季節

2013年10月15日 (火)

『天高く、鳶を見つめる又三郎』

台風の影響で、風の強い日のことだった。

僕は、翼を大きく広げ、青空を滑空する鳶を写真に収めようと10倍ズームレンズ(デジタルズーム45倍)のコンパクトデジカメを構え、首を揺らしていた。


雲がゆっくりと流れている。

出来れば背景は秋を象徴する鱗雲が好い。
ハッキリではないが2ヶ所に鱗雲ゾーンがあった。

敵(鳶)も生身の動物である。そうコチラの思う通りにはいかない。

彼らの下でパンでも食べていれば寄ってくるのだろうがそこまで執着はしていなかった。
(20年前、江ノ島の防波堤に腰掛けてハンバーガーを食べていたら、まんまとあやつ:鳶に持っていかれたことがあった。)

鳶の姿を追いかけたり、雲の構図にフレームを固定して待ち構え足りしたが、そうそう思うようなシャッターチャンスは訪れることなかった。


数日後、僕はその時の写真をPCに取り込んでいた。

鳶の写真は5枚。

一枚目は空の背景ではなく、水平線。
残り4枚が空である。

鳶を只の影にしたくなくて露出を少し開けてしまったことで、空もうすぼんやりしてしまった。

なんだか鳶にも焦点(ピント)があっていない。

そして最後の一枚。

いちばん鱗雲と鳶の関係がよさそうだなぁ、と思った瞬間である。

鳶や空を見つめていたはずだったのに、……

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見つめていたのは秋空の方だったのである。





               (了)           

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2013年4月 9日 (火)

『 春景色 』

ようやく春らしくなってまいりました。
当『新・みのるいろいろ』もおかげさまで20000ヒットを迎える事ができました。
誠にありがとうございます。
今回はお祝いもかねて春景色をいくつか、
まずはこの春先『梅見』ヘ行った時の一枚。
『のぞき富士』です。
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浮世絵を意識しました。
この景色が見える所で1時間以上呑んでいました。
そんなに寒くなくてとても心持ちが良かったですな。(なぜか落語家口調)
その近所、『富士山と駿河湾』
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春霞に浮かぶ富士。
左の奥の方には、南アルプス山脈がうっすらと写っていますよ。
今年はあっという間に桜の季節がやってきたので、準備もなく目黒川岸を遡上してまいりました。
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(おまけ:紅葉もGood!)
近所のお宅のサザンカはくす玉みたいで可愛かったのでパチリ。
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この日、小学校の満開の桜の中、一輪だけ咲きはじめていた八重桜。
フェイスブックのプロフィール写真に使っています。
それでは、今後ともよろしくお願い致します。
               (了)

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2013年4月 1日 (月)

『 梅見 鷹 』

梅見に出かけた時のこと。

梅林の近くまで来たら、坂の途中の一軒のガソリンスタンドに数人の観光客らしき一団が群がっていた。

鷹である。

スタンドに止まり木があり、そこに一羽の鷹が端整な顔をして整然と構えていたのだ。

東京からちょっと離れただけなのに、なかなかいい趣味してるなぁ、と思ってしまった。

鳥類に興味がある訳ではないんだけどね。

そんな思いも束の間、その群れの一人の男、梅見に観光できたであろう60年配のおじさんが、店(ガソリンスタンド)の女性に言った。

『コレ、何か喋るのぉっ?』

おいおいおじさん、何がどう転んでも九官鳥には見えないだろ。

店の女性は冷静に応えた。

『いいえ、鷹ですから。』

『あぁ、鷹なのぉ。』

ちょっと訛りのあるイントネーションだった。

『喋んないんだぁ。』

おじさんは照れ隠しなのか、残念がっていた。

立ち姿から、オウムだと思ったのかもしれない。

良い歳をして案外知らないことがあるもんだ。

*** *** *** *** *** *** *** *** ***

それにしてもプライドを傷付けられたのは鷹である。

杜の王者を自負するくらいの強者が、お喋り好きの小賢しい奴、もしくは鸚鵡返しに人を嘲るモヒカン野郎と間違えられたのである。

歴史を遡っても、起源は古く、古墳時代の埴輪の手に鷹を乗せたものも存在するし、日本書紀によると、仁徳天皇の時代には鷹狩が行われていたそうである。

鷹狩の歴史は、世界では中央アジアないし、モンゴル高原を起源とする説があり、近代以前は東は日本。西はアイルランド、モロッコ。北はモンゴル、スカンジナビア、南はインドと広い。

現代では、南北アメリカ及び南アフリカでも行われているそうである。

そんな鷹が、オウムや九官鳥と同じように思われたのだ。

数日後、彼はご主人が連れて行くいつもの湿原にいた。

(『俺もちょいとは人の言葉を話せた方がイイのかなぁ。』)

『オイ、こらぁっ!』

『コラッ、行けっ!ほれっ!』と鷹匠のご主人が腕を振る。

(バサァッ!バサバサッ!)

