『 土曜の夕(ゆう) 』
土曜日の夕方。
お風呂屋さんへ行くのに、途中『開かずの踏切』があった。
京浜急行、『南馬場』(現『新馬場』)駅から下り方面、『青物横丁』駅手前、二つ目の踏切だ。
信号機が30分も『チンチンチンチンチンチン』と鳴り続けていた。
僕は小学校高学年になっても、母親とお風呂屋さんへ行っていた。
しかも入るのも一緒で、女湯だった。
その踏切の前では、母とよく手をつないでいた記憶がある。
それだけ甘えた子供だったのだ。
いや、独りが嫌いだっただけだ。
その日は休日の運行で、踏切は難なく渡る事ができたはずだ。
あと二、三十メートルも歩くと、第一京浜国道、国道15号が走っている。
昭和50年。'70年安保の学園闘争も落ち着き、オイルショックの大騒動や、マイホーム、マイカーなんて言葉も知らないで過ごしていた。
ドリフターズに天地真理。
プロ野球ならジャイアンツ。
プロレスにキックボクシング、そんなテレビに夢中になっていた。
家の外なら、放課後の草野球。
虫を追いかけ、神社やお寺を駆けてまわった。
駄菓子屋でいつまでもうろうろとしていた。
近頃よく聞く言葉でいうところの『ルーティーン』になっていた。
『ヴウォ〜ンウォ〜ン、ヴウォ〜ンウォ〜ン』
『バリバリバリリリリッーーー』
『パラリラパラリラ……』
黒いアスファルトで唸り上げ、コンクリートのビルを這う。
首都東京の空に響き渡る轟音。
幾台ものバイクや乗用車が、おそらく3-400台はあったのではないか。
第一京浜国道を、次から次へと切れ間無く走っていた。
戦国時代の騎馬の大軍を想起させる。
そう、バイクのことを『鉄馬』呼ぶことがあるので無い話しではない。
(『鉄馬』で調べたら、鉄の鎧ををつけた騎兵。また、勢いが激しく勇猛な騎兵。とあった。)
エンジンが、マフラーが爆音を鳴らし、風の音が塊となって国道を流れていく。
バイクや自動車のフォルム、デザインもさることながら、バイクに跨がり、自動車の窓から身を乗り出す男の人達を、眼を輝かせて見送っていた。
その彼らが、暴走族で、社会や大人達に対しツッパっていたかどうかなんて、分かっていなかったと思う。
こないだ、お祭りの会の仲間が集まったとき、中学時代の同級生の親友『R』が言った。
やはり、僕と同じように、当時の彼らを、彼らの集会を陰から覗きにいった経験を持つ『R』は、
『あれはお祭りなんだよ。見てるだけで、ワクワクドキドキするんだよ。楽しいんだよなぁ。』
『あの音と車とが、カッコいいんだよ』
と、
そう、『音』と『フォルム』、『威勢の良い男達』を見る楽しみ方はまさに『お祭り』だなぁ、と僕も思った。
僕らはバイクに乗れる歳になっても、暴走族に入ることはなかった。
僕はお風呂屋さんへ行く脚を止め、いつまでも続くその車列を眺めていた。
土曜の夕、その日はきっと、僕は一人でお風呂屋さんに向っていた。
(了)


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