ロケーション

2015年7月 1日 (水)

『 ある海の朝 』

 慣れない車中泊での睡眠に、普段より早めに目を覚ます。
 表に出て東の方を眺めてみると、海一面が靄で白く覆われていた。
 そこが海だと知るためには、波打ち際に近寄って足元を見るしか術がないほど厚くのしかかっていた。


 午前8時半頃、靄が少し淡くなってきたので、砂浜の弧に沿って、むこう岸の防波堤まで行ってみることにした。
釣り客でも冷やかすつもりでだ。


 砂を踏みながら、海で削られ丸くなった石やガラスや煉瓦、もちろん貝殻などを品評する。
『ビーチコーミング』という遊び。
砂浜を櫛がけするということか。
 なんてことのない石や流木や、廃物であるガラス瓶の欠片などが、角を削られることでなぜかいとおしい小物たちに様変わりする。

 時の移ろいを知る瞬間。

 浜にあげられた小型ボートのエンジンの上でトンビが羽を休めていた。
眼孔鋭く、静観の構え。
 海岸の動物といえば、猫とこのトンビだ。
 青い空を優雅に滑っているかと思えば、上から獲物めがけて急降下するなど、なかなか油断がならない。
 この日も後に、海面すれすれまで舞い降りては、群れていたイワシを鷲掴みし、再び飛翔する姿を見ることができた。

 ほどなく防波堤の付け根である船着き場に着く。
 朝靄に浮かぶ漁船が幾隻も堤防にもやいで結ばれていた。
 出番を待つというよりは、休息している感じ。

 中に一隻、岸から2メートル程離れたところに浮かぶ小舟がいた。
 漁を終えて道具を片付けている岸の漁師に、舟の上から賑やかな声が掛けられた。

 船上には陽に妬けた小さな老夫婦が白い歯を見せていた。

 岸にいた漁師と笑いを交えて二言三言話したかと思うと、モーターをブルブルと言わせ、舳先を面舵にきり、朝靄の中に消えていった。


 期待と不安を胸に……、なんてことはなく、 老いた漁師の夫婦にとっては、ある朝の一日が、ただ始まっただけなのかもしれない。


          (了)


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2013年6月24日 (月)

『 ロケハン  - 騒がしい海岸 -2- 』

近づきたくないのだ。
興奮が押さえられなくなるからか、
それとも穢れたくないからかも知れない。
老漁師と若い漁師は10メートルの距離を保っていた。



オバ様をババァと言い換えるが、酔っぱらったババァは言うに事欠いて、
『そんな態度だから、この町は廃(すた)れてるのよぉ、』だなんて言っていた。

ふざけるなこのくそババァ。
「怒れ!漁師の若者よ!」
と僕は怒っていた。


そして僕はその若い漁師の高い声が耳に残った。
『そんなこと言わねぇでよぉ…』
『…あんたらの町はそんなことねぇのかも知れねぇけど、俺たちはここで生きるしかねぇンだからさぁ。』

強気に脅かしに出るかと思っていたので、その優しい、泣き声にも似た訴えに
僕はちょっと驚いた。

するとそれまでケンカ腰だったババァどもが、徐々に頭を冷やしていったようで、そろそろと腰を引き、謝りはじめて口論は和解となっていた。


それにしても5月の平日の海岸でこんなにも騒がしいとは。
我々を入れてたった3組なんだけどね。


戻ってロケの関係者(スタッフ)に聞いたら
『日が沈む前には終わります。』という。

なんだか落ち着かないので、2ー300メートルくらい離れた隣の浜まで移動して僕は根を降ろした。

ひとしきりバーベキューコンロの用意が出来たので、僕はデジカメのズームを最大限にアップして隣の浜をパチリとやっておいた。
何が写ってるか分からなかったが、レンズはもちろん、ロケをしている
方に向けていた。


炭火も起き始め、漸く一本目のビールを飲み初めた頃、僕はデジカメの写真を確かめた。
そして笑った。
それを見た連れはたいそう残念がっていた。


全く騒がしい海岸も夕陽が沈む頃には、波音と焼き肉と酒盛りの音にとって変わっていた。

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               (了)