(『おっ、危ねぇ!……ん!?)と鷹。

『ああぁーぁ。逃げちまったでぇ。』とご主人

(『あっ、イケねぇ。ボォーッとしてたら、ゴイサギ(五位鷺)を逃がしちまったぁ。俺としたことが、……。』)

『店(スタンド)で観光客の相手なんてさせてるもんだから……、ったく、鈍っちまいやがったなぁ。』

(『すんませんねぇ。』)

(バサッ、バサッ!)と身を正す鷹。

なんて、妄想を描いていたら、僕は一周して駅に戻っていた。

『あれあれ!?そういやぁ、僕は梅を見に来たのに、記憶がない。』

『喋ったか、夢かうつつか、梅見たか。』



               (了)

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2013年2月 7日 (木)

『 節 分 』

ずいぶんと温かくて、風の強い一日だった。

 節分の前日だった。

これが、二日後の立春に吹いていたら、『春一番』なのだとお天気ニュースでやっていた。

 天気図で、北海道の北北西に低気圧があり、太平洋の南側、小笠原辺りに強い高気圧がある。

 それが、低気圧に引き寄せられ、強い南風が吹いたのだそうだ。

(東京ではおよそ風速毎秒8m以上なんだとか、)

 なんだかとても納得できた。

 気圧の変化で『関節が痛む』なんてことをよく聞くが、なぜなのかは知らない。

 実際、僕の頸椎椎間板ヘルニアも久しぶりに顔を覗かせて、ツンツンと神経を刺激した。

 初めの頃はビビっていたけれど、近頃はあまり煩くはないので、うまく付き合えればと思っている。

 一昨年になるが、山の上ある神社にバスで御詣りに行って、帰りは山道を歩いて下ってきたら、膝が壊れた。

 登りでウォーミングアップをしていればそうはならなかったに違いない。

下りは上りほどではないのかもしれないが、踏みとどまるのに筋肉を使うのだろう。

その筋肉に準備なされていなければ、関節だか、靭帯だかに負担がかかってくる。

 山の途中で、といっても下りなのだけど、泣きたくなるくらいに膝が痛くなった。

立ち止まる訳にもいかないし、救急箱を持ち歩いているわけもなく、痛みをおして休み休みでも歩いて降りていくしかなかった。

 今年の冬、寒いからなのか、体重が増えてはいないので筋肉が落ちたのか、その膝が痛む。

 今年は巳年で年男の僕は、節分には、盛大に『鬼やらい』をしようと思っていた。

 裃を着て、我が家のベランダから、近所の子ども達に。福まめを撒くのだ。

 まぁ実際には、玄関から各部屋の窓を開け、『福さん』や『鬼さん』に囁く程度で、豆なんかも散らからないていどに置きに行くくらいのものだけどね。

               (了)

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2012年9月 8日 (土)

『 この夏の後悔 』for 『fb』

この夏、随分と釣りに出かけた。
湘南、西湘、真鶴、若洲(東京、江東区)、城ヶ島。

それでもって、何を後悔したかって、大物(魚)を釣り逃したわけではない。


夏の日差しは容赦なく釣り人を照らす。
雨に降られたこともあった。

『女鯒(メゴチ)』『鱚(キス)』『柊(ヒイラギ)』『目仁奈(メジナ)』『目張(メバル)』『葉オコゼ』『倍良(ベラ)』『権瑞(ゴンズイ)』……『藍子(アイゴ)』なんて魚を戴いたこともあった。


