小言

2008年11月16日 (日)

『八百長』

大相撲九州場所が始まった。

ここのところ、様々な問題が相撲界を揺るがし、マスコミを賑やかしている。

その中で、『八百長相撲』とか『八百長力士』とか、『八百長』『ヤオチョー』って、騒いでいるのが、どうもしっくりこない。


『八百長』っていうのは、博打なんかで使う言葉だと思っていたからだ。
或る勝負に対して、お金をはっているのが博打だ。
その時に賭けているお金をせしめる為に、インチキをしたり、わざと負けさせたりするのが、『八百長』だ。

『勝ちたいから、負けてくれ。お金をあげるから。』

これは、相互間での話なら別に『八百長』でもなんでもないんではないか。

『いやしくも、『スポーツ』だから。『武道』だから。
さらには、『国技』だから、駄目なのか、許せないのか。
お金が絡むからなのか。


僕は『大相撲』は興行だと思っているから、金銭のやり取りがあったとしても、
『勝ち』を譲って貰って、何が悪いんだ、と思う。

日本相撲協会のハードスケジュールの中で、怪我、病気をおしてまで出場することもあるんだし、
たんに、給料の問題でなく、メンツの問題で、どうしても勝ちたいと思ったって、イイんじゃないか。


小さな、閉ざされた社会の中のことをどうして周りが、部外者が『ああだ、こうだ』言うのだろうか。


『国技』として、公共放送で流されているから、全力でぶつかり合わないと教育的にも悪いことなのだろうか。
『アマチュアスポーツ』なら分かるけど、『興行』とか『プロスポーツ』なんてものは、
お客さんを喜ばせる勝負で集客して、視聴率をとって収入をを得られれば多少の出来レースがあったって構わない。

ただあまりにも、見え見えの嘘くさい、いわば下手な真剣勝負ぶりは、興醒めしてしまうが、(この場合、『プロレス』は当てはまらない:この話はまたいつか。)
もちろん、そんな勝負ばかりではおもしろくもないが、
もしそれで、ファンが離れていったとしても、自己責任だ。

『あの名勝負は嘘だった!!!』
なんて言われても、
『余計なお世話だ!』
『もしそれが、嘘ん気だったとしても、こっちは本気で楽しんだものをなぜ台無しにするんだ!』
『せっかくの思い出をどうしてくれるんだ!』
と思ってしまうね。


正義漢ぶって、世の中を騒がして『金儲け』しようって魂胆じゃねぇのっ!

こっちを『八百長』って言うなら、そっちの方が『八百長』じゃねぇか!

そんな『見え見え』の出来レースなんか、しゃらくさくって、見てらんねぇ!


ということで、そんな記事は一切読んでいないけどね。


             (了)

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やお‐ちょう〔やほチヤウ〕【八百長】


《相撲会所に出入りしていた長兵衛という八百屋(通称八百長)が、ある相撲の年寄と碁(ご)を打つ際に、いつも1勝1敗になるように手加減していたことからという》

1 勝負事で、前もって勝敗を打ち合わせておいて、うわべだけ真剣に勝負すること。なれあいの勝負。「―試合」

2 なれあいで事を運ぶこと。「―の質疑応答」

[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]参照


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2008年9月24日 (水)

『コジュウト』

『コジュウト』とは何だ!?

『小舅』と書くらしい。
「姑」の子供達か、つまりは旦那の兄弟のことかと思ったら、やっぱりそうだった。
「姑」のように口うるさいが、「姑」でない人達の総称じゃないかと思うけども、

単に『小舅』と『口やかましい大人』とは違うと、僕は断言したい。

『コジュウト』には「悪意」を感じる。
なぜなら、テレビドラマのイメージかもしれないが、「嫁」の「非」につけ込んでいるところがあるからだ。
必要以上に文言が言い放たれている。

『朝会ったら、『おはよう』、昼会ったら、『こんにちは』、夜なら『こんばんは』だろっ!』
『開けたら、閉めろぃ。糞したケツくらい、テメェで拭くもんだろうがっー!』
『箒(ほうき)で撫でたからって、掃除が済んだ訳じゃねーだろっ』
『四角いところを、まぁるく掃いて、どうすんだっー!』
『先輩が動いてんのに、なんでお前らが、どっかりと腰下ろしてるんだっ!』

僕は十代の後半には、友人達と、お祭りの会の「おっかない」先輩達に、あれやこれやと、一つ一つ、お叱りの言葉を頂戴した。

(『うるせーなぁ』と思ってもいたけど、僕らはその教えを聞いて育った)

今、仕事場には、十五も二十歳も年下の『若い』、といっても、二十代前半の良い大人が、社員でもアルバイトでも、たくさんいる。
どうも、その子達の素行の悪さが目について仕方がない。

「ゴミ箱が溢れかえっても、その上にまたゴミを積んだり、こぼし」たり
「液体のたくさん入ったペットボトル(栓はしてあるけど)を流さず、そのまま捨て」たり
「自分で使った食堂のテーブルをラーメンの汁で汚したまま立ち去って」しまったり
男とはいえ「ロッカールームの扉を全開にして入り、そのまま閉めなかった」り
「便座に跳ね返ったシャワートイレの滴を拭いていなか」ったり

ホント些細なことだけど、キチンとしているか、いないかで社会の中では大きな違いがあると思う。
それは、イケナイこと、間違いであることを知ってか知らずか、或る種、許されてしまっている。


干渉されない行動。
彼らの育ってきた環境なのだろう。

子供は大人に『叱られ』て育つものだ。
僕らの少年時代、大人は親だけではなかった。
学校の先生や、近所のおじさん、習い事の先生(僕の場合は柔道の先生)などもそうだ。
(今の大人は『叱る』んではなく、『怒って』ばかりだ)


歳だけとっても、大人としてのモラルがないのであれば、周りにいる大人が一つ一つ注意をしてあげる。
そういうもんだと思うから、口うるさく言う。

何も言わないで、見逃している大人が多すぎる。

僕が、身の周りの若い子供たちの悪さやモラルに欠けたことをした時に発する言葉は
『コジュウト』的なものなのか、『口やかましい大人』の『小言』なのか・・・、

それをまた揶揄する大人がいる。よくない。

僕は小言を言うだけでなく、「ゴミ袋を取り替えるし」「食堂のテーブルも拭く」
必ず朝は『おはよう』と挨拶をしてまわる。
自分の身の周りの、小さなことだけど、それでも大事なことだと思うから、


「『コジュウト』とはなんだぁ〜」
僕は『口やかましい大人』だぁ〜。


              (了)

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