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2013年6月20日 (木)

『 ロケハン  - 騒がしい海岸 -1- 』

海へ行ってその日、車中泊のできるキャンプ地のロケハンを僕はしていた。


前もって検討つけておいた海岸の駐車場にやってきたら、季節外れの満員御礼状態だった。
そのほとんどが大型のマイクロバスやワンボックスの乗用車で占められていた。
駐車場付近にはその場所には似つかわしくない気配の人々がガヤガヤとしていた。
せっかくそこに砂浜が広がっているのに、誰も走り出したりしないしね。

暑苦しいGパン姿の男性も多かったかな。


僕は一目でそれらが映画かテレビドラマのロケであることがわかった。

都会人の僕はちょっと迷惑そうなオーラを出しつつ、砂浜に降りていって

船着き場や防波堤で釣りをしている人達の様子を窺ったりした。


浜辺には60代のオバ様を中心としたバーベキュー大会の一団が7、8人、ターフという屋根だけのテントの下、ワイワイやっていた。

かなり酔っているのが、その声のトーンと大きさから明らかだ。

彼ら、といっても男性は一人だったが、お酒のいきおい余って、地元の漁師さんと口論になっていた。

漁船の近くで、バーベキューの炭の処理をしていたことへ、一人の老漁師が忠告をしたようで、

それを『うるせぇな、』と一人の女性が返してからが始まりのようだった。
それぞれが興奮して、ちょっと離れていてもそれくらいは分かる大きな声を出していた。

最初に忠告をした白髪頭の老漁師は黙っていて、後から若い漁師と二人、距離を保ったまま問答をしている。
その距離10メートル。

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               (つづく)

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2011年2月18日 (金)

『 東京ゲートブリッジ@新木場 』

仕事で『海浜幕張』まで行く用があり、りんかい線から新木場でJR京葉線に乗り換えた。

車窓から『南東の朝陽がまぶしいなぁ』なんて思っていたら、東京湾に二頭の恐竜が向かい合って……。
そう、大田区城南島から江東区若洲を結ぶ、全長2933m。
海上を跨ぐ区間が1618mの建設中のトラス橋『東京ゲートブリッジ』が現れたのだ。

以前にテレビを見て、是非じかに見てみたいと思った景色だった。
川だか、運河だかの両岸から、恐竜のようなカタチをした橋が、まだ届かないでいる。
三角のギザギザで繋がっているので、恐竜のように見えるのだが、この三角の繋がりの橋のことを『トラス橋』というらしい。

近頃の建築中物件では、『東京スカイツリー』が絶大な人気と話題を振りまいているが、Photo_2
こちらもなかなかなもんである。
僕は席から立ち上がって、車内から携帯電話で撮影を試みた。
が、どうにもお見せするものにはならなかった。
(やはり携帯から取り込んでみました。)

ということで、休みの日に電車で行ってきた。

『木場』っていうと、江戸深川の界隈で、川に材木を浮かばせている景色や半纏を着て、鳶口を持った鯔背若衆が……、なんて絵を想像するが、駅前はなんとも『埋め立て地』然とした殺風景なものであった。
で、駅前にはモニュメントがあった。
海に向かって南下するとこんな風景も。
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ここに材木が敷き詰められるのではないか。
英語ではきっと”pool”と言うに違いない。

そして道端に木っ端(こっぱ)を集めた箱とこんな会社。
車止めも木製で赤くてかわいい。
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ひたすら真っすぐ歩いていくと、ようやく海と橋が見えてきた。
『ゴジラ対ギャオス東京湾大決戦!』
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なかなか良い、僕が求めていた景色だ。
デカさというか、豪快なところが良い。
異様なところもイイのだと思う。


更に近づいて見る為に橋の架かっている『江東区立若洲公園』へ向かう。
が、これが随分と歩いた。

真横から見たかったので、はじめにまずこちらを見に来たのだが、今度は一度、東に歩いて、また南に向かって橋を渡って、道路工事中だったことも会って、『若洲海浜公園』の方に入ってしまい、それもゴルフ場の東側、海側の直線が何百メートルでは済まないくらいの距離があって、本来なら駅から10分で着くはずのところを都合一時間半は歩いて、ようやっと南側の防波堤に辿り着いたころには、陽も大分傾いていた。
そしてそこにはやはり巨大な恐竜の後ろ姿と反対岸にこちらを向いたもう一頭の恐竜とが夕陽にさらされていた。
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スカイツリーと違い、こちらには数名の素人カメラマンしかいなかった。
フォルムはこちらも負けていないと思う。

