格闘技

2011年10月 1日 (土)

『 近所の格闘家 』 −3−

そして試合である。

1998年9月14日

正直、そうそう詳しくは覚えていないが、印象としての『謙吾VSバス・ルッテン』はこう。


パンクラスといえば、『WOW WOW』のイメージがあるが、我が家での試聴契約はなく、その頃、テレビ東京がパンクラスの試合を放送していたのだと思う。

ゴングとともに『謙吾』はラッシュを仕掛けていった。
と思っていた。

右左、右左と掌打の雨である。

『ウォーーッ!』

僕は興奮した。
ひょっとしたらひょっとするかも、なんて思うほどの迫力があった。


「これかぁ、これが『謙吾』なのかぁ。」
と僕の目は揺らし、手に汗を握り、寒気すら感じていた。

一方、バス・ルッテンは落ち着いていた。
肘を曲げ、手で顔をしっかりとガードしながら、自らも掌打や膝蹴りで積極的に攻撃を仕掛けていく。

『謙吾』の打撃が多少効いた場面もあったのではと記憶していた。

試合はバチバチのどつき合いになった。
ルッテンの烈しい攻撃に『謙吾』も猛獣のように必死で立ち向かう。
そしてルッテンのの一撃が『謙吾』を捉えた。
動きが止まったのをルッテンは見逃すはずはなく、猛烈なラッシュが始まった……。


と思っていたのだが、実際には開始およそ38秒、顔面への膝から、テンプル(こめかみ)への右掌打がヒットし、『謙吾』の190センチの巨体は前のめりに沈んでいった。

顔を振って立ち上がる彼の鼻からは出血があった。
ドクターチェックが入り、試合再開。

『謙吾』も力の限り応戦する。
決して防戦ではなかったと思う。

が、さらなるルッテンの容赦ない打撃に力は尽き果て、三度目のダウンを喫し、試合は終了した。

§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§

僕の知る謙吾さんの印象に残る試合は後にも前にもこれだけである。
その後の試合の情報は雑誌やネットで追い掛けたけれど、どうにも良い結果がついてこない。

何年間現役を続けていたのだろうか。
鳴りもの入りで入団し、一番最初に一夜限りの輝きを残し、去っていった格闘家。
そう思うとなんとも、残酷な世界のようにも思えてしまう。

が、その時ほんの一瞬でも、しかもとてつもなく眩い光を残した彼の闘い、僕の記憶に深く刻みこまれている。
なぜなのか。


十数年経って今観てみると、実際には記憶と違った内容ではあった。
かなり短い時間で勝負は決していたが、やはりそれだけその試合にインパクトがあったのだと思う。

当時のことを詳しく知らない輩の戯言かもしれないけれど、近所で謙吾さんを見かけると、そのただ一試合で受けた感動が、今も尚彼への畏敬の念として僕の心の中に存在することを確認できるのだった。

               (了)

| | コメント (0)

2011年9月23日 (金)

『 近所の格闘家 』 −2−

当時、学生選抜などに選出されていたくらいの現役ラグビー選手がある種、鳴り物入りでのパンクラス電撃入団だった。
日本人離れの恵まれた体格とラグビーで鍛え抜かれた筋力やスピードに多くの格闘ファンは新星『謙吾』選手に期待を持ったのではないだろうか。

そして更に衝撃的なのは、半年だか一年だか後のデビュー戦の相手が当時パンクラスではトップクラスの強者、後の『UFC』チャンピオン『バス・ルッテン』(ネタバレ注意)だというのだ。

主宰船木誠勝氏や鈴木みのる選手が、『謙吾』選手に付ききりで指導していたという記憶がある。
もちろん格闘技雑誌の情報だけどね。

まず敵うはずがない、と思った。
『キングオブパンクラス』を争う選手と格闘技ほぼ未経験の新人選手である。
試合になるはずがない、と思って当然ではないだろうか。
なのに、どこかで期待もしていた。
わざわざそんなマッチメイクをするのだから、それなりの勝算があるのではないかと。
(また、我が家がそこそこの『ラグビー一家』であったことも、彼への期待へと繋がっている。)

