅に着いた。

             (つづく)

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2009年5月26日 (火)

ぷらり途中下車の旅  ー 都電荒川線 前編ー

よくある、コースかもしれない。
しかし、全線走破したことはもちろんない。

東京の城北エリアには、あまり行ったことがない。

では、まずどうやって、効率よくそこまで行くか。
時間、交通費、乗り換え、である。

 一日乗車券 都営まるごときっぷぅ〜!(ドラえもん調に)
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なんと700円で、都電、都バス、都営地下鉄、日暮里・舎人ライナーに乗り放題なのだ。


さっそく都営浅草線から都営三田線に乗り換え、『西巣鴨』で下車。

まずはお決まりのように『巣鴨地蔵通り商店街』をぷらり。
『猿田彦大神』で旅の始まりにお参り。

定食屋が案外とある。
煎餅や甘味といった和菓子系の店。
『元祖 塩大福』というのが、いくつもあったが、いきなりにはちょっと重そうだったのでパス。

婦人服店も多い。
話題にもなった『赤いパンツ』の店が何店か。

安いものというより、まさに『おバァちゃんの原宿』と言われるだけあって、お土産屋さん的な価格帯の店が多い。

荒川線『庚申塚』の駅近くの和菓子屋さんで『道明寺』を買い食い。
駅にあった荒川線マップの看板でどこへ行くか検討し、『面影橋』の「東京染ものがたり博物館」へ向かう。


一両編成の都電はそう『チンチン電車』と言われていた事を、列車に乗り込み発車の合図で思い出す。

『チンチン♪』


まずは『面影橋』を通り過ぎ、『早稲田』まで言ってみる事に、

が、『大隈講堂』とかにも行かず、結局、『面影橋』まで歩く途中にその小さな博物館はあるはずなので、行ってみるが、手に地図すら持っていないので、いきなり迷子に。

神田川の葉桜と清流に眼を奪われたのが原因だった。
『山吹の里』の碑や『氷川神社』や『南蔵院』の前を通り、また『早稲田』方面へ戻り、やっと見つけた博物館。

そこは単なる『染工所』だった。
チャイムを押しても誰も出てこず、黙って暗いその博物館と言う名の作業場をぐるりと回って出てくる。

二十代半ば、弟子入りを考えて小岩の染工所に見学に行った事があったけか。
四十前の職人さんの指先が『藍色』に染まっているのを見て、ちょっと引いた自分がいたかな。


トイレに行きたくなったので、都電には乗らず『学習院下』、千登勢橋をも歩き通し、線路は離れていく。
尿意と不安にかられていたところに『鬼子母神』らしき建物が見えたので、そちらへ、
とにかく、途中にコンビニがない。

『鬼子母神』は彫り物が素晴しかった、ような気がする。
が、トイレが見当たらない。

大きな木箱や板が積み重ねてあって、お祭りが終わったのかなとか勘違いをする。
その箱には、『唐』『組』とあったので、鳶職の道具かなにかと思ったのだが、後で、若いジャージ姿の面々が現れて、『あぁー、唐十郎さんの劇団の人達か』と合点する。
いまだにこういうところにテントを張って公演を打っているのだろう。

参道の脇にあったトイレを見つけたことで、境内にある都内最古の駄菓子屋『上川口屋』さんをゆっくり見る事はすっかり忘れてしまった。

『鬼子母神前』から再び都電に乗り込む。


             (つづく)
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2009年4月11日 (土)

『はしご花』  熊谷 ー 前橋

『花見』へ行くのに、行き先が決められずに朝を迎えてしまった。
通常出かける時より、二時間程起きるのが遅くなった。


結局は『熊谷』へ向かうことに、

『日本さくら名所100選』に選ばれている
熊谷の『(荒川)桜堤公園』へ。

11:30頃には熊谷駅に着いた。
駅前のコンビニでビールを仕込む。
程なくして、荒川の土手に着いた。
出店はとば口にちらほら程度。
人出は、平日の昼前ということもあり、家族連れが多い。

川に沿って、およそ2.0kmもの間に500本のソメイヨシノが植えられているそうだ。

持参のにぎり飯を頬張り、500mlと350mlのビールを飲み干すと、初夏のような陽射しにやられ、草の上で眠りに落ちる。
小一時間もして目を覚ますとオデコからコメカミと、あてがっていた腕に汗が滴り、光っていた。