橋をくぐった向こうの空にはうっすらと富士山だって見えている。


僕がこの橋の風景を見たくなったのは、もちろん変わった橋の形状だったり、未完成の魅力でもあったのだが、このカタチに至る際に、とてつもなく巨大な部品を船で運んできて、組み立てていたその姿をテレビで目の当たりにしたからでもある。
モノが作られていく過程というのは面白い。

もう少し頑張れば、真っ赤に染まった二頭の恐竜を見ることもできたかもしれないが、歩き疲れと空腹に負け、若洲公園を後にした。
お土産に夕陽に浮かぶ富士山の素晴しい景色を見せてもらったから、良しとしましょう。
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               (了)

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2010年12月14日 (火)

『 東京スカイツリー界隈 』

あてもなく、地下鉄に乗りいつもの『浅草』ではなく、もう一つ先の『本所吾妻橋』で下りることに。

流行りの『工事中東京スカイツリー』界隈の散策へ。

地上に上がり地図で確認。
少しでもまだ残る東京の紅葉がありそうな、道のりを探す。
『三つ目通り』を左、小さな橋に『スカイツリー』を見物する十人前後の観光客発見。
と、そちらへ向かおうとする前に路地裏の怪獣出現に目を奪われる。
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隅田川からの運河と思われる支流に架かる『源森橋』からの『ツリー』の眺めである。
停泊する屋形船がここ下町を象徴する。(上手い写真が撮れない)


ここまで近く(と思ったけど、地図で量ってみたらおよそ500メートルはあった。)にいるのにそれほど高くは見えない。 2東京タワー』の方が高く見えると思った。
形の所為ではないだろうか。(『東京タワー』から500メートルというと、『増上寺』前の通り辺りである。)

『東京タワー』は、裾が広く、先が細いから遠近法でもっててっぺんが遠くにあるように見えるのではないかなんて思って見ていた。 2_2
カメラのズームを光学からデジタルの40倍にまであげて第二展望台の方を確認してみる。 
クレーンで持ち上げられていったクレーンが動いている。 
音もなく。 
よく見ていると、『ツリー』の裾の方がなんだか捻れて見えてきた。0001_10

毎日定点観測をしているお祖父さんが、そこに集まってきたやはり初老の面々に自分の撮影した『ツリー』の写真を見せびらかしている。

そんな風景を後に、隅田川方面へ。 
すぐそばの隅田川公園に入るとお年寄りがぽつんぽつんとあちらこちらに腰掛けていた。
そして紅葉もわずかではあるけれど残っていた。
その先に牛島神社の鳥居が見えた。0001_12
鳥居をくぐると右手に牛の像が横たわっていた。
ファインダー越しに見ると随分とリアルだったので、一度ファインダーから目を離して生で見てみたりするくらいリアルだった。

本殿内には、立派な獅子頭と直径2メートルはあろうかという大太鼓が吊るされていた。 
境内から川へ抜ける広場には、多くはないけれど銀杏の黄葉が枝と絨毯を敷きつめる。
なかなか綺麗。

隅田川の堤防を歩こうと思っていたけれど、ブルーシートの家があったり、思ったよりなにもなかったので『言問橋』を渡り、台東区側へ。

『メタセコイヤ』の紅葉が天を突く。

『隅田川』越しの『ツリー』。
少し離れていた方が、雰囲気がイイ。

川辺の散策もこれまたイイ。
この日は12月でもまだまだ暖かかったので、風が心地よい。

縦に伸びる町を横たわる川、またそれを横切る鉄橋に目がいく僕。
交差する線が新鮮に感じられた。

金色(こんじき)に輝く社屋に映る『ツリー』。
またそれらをスケッチする老人など。
 

               (了)

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2010年3月27日 (土)