天ぷら、唐揚げ、塩焼き、煮付け、……。

食べて美味い魚。
毒をもつ魚。

悲喜交々があった。
でもって、何を後悔したかっていうと、釣った或る魚の写真を撮り逃したことである。

実は何匹も釣り、何匹かはその場で、釣ったその場で、さばいて食すまでしたのに、写真を撮っていなかったのだ。
釣り自体に夢中になっていたことは言うまでもない。
ただ、それを『後悔』と言わしめるだけの映像的美しさがその魚にはあったのだ。

『ウルメイワシ(潤目鰯)』だ。

およそ20cmほどの身の胸から腹は透きとおるような銀色がキラキラと目映いばかりで、
背側はまるでグリーントルマリンのような見事なまでの青緑色を輝かせていたのである。
(これがまた、活きよくバタバタと身を震わせるのだ。)

夏の海と太陽に輝くその魚の美しさは、いまだ僕の脳裏に焼き付けられている。
そして、その場でつくられたイワシの刺身の味といったら、しこしことした食感にじわりじわりと湧いてくる魚のもつ甘みがなんとも堪らなかった。


と、写真におさめることはできなかったので、公開することもできないけれど、僕の記憶にはしっかりと残っているので、良しとしましょうか。

まだまだ、釣りの道は続きますしね。

               (了)

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2012年1月12日 (木)

『 紅葉狩り 』 ー 目黒川 ー2ー

大崎から五反田まで、桜のイルミネーションが飾られると言う。
そんなイベントにもちょっとそそられる。

五反田駅付近には喫煙者がたむろしていた。
近頃、こうした『Smoking Area』なる場所を見かけるが、あまり幸せな光景には見えない。
僕はタバコを吸わなくなってもう、8年が経ったんだけれどね。


桜田通りの辺りにはお屋敷のような旅館が異様な佇まいを醸し出している。

随分古くから、そんな気配だったと思う。
なので、営業していない状態がここまで続くわけがないから、きっとひっそり営業しているのだろうと勝手に思い込んでいた。
今回よく見てみたけれど、やはりやっている雰囲気は感じられなかった。
御歳を召されたオーナーには後継ぎがなく、廃業したまま放置されているといった具合か。

山手通りからちょっと裏に入ったくらいでも道幅が狭いので、車も少なく比較的に静かだ。
書いてから気付くのだが、川や紅葉ばかりに気を取られ、そんな小径の景色なんかも撮影すれば良かったと後悔する。
何気なく見てはいたのだが、注視していたらもう少し違った風景が見えていたかもしれない。


川の景色は程よく霞み、背景のビルディングを見なければ、ヨーロッパの風景と見まがうばかりだとは言い過ぎだろうか。
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川からちょっと外れたところに一本銀杏がが立っていて、0001_3
見事な黄葉が色を放っていた。
以前、車で甲州街道を下った時に銀杏並木をなんどか通り過ぎた。
銀杏は東京都の公木でもあるからなのか、黄金色の並木道を通るのが、とても気持ちよかった。

近頃は、ギンナンの実の腐った、あの堪らない臭いをめっきり嗅がなくなった。
小学生の頃は毎年、おばあちゃんが拾ってきては、土に埋めて、水に浸けてあの毒々しい臭香を放っていた。
まぁ、後で、香ばしい贅沢品を馳走になる訳だから、文句は言えないけどね。

目黒、権の助坂との交差で山手通りに寄り道。
高級そうな家具屋をチラ見しながら歩いて中目黒が近づいてまた川の側道へ戻る。

煉瓦作りの立派な施設があった。
(区立『川の資料館』というのだそうだ。)
水辺は自然公園のように、いくつかの種類の鳥が羽を休めたり、飛び回ったりしていた。


桜の紅葉というのは、紅さもグラデーションも綺麗だし、
焦げたように少し黒ずんだところがあっても、悪くない。
春だけでなく、この季節にも楽しませてくれるのだから、 なんとも有り難い。
以前に書いたことがあるが、
『冬の冷たい雨に落葉した桜の路を歩いていたら、桜の香りがして』驚いたことがある。
その時、僕は日本人であることに慶びを感じたのだ。0001

そうこうするうちに中目黒に着いた。
十二月を目前に控えていた冬の日だったけれど、そんなに寒くはなかった。
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噂に聞いていた、犬が同伴できるテラス席のある店を見つけ、ワインで乾杯をする。
実はその日、私は46回目の誕生日を迎えていた。

目黒川で拾われ、目黒川の近くで自らの記念日を祝う。
なんとも、おめでたい話である。

               (了)