土手の反対側をしばらく歩くとそちら側にはまだ、菜の花が咲きほこっていた。
河原を歩く人達は皆、のんびりしているように見える。


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『熊谷』を後にして、『前橋』へ、

初めて訪れる街だ。
群馬というと『高崎』だと勝手に思っていたのだが、『前橋』は県庁所在地であることを歩いていて知った。
夜桜を『前橋公園』で見物する予定で、向かう途中、観光マップにあった『龍海院』に寄る。
前橋藩主酒井氏の菩提寺ということだ。
山門も本堂もなかなか立派だ。
庭の砂利石に模様が描かれている。

桜も太く大きく木肌のごつごつ感が良かったし、全体的に風情が感じられた。
寺社の樹木は、良い。
それぞれが溶けあっているよう。
歴史と自然と、……

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『前橋公園』へ向かう途中、立派な高層ビルが聳え立つ。
これが、群馬県庁だった。

しかし、ここ『前橋』にはコンビニエンスストアーが見当たらない。
『前橋公園』近くまできて、結局、何百メートルか離れた『スズラン』というデパートで、ビール、缶酎ハイとにぎり寿司を、別の酒屋さんでワインなんかを買い出しして、再び、『前橋公園』へ向かう。


芝生と、街灯を利用しての『お花見』。
ここも、家族連れが多い。
芝生の上にこじんまりとした車座がてんてんとできる。
桜なんかはたいして見えないけどね、

日中は暖かかったが、夜は冷えると予想して、持参していた『ヒートテック』(by ユニクロ)を重ね着して万全に、そして乾杯。


午後7時頃か、すっかり帳が降りたその公園に、天体望遠鏡を持ち込んだグループがやってきた。

『月のクレーターをご覧になりませんかぁ』

と声をはる。ボランティアらしい。
子供からお年寄りまで、あっという間に人だかりができる。

『怪しいものでは、ございません。』

宇宙へのロマンを持たせる道先案内人。

僕も躊躇していたのだが、終わってしまわないうちに、近づいていく。
『80倍』だそうだ。
満月には後二日程あるのだろうか、
少し欠けている部分の輪郭の陰によって、クレーターの凸凹が見えるという寸法だ。

『花見で一杯』の次は、
『月見で一杯』である。

             (了)

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2009年2月18日 (水)

小田原城 ー 吾妻山公園

小田原へは、年に一、二度くらいは行く。

小田原城はここのところ、天守閣周辺の門の復興工事をしていて、
去年はまだ工事中で虎柄(黄色と黒)のロープが張られていたり、ユンボが赤土を掘り返していたり、

それが今回はもう奇麗に建てられていた。(『銅門』)
ああ、ここを騎馬や歩兵の軍勢が大挙して通り過ぎたのか、などと想像する。
青く澄んだ空に、真っ白な漆喰塀が映えてとても鮮やかだった。

さらに、堀の近くにまた別の門を復興中だったので、(『馬出門』)
また次回の訪問も楽しみだ。
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城の周りを歩いていたら,セピア色の写真があちこちに飾られていた。
明治時代、天守閣跡に旧城主を祀った「大久保神社」があったという写真。
その後、昭和三十年にはその場所に(?)観覧車。(神社は何処へ)
そして昭和三十四年、現在の天守閣再興建築時、丸太足場の組上げた壮大な写真、と興味深いものだった。


今回の主たる目的は、菜の花と360度の展望を誇る二宮、吾妻山公園。
JR東海道線二宮駅北口よりすぐの小さな山で、はじめに待ち構えていたのは、かなり急な勾配の階段だった。
年金生活のお友達グループといった60代、70代の元気なおば樣方も息を切らしながら上がっている。
と言いつつ僕も少しへばってしまった。
15分も登っただろうか。
緩やかな曲線を描く枯れ芝の上に展望台が円くあった。

残念ながら富士山には雲がかかり、麓しか望めなかったけれど、
南に見下ろす相模湾の水面のきらめきは浮世絵を思わす景色だった。

缶ビールと黒糖いなり(寿司)で軽く腹をたし、菜の花の芳香と早春の陽射しを小一時間程浴びた。
着た道とは別の階段を下り、吾妻神社をお参りし、さらに南へ降りる。
道路に出る手前にも鳥居と小さな祠が、『神明宮』とあった。

その前の道の向うにはJR東海道線が横切る。
そこを渡る陸橋を越えるとき、列車がその下を通過するのを待った。
風を切って走り来るステンレスの塊。
僕はスティーブン・セガールよろしく、列車の屋根にひらりと舞い降りた。
『暴走特急』だ。
そんなことを想像しながら、行き去る列車を見送るとさらに南へ。