『 花 見 』  ー 梅 ー

『花見』というと、つい『桜』を連想するが、今回は『梅』を見物してきた。
実際、奈良時代以前は花見と言うと『梅』のことだったらしいけどね。

梅の見頃はまだ寒いので、皆で宴会というわけにはいかないのだろう。
それでもこの日は比較的温かった。

湯河原、幕山公園(まくやまこうえん)。
品川から一時間半くらい掛かったか。
駅から、バスで20分のはずだったが、公園の近くにきたら一般車の駐車場待ちの渋滞に巻き込まれる。
ちょうど見頃ということで、平日も休日もないということか。

昼前に200円を払って入園。
バス降車場からそこを通るまでの道端にも露店がでていて、否が応にも気分は盛り上がる。
海抜626mの小山を見上げると白やピンクの梅の木が景色をつくっている。
しかし、その時は花より団子、景色よりも腹ごしらえを優先させた。

最初に目についたのが、『湯河原名物 坦々やきそば』。
辛みの利いた胡麻風味の焼きそばで、湯河原では『宇都宮の餃子』『佐野のラーメン』のような町興しをもくろんだ企画メニューとして、町の何十店かで幟をたてて、その店独自の坦々焼きそばを出しているようだ。

つづいて『梅そば』『梅うどん』。
これはそばやうどんの生地に梅を混ぜ、打ったものだという。

が、結局ボリューム感の点でキャンセル。
梅の小山を見上げながら、『天ぷらそば』手繰り、『缶ビール』でノドを鳴らした。

それでも僕は『坦々』が気になり、再度出店の方へ。
そして今度こそはと思ったが、手にしたのが『炊き込み御飯のおにぎり(3個)』だった。
四十を過ぎてなお、量を求めてしまう自分が悲しい。

満腹で、重い腰を上げいよいよ園内の梅散策へ。


いやはや、随分と種類があるもんである。
『白加賀』を代表とする白梅、『豊後』を代表とする紅梅(薄紅梅) はもちろんだが、白梅にも紅梅にも数々の種類がある。
萼や枝が緑色で花が白色の一重の『一重緑萼』とか、
鮮やかな色に目を奪われた『楊貴妃』。
一つの木に白と紅との花を咲かす『おもいのまま』だとか、
『しだれ梅』の群生など、ぶらぶらと小山を登り下りして散策する。
景色の移り変わりもあって楽しい。
見上げたり、見下ろしたり。

ここの見物(みもの)の一つに、『柱状節理の大奇岩』を背景とした梅景色である。今風にいうとコラボレーションだ。自然の妙である。

眺めているとその岩の壁面に人の姿があった。
そう、ロッククライミング。現代の妙か。

『梅に鶯』と言うが、実際に鶯を見ることはめったにないらしい。
だから、ほとんどそれと勘違いされているのが『メジロ』。
目の周りが白いから、メジロ。
バードウォッチングの撮影。
難しいけど、野生の動物観察は面白い。

登っている時はうっすら汗も出るほどであったが、下ってくる時には気温も下がりはじめ、お腹の調子も下ってきてしまった。

のんびりおよそ三時間半をかけての梅散策だった。

こんなサイトがあるので見てみると楽しい。http://www.minabe.net/gaku/seibutsu/bunrui.html

(付 録)
湯河原駅に戻って、駅裏の『城願寺』に立ち寄って、樹齢、推定800年の「びゃくしん」を見物する。
源頼朝由来の史実などが絡んだ「七騎堂」なる六面のお堂が質素に佇んでいてその巨木との調和が現代に風情を与えている。
(その樹は800年前は苗木だったのだから。)


もうしばらくするとこんどは桜の花見である。
今年はどこへ行こうか。


               (了)

写真をクリックすると大きくなります。


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2009年10月14日 (水)

『 中秋の名月 』   −2−

夕方、いつものごとくビールとワイン、刺身やスパゲッティ、スモークたん、おいなりさんなどを仕込んで、海岸の堤に腰をかけ、サーフィンに興じる若者を眺める。


午後四時を過ぎて、やっと天気は落ち着いてきた。
外房の海の水は綺麗で、白波の立った時の際(きわ)の水の色が、エメラルドグリーンに近い淡いブルーだった。


毎度のことなのだが、刺身を肴にワインをこくり。(といただく)
どちらも地元の大型スーパーで仕込んだものだけどそれで充分。
これを海辺でやる。
景色も空も風も心地よい。