※ 挿し入れようとした写真がカメラから取り込み不良となっております。
  回復しましたら後日、写真を追加掲載いたしますので、その時までしばしお待ち下さい。

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2011年7月23日 (土)

『 運動会の朝 』

目を覚ましたら、『運動会の日の朝の空気』がそこにあった。

二週間ほど続いた猛暑日から一転、のんびりと渡っていった大型の台風6号の影響で、晴れたのに気温が25度をきっている。

その空気は、身体の表面にとどまらず芯まで冷やしていた。
Tシャツ、短パンにタオルケット一枚ではちょっと寒いくらいだった。


残暑の熱が嘘のように冷めて、体操着の半袖から伸びる二の腕に鳥肌が立ったりしていた。

運動会は楽しい反面、自分が良い成績を残せるか、演技を間違えずに上手くできるかなんて緊張を常に孕んでいる。
朝のひんやりした空気は、そうしたことも影響してか、神経が鋭敏になっているのかもしれない。


母が台所で腕を振るっている最中、できたてのまだ柔らかいおいなりさんを持ってくる。
甘い甘い(あぶら)揚げに、酢の利いたこれまた甘いご飯を、僕は口のまわりにつけ、お膳にこぼしながら頬張っていた。
おばあちゃんがそのこぼれた米粒を拾っては食べてくれていた。
僕は今でもこの母のおいなりさんが好きだ。

兄は一年生のときからリレーの選手で、小学生なのにアスリート然としてクールだった記憶があるのは、その後刷り込まれた現在の想いなのか。

僕がリレーの選手に選ばれるようになったのは高学年になってから。
頭が大きくて、足の短かった身体のバランスが整ってきた頃だ。

応援団長もやった六年生の年、この日の為に買ってもらった緑色のアップシューズ。
とても軽くて、ギザギザの白いラインがなんとも速そうでとても気に入っていた。


少し毛玉の立った化繊の白い体操着を身にまとい、玄関の立て付けの悪いガラス張りの格子戸を『ガーッ』と引き、敷居を跨ぐ。

ボロ長屋から、意気揚々と表に出ると身体にしみる空気が身を引き締めた9月。

『いざ、戦場へ。』
幼心に身震いした記憶。


休み明け、新しい夏ズボンと白い半袖Yシャツで出た自分の姿がやけに光って見えた。
しんと冷える身体に、幼い頃の運動会の朝を想いだし、僕は陽なたを探しながら駅までの路を急いでいた。

               (了)

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2010年2月 9日 (火)

 『 豆まき 』  - 節分祭 -

今日、二月三日は節分で、『豆まき』へ行ってきた。

愛犬の散歩のつもりで歩いていて、家から小一時間程歩いたところの神社だ。
去年、秋祭りを見に行った神社。


僕が最後に行ったのは、32年前で、品川は荏原神社の『豆まき』だった。
小学校六年生の時だ。

僕らは学校の友達ら何人かで、その神社へ向った。
『豆まき』の行われる能楽堂の前にかなりの人だかりができていた。

今か今かとその時をそわそわと待っていた。
すると人混みを掻き分けて一人の少年が僕らの前にあらわれた。
隣の小学校の生徒が、僕らの小学校で一番腕っぷしの強い『H』に挨拶というか、『よおっ』って感じで近寄ってきたのだ。
この年の春から、僕らは中学校へ上がり、この時初めて会った少年らと一緒に行動を共にするんだなぁ、と思った。

小さな町の小さな世界から、一歩踏み出したような、少しドキドキした感じが今でも心の中に残っている。


たまたまその神社の近くまで来たら、『ピーヒャラ、テンツク』お囃子の音色が聞こえてきて、僕は小躍りした。
もちろん、今日が節分であることは分かっていたから、散歩の途中、どこかの神社のもしくはお寺さんの『豆まき』に出くわせればなぁ、ぐらいに思っていた。
が、実は楽しみにしていたのだ。

午後三時半、本殿の中に裃(かみしも)を着飾った年男(年女)達が祝詞を賜っていた。
午後三時五十分、それまでお囃子で賑やかにやっていた能楽堂の前にはずいぶんと人が集まってきた。
やはり小学生が大半を占めているが、六十、七十を越したおばちゃんや子供達のお母さん世代の人達もちょこちょこといた。