細い道の先にまたしても鳥居が、…
僕は合点した。
『ああ、先の『神明宮』『吾妻神社』を結ぶ参道なんだ。』と、
そこにいつのまにか、列車が横切るようになってしまったわけだ。
鳥居の目の前は国道一号線で、五十三次の東海道。今度は江戸時代にタイムスリップ。

その後、住宅街の細い道を抜け、相模湾を望む海岸に出る。
途中ところどころに梅の花を見かけると、やはりここいらは小田原に近い梅の名所であることに気付く。

早春の格安散歩旅を楽しんだ一日だった。


                (了)

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2008年7月20日 (日)

上馬から −2−

山手通りからバスに乗れば家の近く迄帰れる。

が、歩いているうちに歩いていることが楽しくなって来た。
もちろんお腹も空いているのだが、都会のバス通りを、皆が車で行き交う道を
テクテクとトコトコと歩いていることを楽しんでいる自分がいた。
愛犬もそこそこ楽しんでいるように見える。

近頃はやりのテレビの散歩番組みたいな発見がそうそうある訳ではないんだけどね。
山手通りのアスファルトと生け垣の舗道はどこを歩っても見慣れたモンだし、
歩くスピードで歩いていても、気が急いでいたり、タイミングが合わなければ見逃しているモノもたくさんあるんだろう。

それでも発見を期待してのことか、歩けば景色が変わるということにか、歩っていること自体にちょっとした『ウォーカーズハイ』とでも言える感覚が芽生え始めてきた。

が、かつてバスから見えていた、気になる家具屋や飲食店はいざ目の前に現れるとそんなに気にはならなかった。

途中変形五叉路の細い途どうしの角に四、五人のサラリーマンがワイワイやっていた。
テラスのようだったが、居酒屋だ。彼らの席分しかテラスのスペースはなかった。
立ち止って、隣の店を覗く振りをして遠目に見てはみたもののそこまでにとどまった。


『中目黒』まで来た。
期待をに抱きながら、もう暫く歩いてみることにした。

ここを通るたびに、20年前にあったメキシカンステーキハウスを思い出す。
それは無くなってしまったことが残念で、またいつの日かこの地に現れるのではという願いも込められている。

高校の同級生『K』ときて、タコスと豆料理を食べた後にステーキを注文した。
僕は「1/2ポンドステーキ」。
『K』は雑巾を二枚重ねたくらいのボリュームの「ジャンボステーキ(500g)」
『K』は雑巾のようなそれをしゃっくりをしながら、フォークで口に入れていた。

高校時代、昼休み、『K』と一緒に弁当を食べていたら、彼は
『ヒック、ヒッ』とシャックリをしながら食べていたので訊くと、いつものことだから、大丈夫と返って来た。
四十を過ぎた彼が今もシャックリをしながら家族と食事をとっているのだろうか。
小学五年生の息子と親子揃ってシャックリをしてご飯を食べていた、
なんてことなら、あまりにも『シネマなシーン』なんだけどなぁ。


『もういい加減、腹が減った。』
が、結局、「ビール」「もつ鍋」「パスタ」なんかを笑顔で口に入れている姿を、
お店の外から眺めただけで、とうとう歩くことを止め、バスに乗った。

すぐに一軒、『ラーメン』と『おでん』の幟とちょうちんを掲げた、広い駐車場のようなスペースの店があったのだが、もっと先にお酒がメインのお店があるのではと、あっさりやり過ごしてしまった。

愛犬は途中、お水やおやつを『クシャ、クシャ』飲んだり、食べたりしていたけど、
重い弁当箱の白飯をたいらげる僕が、500mlのミネラルウォーターと一本のフランクフルトのみで、
上馬—三軒茶屋—太子堂—池尻—大橋—中目黒
と歩き通し。
降車した『五反田』でも当てにしていた焼き鳥屋に入れなかったので、もう諦めて家に帰ることにした。

さすがにちょっと苛つきながらまた15分ほど歩き、家に着いた。

何はともあれ、『ビール、ビール』と喉は冷蔵庫に向かっていた。
落ち着いたところで、愛犬にご飯をあげ、家を出た。

結局近所の居酒屋でその日初めての食事をとることとなった。
愛犬とのテラスの食事はかなわず、時計は午後10時を回っていた。


                        (了)

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