日が沈みはじめると、群青色に変わった海原に、仄かにミルキーなコーラルオレンジというか、サーモンピンクの夕陽が映し出されていた。
えも言えぬ自然の妙だ。

防波堤に腰をかけている背中の街灯がともりだした。

午後六時を過ぎると陽は大分落ち、乗る波を待つ黒い小さな人影がまだ二つ三つあった。

空は十五夜の明るさを雲が遮っているのだが、やはりそれほど暗くはない。
翌日の好天を予想させる如く、雲が駆け足で抜けていく。

愛犬と暗くなった砂浜に降りて少し走った。
水辺を歩かそうとすると、水嫌いの彼は脚を突っ張って踏ん張り、僕のいたずらにはのってこない。
僕に似てとてもビビりなのだ。


野良猫が寄ってきた。
食べ物目当てなのにうちの愛犬を威嚇する。
それでも、せっかくなので残っていたびんちょうマグロを二切れほどやった。
暫くしても『ミャーミャー』としつこくやってくるので、酔いも手伝って最後の一切れもあげてしまった。


僕は雲間から差し照らす月明かりが海に煌めいているのを、写真に納めようとする。
もちろんまんまるの『十五夜の月』を一緒にフレームに入れたい。
が、まだ残る雲が意地悪をして、なかなかシャッターチャンスを捕らえられない。
カメラを使いこなせず、以前にこのカメラで見ることのできた月面のアップも思うように撮ることができなかった。

目の前にあの45億年前の大きな月があったら、はたして今宵の『中秋の名月』はどのように目に映ったのだろうか。


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2009年10月11日 (日)

『 中秋の名月 』   −1−

『45億年前は月まで、数万キロメートルしか離れていなかった。』

とJR山手線の車内で流れている液晶画面の情報で知った。

現在の距離はおよそ38.4万キロメートルだというから、『今よりも大きく見えていたかも…』なんて締めくくられていたので、はたしてどれくらいに見えていたのか、すごく興味を持った。

今でも、一年に約3cmずつ離れていっているそうだ。


『中秋の名月』『十五夜』。
ここのところ、天候が悪く今年は綺麗な月なんて見ることはできないと思っていた。


その日、僕は千葉県の外房にいた。
午頃はしとしとと、降ったりやんだりのくり返しで、折りたたみ傘が重宝した。

昼間、目的のお寺を観てまわって、駅へ戻るのに、その土地の『郷土資料館』に立ち寄った。
雨もぱらついていたし、トイレを借りたかったのもあって、珍しく入ることにした。

漁村らしく、漁で使う道具。
『万祝(まいわい)』という着物、漁師の晴れ着ともいえる色鮮やかな長い羽織は僕の眼をひいた。

近代の日常生活を知らす為に、家を模して作られた展示セットなどよくある造りだ。
その土地が輩出した詩人や政治家の遺品のコーナーは以外と楽しめた。

それともう一つ。
考古学のコーナー。
ここは主に土器の欠片やそれらをジグソーパズルのように合わせ、器の形にして並べてあった。
このコーナーの初めのところに、人類の歴史を蚊取り線香のような螺旋模様で表していたものがあった。
螺旋の中心が『人類誕生』で『猿人』『原人』。
ここにB.C.何年と書いてあったかは覚えていない。


ウェブでみてみると、『誕生』が約1億年〜6500万年前の『霊長類』の出現。
『猿人』(アウストラロピテクス≒「南の・サル」)が、700万〜400万年前に登場。
『原人』(ホモ・エレクトゥス≒「直立する(二本足歩行する)ヒト」)は180万〜150万年前で、脳が大きくなり歯が小さくなったのだそうだ。
さらに『旧人』(ホモ・サピエンス≒「知性あるヒト」)が、50万〜30万年前に現れ、
(ここには「ネアンデルタール人」(約20万年前の出現:2万8000年〜2万4000年前絶滅)が含まれる)
そして、現世人類と変わりない特徴を持った『新人』が、現世人類初期と言われる「クロマニヨン人」(4〜3万年前から)、日本でいう「縄文人」「弥生人」は、2万〜1万年前に、氷河時代末期に現れてきたんだそうだ)