午後四時、いよいよ裃を着た年男、これがほとんど還暦かそれよりも上の人達だった。
『ドドン』という大太鼓の音と同時に豆がまかれはじめた。

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『鬼はぁ−、外ぉー、福はぁー内ぃー』の声が聞こえない。
静かな豆まきである。
それでも、人々はビニール袋に入った福豆に夢中で手を伸ばす。
『こっち、こっちぃ。』なんて声は聞こえる。

年男達の力は福豆をあまり遠くに投げることができない。
能楽堂の近くには、子供達が陣取っていたから、それはそれで良しとして。

中には、身長180cmを有に超えた白髪まじりの五十代のおじさんが大きなトートバッグを持って、豆の袋を集めている。
そのおじさんを見て、僕の後で『まぁ、欲深いわねぇ。』と主婦の声がした。
それでも、人々は笑顔で豆の行く先を追いかけていた。

僕は豆を取るのと写真を撮るのとで大慌てだ。
今日はカメラを持っていなかったので、携帯の写メだから、より忙しくなる。

飛び交う福豆に手を伸ばし、飛びついてるうちに、なんだか愉快な気持ちになっていた。
何度かスッ転びそうになったし、筋を伸ばしそうにもなった。

主婦達は、スーパーの大安売りのノリなのかもしれないが、僕は『童心』にかえれた気がする。

家に帰り、別の福豆で我が家の蛇気(鬼)を祓ってから、戴いてきた福豆を歳の数だけ食べた。
今年の豆は格別に美味しかった。

『福はぁー、内。』

               (了)
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2009年12月23日 (水)

『 "better" - 風呂上がり - 』

12月に入ってようやく冬らしい寒さが、東京にもやってきた。

この時期にちょっとクリアしておきたい問題があった。
それは、風呂上がりの寒さ対策である。
悩みのタネになっている人も多いはずである。


冬の入浴は、温泉の露天風呂も含めて、気をつけないと危ない、とマスコミでも随分と取り上げられている。
急激な温度変化による血管の収縮や、血圧の乱高下は、身体に重大な影響を与えかねないからだ。

家電量販店では、それ用に縦型の電気ストーブを購入する客が、大きな包みを下げている。
一般家庭の風呂の脱衣場の広さなんて、たかが知れてるので、そんなもので十分かもしれない。

お金持ちの家では、広い脱衣所にエアコンを入れたなんて話しも聞いたことがある。
近頃の新築の家では浴室暖房が標準装備となりつつあるか。


僕も四十を越え、自分の身体を案じて、なにか良い方法はないものか、と考えていた。
実際、入る前にはシャワーでお風呂場を温めておいたりもしている。


ある時、頭にも身体にも滴が付いたまま浴室を出るから寒いんだ、ということに気付く。
浴室を出る前に、身体に付いた滴を拭うことによって、脱衣場に出ても寒さをだいぶ感じなくなった。
滴が冷たくなるから寒いのだろうか。
とにかく、僕からしたら発見には違いなかった。

ここまでは、多くの人が経験しているかもしれない。


今年、それでもやはり寒いのが厭だなぁ、なんて思っていた。

二年前、今の家に越してきた時に、ふざけ半分で購入していた『ガウン』があった。
スター(にしきの)のように、風呂上がりに『ガウン』という絵柄だ。
ホントに、その為だけだったろうか、……

僕は、それを思い出して押し入れから引っ張りだしてきた。

シャワーを浴び、少しルンルンした気分に……なんかはなっていない。
滴を拭いた後、浴室を出ると同時に羽織ってみた。
実は、この時少しルンルンした気分になった。
『欧米かっ!?』というギャグが流行ったが、そんな照れくささがあったのだ。

が、これは思った以上に実用的だった。
そう、これはパイル地の『バスローブ』なのだ。
この時の為に着るべき衣装なのだ。

そして厚みもあって温かいぞ。
風呂上がりの防寒対策は完璧だった。
バスタオルを首に掛けたりすれば、プロレスラー気分だって味わえる……。


これも一人暮らしの独身女性の方なんかは、もうすでに実践されているかもしれない。
が、ちょっと躊躇っている男性諸氏や、ご年配の方々にもお薦めだ。
恥ずかしがらずに、風呂上がりには『バスローブ』で、安心して冬のお風呂に入りましょう。

               (了)

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2009年11月11日 (水)

『 紅葉狩り 』 ー 写 真 ー

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                     2009年 秋

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