月日とともに『謙吾』の肉体はビルドアップされていた。
僕はますます期待を膨らませていた。
もちろん『謙吾』の勝利もそうなのだが、二人の戦う試合自体が、楽しみになっていた。

そして試合が近くなり、試合前記者会見のタイミングだったか、彼の洗練された鎧のような背中には勇猛な獅子のタトゥーが施されていたのである。
機運は最高潮に達した。

この時、盛り上がるマスコミに、『バス・ルッテン』は、
『タトゥーを入れて強くなるのなら、…』みんなタトゥーを入れればいいさ、的なことを確か言ったんじゃなかったっけ。

               (つづく)

| | コメント (0)

2011年9月17日 (土)

『 近所の格闘家 』 −1−

うちの近所に元格闘家が住んでいる。

パンクラスに所属していた『謙吾』さんだ。

僕は初めて彼を目撃した日に『おぉっ』って顔をしてしまったので、この文章が彼の目に止まる日がきたら彼は僕の顔を想い出すにちがいない。
なぜなら、その後も何度か心の中で
『あっ、謙吾だ。』と呟いていたくらいだから。


実は僕の家の近所には他にもまだ何人か格闘家が住んでいるはずだ。

以前に踏切を自転車で駆け抜けた『安生洋二』さんを見た。
確かサンダル履きだった。

安生さんと言えば、『グレイシー柔術』への道場破りだ。
その方法への賛否はあったけれど、なんともリアルで、衝撃的だった。

『ジ・アルティメットファイティングチャンピオンシップ(『UFC』)』という、金的と目潰し以外はなんでもありのルールで話題をよんでいた総合格闘技が巷に知れ渡ろうか、という頃だった。
当時、『グレイシー柔術』といえば、その祖、『エリオ・グレイシー』の三男『ホイス・グレイシー』が注目の的であった。
『UFC』の並みいる巨漢、強豪達を巧みな柔術の技でねじ伏せては、優勝を重ねて話題となっていたからである。(話しだすとながくなってしまうなぁ。)


一方の『安生洋二』さんは、総合格闘技の草分け前田日明氏主宰の『UWF』、さらには高田延彦氏主宰『UWFインター』出身で、その安生さんが、『ホイス・グレイシー』の長兄、『(喧嘩)400戦無敗』の柔術家『ヒクソン・グレイシー』へ挑戦したのである。

結果は、ボコボコにやられ、血塗れて腫れあがった顔の安生さんが、グリーンの畳の上でたたずんでいる
写真が格闘技雑誌の紙面を飾った。
Photo

色のコントラストがなんとも不気味な感じに思えた。
望遠レンズで盗み撮りしたピンボケ写真が、逆に見るものをひきつけたのではないだろうか。
『何が起こったのか』って。
知りたいのに怖かった記憶が残っている。


戸越銀座駅そばには、『吉田道場』があるので(正確には『J-ROCK workout studio』)、中村和裕選手や小見川道大選手も見る。
松屋やペッパーライスなんかでもりもり食事をしている姿を見たり。
吉田道場の下にあるホルモン焼き屋で、僕は一杯やることがあるのだが、愛犬を連れている時は表のテラス席で呑む。

ある日、小見川選手がそこを通りかかった時、僕は、彼が『UFC』初勝利の凱旋帰国を果たし、お子さんの誕生もあったりなんて情報をネットで知っていたので、つい微笑みながら祝福の会釈をしてしまった。
すると彼も飲んでいる僕に微笑み返してくれたなんてことがあった。
優しい笑顔が印象的だった。


ちょっと足を伸ばせば、武蔵小山には高田道場もある。
以前に見学に行ったこともあり、今みたいじゃない高田延彦さんも真面目にトレーニングをしていた。

武蔵小山商店街『パルム』には、かつての全日本女子プロレスの女子をよく見たけど、最近は見かけなくなった。
ダンプ松本さんにも、ステーキハウスで会釈をしてしまった。
コチラからすると身近に感じられるからだろう。

そのステーキハウスでは藤井軍鶏児さんにも会い、写メを撮らせてもらった。

東急大井町線では、プロレスリング『ノア』所属の本田多聞さんをみたし、戸越銀座商店街で演説をしていた元新日本プロレスの木村健悟さんは、区議会議員になってしまった。


               つづく

| | コメント (0)