(※こういうのは諸説あるでしょうから、深くつっこまないでくださいね。)


くるくると七周か八周も廻ったくらいで巻が一番外側になり、B.C.11000年から、円周の半分くらいを三期に分けてB.C.1000くらいに縄文時代が続く。
さらに弥生時代、古墳時代、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町と続き、
安土桃山、江戸、近代(明治、大正)、現代(昭和、平成)。
現代なんて蚊取り線香の火種程もない。
技術の進歩、文明の進化のスピードの速いことがよく分かる。

45億年前と言ったら、人類誕生のずぅーーーーーーーーっとずぅーーーーーーーーっと前で、
(後で調べたら地球と月の誕生の頃のことでした)
眼の前の月の大きさに煩わしさを感じる頃には両生類だって居やしなかったんじゃないか、と現実に戻された。


               (つづく)

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2009年7月29日 (水)

『 空模様 』

日本で46年ぶりに皆既日食が観られた。

日本、と言っても鹿児島と沖縄の間にある小さな島だったり、小笠原諸島の先で、火山活動中なので、上陸が許されない島だったりとなかなか難しい。

宇宙が織り成すほんのひと時のいたずらのような現象が地球を熱くする。
(日陰に入るのにね。)

『日食ハンター』なんて人を食ったようなネーミングで呼ばれる人達もいる。

前の日、『葛飾花火大会』の花火を見物に行った。
ところは『葛飾柴又、帝釈天で…』傘を広げ、そぞろ歩きの夕の刻。

帝釈天の参道は会場へ向う浴衣姿の若いカップル達でいっぱいだ。
会場はその裏手、江戸川河川敷にある野球場。
腰をかける道具を持ち合わせなかったので、野天による雨越しの花火見物は中止にした。

湯葉料理とかうなぎ料理なんかをつまみながら、冷酒で一杯なんてやってる座敷から眺められるようであれば、風情もあったのかもしれないけどね。


ベランダの雨足が強くなったので時計を見ると、それは丁度花火大会終了時刻の頃で、葛飾柴又の江戸川上空はどうだったのか。

『皆既(日食)』時間が一番長いといわれていた『悪石島』は嵐のように風が吹きすさぶひどい状況になってしまった。
その他の鹿児島と沖縄の間の島々もスカッと晴れた空はあったのだろうか。

『NHK』の生中継は硫黄島と屋久島を中心に放送していた。

屋久島の森の中での撮影は、果たして『皆既日食』を表現できたのか。
森が暗くなるその向こうの空は、白く映っていた。
露出を空に合わせていたから、森の中が暗くなったのではないか、と一人テレビに向ってぶつぶつ。

快晴の硫黄島付近での撮影はしっかりと太陽が欠けていく姿が映し出された。
画面いっぱいの太陽。

『ダイアモンドリング』は確かに綺麗だ。
燃え上がる『コロナ』。
『コロナ』より低温の『プロミネンス』というのは初めてだった。(これはちょっと、赤っぽく映っていた。)

しかしどうして、みんな同じような映像しか映さないのか。
白黒のアップの太陽と『コロナ』、『プロミネンス』、『ダイヤモンドリング』。
他の映し方はできないのだろうか。

木漏れ日の影が欠けていくのとかを見たかったなぁ。
(東京は曇っていて、見られず)

硫黄島付近の客船上での撮影が良かった。

360度ぐるりの水平線に時刻外れのの暁が立ち上る。
その紅い冠の上は青く、そのまた上には月が作った太陽の影が筒状に天をさしていた。

船上で見ていた人達には皆既日食がどう見えたのか。
テレビで映しきれない自然の皆既日食をどう見たのだろうか。

肉眼で見ないと(身体で感じないと)得られない感動を求めて人々は旅をするのだろう。

そして天に描かれた『空模様』を見上げるのか。


               (了)

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